established 2004.03.31 / updated 2005.05.03







ILN 000
2003.01.29 Tokyo(東京)
成田からパリに向けて出発する。いつものことだが、出発の数時間前に荷物をまとめ、そのままタクシーに乗り込み東京駅へ向かう。持って行く荷物は、季節による衣服の違いと、作業を含むのか、ミーティングだけなのかの違いだけで、だいたいいつも決まっている。飛行機の中ですることもだいたいルーティン化されている。ブラディーマリーを頼み、映画を見て、本を読んで、寝るだけ。ローリングストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツが雑誌のインタヴューで、「ワールドツアーでいろいろなところに行って公演している時は、さぞかし楽しいでしょう?」という質問に、「毎朝起きて、ドラム叩いて、ホテルに帰って、寝るだけさ。」と答えていたのを思い出す。

ILN 001
2003.01.31 San Sebastian
パリのシャルルドゴール空港で2時間ほどトランジットの時間を過ごした後、スペイン、バスク地方の都市、サンセバスチャンに着く。昨年の暮れ、今回展示を行なう美術館の下見に来た時以来だ。ここの美術館で行なわれる展覧会に参加するためなのだが、数カ月前に幾つかこの町のパブリックな場所でのプロジェクトをプロポーズしたが、やはり政治的な問題、特にETA(バスク解放戦線)関係の巻き添えになるとも限らないとの理由で、キャンセルされたため、模型とアーカイヴの展示になった。同じスペインでも言葉も文化も違うバスク地方の文化、経済の中心都市であるこの町は、どのようにしてバスクの文化を残すかということが、同様の意味でここからアクティヴな文化活動を発信していこうとすることに繋がり、町には、古い町並みと多くの現代建築や文化施設が共存したかたちになっている。(同じバスクの都市、ビルバオもまた文化発信をこの地方の政治的プロパガンダとして用いているように見える。)先回来た時、カメラ片手に町をうろついていたら、やはり、こちらをいろんなところから見ている視線が気になった。特に路地裏などに行くと、部外者だとわかると、途端に身構える人たちが多かった。それなりの緊張感がある町であることは、確かであった。展示は、それほど問題なく3日間で終わり、この町で、あるいはバスク地方ではヒーローである彫刻家チリダの、海岸の岸壁にある彫刻を見に行った。海岸に打ち寄せて来る荒々しい波と戦っているような巨大な鉄の固まりが、そこにあった。

ILN 002
2003.02.09 Den Haag
オランダ、デンハーグの町にあるストローム視覚芸術センターで、写真家のレオ・ファンダークレイと二人でアーカイヴの展覧会を行なう。彼は私が主にヨーロッパでプロジェクトを行なう際にドキュメントを撮ってもらっている写真家である。すでに15プロジェクトで約6,000枚の写真を撮っている。これらをデーター化し、パソコンで自由に一般の人が閲覧できるようなシステムをつくり、それと実際の写真を組み合わせた展示を、今回行なった。またこの場所は、彼と初めて仕事を一緒にした1986年の「スプイ・プロジェクト」のサイトでもあった。すでに17年前になる。そのような理由から、是非ともここで彼とアーカイヴを立ち上げようということになった。オープニングには多くの懐かしい人たちが来てくれた。17年ぶりに再会する人もいた。当時、このプロジェクトのプランのためにつくった、企画者の美術館・館長に差し上げた作品を、彼が故人になってしまって身寄りもなかったため、預かっていたという他の美術館関係者が、この機会に持って来てくれた。今回はそのような作品も数点展示した。確かに懐かしい作品だったし、彼のことを改めて思い出した。

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ILN 003
2003.02.10 Basel
今年スイス、バーゼルの町で行なう予定のプロジェクトの最終的な打ち合わせのため、オランダ、デンハーグからICE(InterCity Express)で、バーゼルに到着する。2日かけてミーティングした結果、時期と予算の問題とで来年(2004年)に延ばすことにする。個人的にこの決断は良かったと思う。あまりにも短い期間に全てをオーガナイズするのはいろいろ無理があり、プロジェクトとして結果的にあまり成功しないものだからだ。そのかわり、来年にかけて様々なことを行なうはめになってしまった。地元の建築学校の学生とのワークショップや美術館での仮設の展示、その他いろいろなレクチャーやらプレイベント等で、一つのプロジェクトを行なうまでにいろいろなことを同時にやらなければならない。これは最近の傾向でもある。そのために当初の予定より足繁く通わなければならなくなった。

ILN 004
2003.02.11 Liechtenstein
バーゼルからチューリッヒに電車で行き、そこからまた東に向かい、ドイツとオーストリアとスイスの国境沿いにあるリヒテンシュタインの町に着く。ここのデザイン工科大学で、今晩レクチャーを行なった。大学の建物は、以前の繊維工場を改造したもので、モダンなデザインである。100人ほどが入れる階段式の教室で、ビデオやプロジェクターを使用し、自分のプロジェクト、特にスイスでこれまで行なって来たプロジェクトを簡単に紹介する。レクチャー終了後のパーティーで、ここでワークショップができないだろうかとの依頼を受け、来年バーゼルで行なう予定のプロジェクトに、ここの学生が参加できるようなアイディアを話す。

川俣:リヒテンシュタインはライン川の上流にあたり、これがスイスへと流れ、ベルンなど、いろいろな町を通過してバーゼルまで辿り着く。例えば学生が自前の船をつくり、ここから一年かけてライン川を学生と下り、来年の春にバーゼルまで辿り着いて、バーゼルの僕のプロジェクトに参加するというのはどうだろう?

教官:面白いね…!?

ILN 005
2003.03.20 Strasbourg
パリからストラスブールへ向かう。この町のライン川沿いに新たにできる公園計画の指名コンペ参加のため、現地調査に訪れた。ドイツとフランスの国境の川に架けられた橋。その両岸の川沿いに公園ができる。この新しい公園計画の一環としてアートワークスをここに設置するため、5人のアーティストが選ばれた。その下見と打ち合わせに初めてストラスブールの町を訪れた。ドイツのようなフランスの町。歴史の中で何度も両国に占領され続けた古い町並みにウルトラモダンな市電が走っている。

ILN 006
2003.03.22 Sant Thelo
フランス、ブルターニュ地方の内陸にあるサンテロー村。人口約300人のこの周辺では小規模の村だ。しかし以前は、繊維産業が盛んで、村の至るところにその名残りの施設がそのままの状態で残っている。近年、この村は養鶏産業に移行したが、川の汚染と人口の過疎化がこの村の新たな再生をフランス基金に託した理由でもある。そこから私のところに、何らかのアートプロジェクトでこの村を活性化して欲しいという依頼が来た。何がこの村で可能なのかを調査するために訪れる。村の中心に美しい教会があり、その隣にカフェバーがあり、村役場と小学校がある。この地方の典型的な村のつくりである。40代の若い村長に会い、そこのバーでいろいろ話をする。さて何ができるかだ。

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ILN 007
2003.04.27 Moyland
モイランド美術館でのプロジェクトのために現地に入る。宿泊所は、以前精神病院だったところで、現在は、展示とレジデンスを兼ねたアートハウスになっている。しかし建物内部には、以前病院だった痕跡が至るところにある。二重窓で鍵が掛かるようになっていたり、白く塗られた壁には、いろいろな歴史が隠されているよう気がする。この周辺には、以前50以上も同じような建物の精神病院があり、ドイツでは有名な地区である。そしてここが有名なもう一つの理由に、第2次大戦中、ナチスドイツのガス室のガスの調合実験に、ここの精神病患者が多く使われたという歴史がある。どうもそのようなところにいつも縁がある。ここに私も滞在しながら日本の学生5人とドイツ、オランダの学生10人が3週間一緒に生活し、作品をつくり、展示を行なった。

ILN 008
2003.05.15 Schenthal
スペイン、ヴァレンシアでの打ち合わせからパリに戻り、夕方そのままバーゼル行きの飛行機に乗ろうとしたらすでに出発後で、仕方がなくジュネーヴ経由で行くことにした。ジュネーヴ空港に到着後、そこからなんと2時間半も掛かってオルテンという駅まで行く。そこでクリストフ(スイスでの私のプロジェクト・コーディネイター)に会い、友人の車でシュ−ンタ−ルに向かう。着いた時には午前0時をすでに過ぎていた。街灯もない山の中で、夜空に星空がくっきり見える。牛の首輪についた鈴の音だけが時々聞こえる。

ILN 009
2003.06.01 Valencia
二度目のヴァレンシア、今回はインスタレーションの実地制作だ。展示会場は、港の近くの以前シップヤード(造船に使用していた倉庫)だったところ。そこの入り口付近に、約20隻の廃船をランダムに並べたり、組み立てたりした。大きなクレーンで吊り上げながら船を組み立てる。設置作業もさることながら、この廃船を集めるのが大変だった。友人の知り合いのアーティストが、一カ月掛けてヴァレンシアやその付近の港をリサーチし、集めたものだった。

ILN 010
2003.07.21 Mallorca
新潟、妻有のプロジェクトの作業を終え大学で一日講義し、その日の夕方北海道に打ち合わせに行き、そのまま成田からロンドンに向けて日本を脱出する。移動の連続で、落ち着かない。唯一飛行機の中ではボーッとしている。高度1万メートルの上空では、何が起きても何もできないだろうから。そしてロンドンに着く。翌日、なぜかこの季節にしては肌寒いロンドンのガトウィック空港からチャーター機でスペイン、マヨルカ島に着く。ただただ広く長いマヨルカの空港を出ると、ここはすでに真夏の観光地。レンタカーを借りて赤茶けた耕地を横目で見ながら、ハイウェイで島を突っ切る頃には、いつのも夏の生活に入っている自分に気付く。

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ILN 011
2003.09.07 Nougata(直方)
福岡県直方市の谷尾美術館で地域の子どもたちのためのワークショップを行なう。直方の町も30数年前までは、炭坑で賑わっていたはずだ。当時の名残りのような以前は病院だった古い木造の洋館風の建物を利用して、地域の美術愛好家が町に寄贈した作品をメインに展示する美術館をつくった。床がギシギシ鳴る2階展示室で20組ほどの親子と一緒に絵を描くことにした。親と子どもが一枚の絵を同時に一緒に描いていく。町の風景だったり、近所の建物、自分の家などいろいろなモチーフが画用紙の両角から描き込まれていく。中には、親の描いたところが気にくわないのか、子どもが自分で勝手に描き加え、それをもう一度父親が直すと、子どもが怒り、また描き加え、最後は何を描いたのかわからなくなる絵もあった。わいわい喧嘩しながら子どもと親が一枚の画用紙の中でクレパスを走らせる。親の反応、子どもの対応、それらが面白かった。

ILN 012
2003.09.18 Akaike(赤池)
福岡県田川郡赤池町にある「天郷青年の家」に、コールマイン田川のプロジェクトスタッフや参加者が滞在することになった。築40年の木造建築で、保存と解体の間で揺れている。多人数が宿泊でき、トイレ、台所、風呂と、全てが備わっていて、今までこのような宿泊所があることすら知らなかったことを悔やむぐらい、この場所が気に入った。木製の二段ベッドで寝るのは、大学生の頃、ヨーロッパのユースホステルを渡り歩いていた時以来かもしれない。あの頃は、安ければどこででも寝た。友人が引っ越す前の家具もないがらんとした部屋で一ヶ月ほど滞在したこともある。二段ベッドは、そんな昔のことを思い出させてくれる。この木造の寄宿舎は、時々学生がクラブの合宿などで使っているという。部屋でベッドに横になると、トイレの臭いで寝られないので、扇風機を回しながら寝ることにした。

ILN 013
2003.09.30 Iwamizawa(岩見沢)
北海道岩見沢市から招かれ、岩見沢市民大学でレクチャーを行なった。生涯学習の目的で行なわれる連続レクチャーで、参加者はおおむね高齢者が多く、元教師、定年退職者、主婦などで、かなり専門的な質問が出てきて驚かされる。こちらの解答が上手く伝わらない時は、自説を堂々と話し始める人も出てくる。
 一般の人たちの向学心の強さと現代美術に対しての知識、そしてそれらの社会的な位置付けについて、それぞれ自分の考えを頑固に持っている。こちらの一般向けの簡単な解答に対して、あからさまに不満げな顔をする人もいた。一般の人々、市民の知的教養レベルを軽んじてはいけない。「現代美術の初心者のための入門書」などという本を買う人も、またそのような本を書く人も、ここに集まった初老の一般人に比べたら、何もわかっていない人たちであることだけは断言できる。結構熱い二時間だった。夜遅くなったため、各自早々に帰宅していく。自宅に戻ってから今晩のレクチャーのことを家族に話すのだろうなと思いつつ、私も複雑な気持ちで友人たちと夜の町に出ていった。

ILN 014
2003.10.04 Warsaw
ワルシャワ市内にあるコンテンポラリーアートミュージアムに私のコミッションワークが完成したため、オープニングに出席した。以前は地下の廃水貯蔵タンクだったところを、水が流れ、一時的に貯まる場であったことからメタフォリカルに考えて、ここをアートの一瞬の流れを垣間見るための場として活用できれば良いのではないかと思い、オルタネイティヴスペースとして活用することを提案した。
 外回りを掘り進んで行くにつれ美しいレンガ壁が出て来て、それを壊さないよう、慎重に発掘作業が進められた。内部のレンガ壁を綺麗に磨いて、入り口をつくり、階段を組み立て、その上に大きなガラスの屋根を被せて囲い、一年かけてようやく完成した。
 内部は暗く、スポットライトが活きる空間で、演劇、パフォーマンスなどにはもってこいの場所だ。ポーランドのアンダーグラウンドカルチャーは、先鋭的で活発であると聞いていたので、是非ここをそのような活動の場として使用して欲しいと思った。早々、地元の若いアーティストによるパフォーマンスのプログラムが組まれることになった。

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ILN 015
2003.10.07 Lyon
フランス、リヨンに行く。パブリックプロジェクトのコンペに招待され、建築家との打ち合わせと現場下見が目的であった。フランスの作家、ダニエル・ビュランの噴水や駐車場の巨大なパーマネントインスタレーションは、見応えがある。こんなところでこんな仕事もしていたのかと、改めて彼の凄さを思い知る。リヨンは、90年代にビエンナーレが始まり、その第2回目に参加するため3週間滞在した時以来であった。しかしそれ以降、この町は大きく発展している。そしてその都市計画の一部にビュランを含めた多くのアーティストが参加しているのも特徴的である。今回私に依頼されたのも駅前広場の再開発計画案であった。今までのアーティストとは違う作品アプローチをここで考えたいと思う。建築家は私のプランを面白がっていたが、それがコンペに通るかは別問題だろう。地元の受け入れは、果たしてどのように転ぶか。

ILN 016
2003.11.25 Kyoto(京都)
京都のバーでカフェトーク。京都在住の作家で、臭覚的な作品が特徴の徳田憲樹氏と久しぶりに会う。彼と最初に会ったのは、1988年に京都で行なったプロジェクト「比燕荘」にまだ学生だった彼が参加してくれた時だった。それ以来、会う機会もなかったが、昨年京都の大学でカフェトークをした際に、一番前で聞いていたのが彼だった。久しぶりにいろいろ話をしたいと思い呼び出した。10人も入ればいっぱいになる小さなバーを借り切り始めたトークは、カフェではなくアルコールの勢いも手伝って、話がいろいろな方向に飛ぶ。最後は両者相当に酔っぱらってしまう。たまにこのようなカフェトーク(バートーク)もあっても良いかも。

ILN 017
2003.12.15 Yamagata(山形)
山形には、実に40年ぶりに訪れる。父が山形県出身なので、子供の頃に何度か北海道から青函連絡船と列車を乗り継いで帰省して以来だ。現在は新幹線で東京から数時間で来れてしまうので、あまり個人的な感慨はない。
 今回の目的は、山形市内にある東北芸術工科大学でカフェトークを行なうことだった。ゲストは、民俗学(東北学)の赤坂憲雄氏。初めて会うその大学の教官でもある人をゲストとして、こちらが出向いてホストをするというのはどうなんだろう。当たり前のことだが、学生は、ゲストである教官の赤坂さんより、外から来た僕のほうを知らないだろう。なんだか逆転したポジションのまま始める。東北を一地方として見るのではなく、インターローカルにここでの出来事、歴史、風習を、この地方独特という言い方の枠を越えて考えていこうというところに共通の考えを見い出し、共感を覚えた。山形に来て良かった。

ILN 018
2003.12.22 Chiba(千葉)
千葉の浅井病院に行く。「文化祭」への参加、展示。どこでも見かける農業用のビニールハウスを組み立て、その中で幾つかのワークショップを行なう。学生が企画した風鈴制作や似顔絵教室など、患者さんやその家族、一般客にも参加しやすいものを考えた。結構盛況で多くの風鈴がビニールハウスの骨組みに吊るされた。これらのことも含め、ここでもう少し精神医学とアートのかかわりを考え、いろいろな活動をしていきたいと思う。なぜならどこか精神病と芸術家は、切っても切れない関係があるように思うから。精神疾患がアーティストの表現に影響していることは、いろいろなところで語られて来てはいるが、果たしてアートが精神病に与えるメリットとデメリットはどのへんにあるのかなど、考え出したら興味が尽きないサブジェクトだ。

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ILN 019
2004.01.04 Basel
バーゼルでの建築ワークショップ。バーゼル美術大学建築学科とリヒテンシュタイン建築学校、芸大の私の学生とで総勢30名の参加。今日から10日間、バーゼルの町をリサーチし、そこにイリーガルにアートプロジェクトを個々の学生が幾つかのグループに分かれて行なうことにした。
 国も大学も違う初めて会う学生たちがグループワークをどのように行なっていくのか、またそこからどのようなものが出て来るのか楽しみだ。
 このワークショップでの決まりとして、朝9時から始め、夕方7時頃に全員で夕食を食べ、その後に各グループがプレゼンテーションを行なうことを義務付けた。夕食は、学生が交代で食事当番を担った。結果的にみんなで食事を共にすることは、意外にグループ意識と全員のまとまりに効果があった。単純にお金がないことから始めたが、毎回の夕食時に全員の顔を見て話ができたことが良かった。もちろんその都度の食事もまあ(?)美味しかった。

ILN 020
2004.01.10 Budapest
寒い朝、バーゼルからブダペストに向けて飛行機に乗る。
 機内から見た風景は、ゆったりとした畑が続きその中に点在する東ヨーロッパの町並み。初めてのブタペストの町は、厳格な東欧の雰囲気を持ち、格調高い建物に囲まれた少し広いプロムナードが町を貫いている。初めての町では必ずその町のカフェに入る。高い天井で古いテーブルと椅子が整然と並んでいて、その幾つかの隅に何人かの客が静かに座っている。新聞を読んでいる人もいれば、黙って外を眺めてコーヒーを飲んでいる老人もいる。とにかく静かだ。この雰囲気がどこかで町の人々の生活に於けるクオリティを感じさせてくれる。
 ミーティングは、いたって簡単に済み、一人でまた町中に出る。夕暮れのまだ氷が川面に浮いていて、それがゆっくりと流れているドナウ川を眺めながら、ここで一体何ができるのかをしばし考えた。

ILN 021
2004.01.13 Wisberden
ドイツの小都市で、それほどバーゼルから遠くない温泉で有名なウィスバ−デン。ここは多くのドイツ人がしばしの休養を兼ねて訪れる町。
 ここにあるウィスバ−デン美術館で2006年に私の展覧会を企画したいとのことで、打ち合わせに来る。古い美術館だが近年、多くの重要なミニマル、コンセプチュアルアートの展覧会を行なったことで有名である。その意欲的なディレクターは、意外にもさっぱりとした人柄で私を出迎えてくれた。現在、リニューアル中の美術館内をひと通り案内してくれて、「さて君はここで何ができるのかな?」との質問。あまりにも単刀直入な質問に少々戸惑ったが、それなりに答えておく。これぐらいのことは、常に準備しておかなければ。しかし少し冷や汗が出た。

ILN 022
2004.01.16 Paris
パリの画廊で今年の秋、プロジェクトを計画。そのための打ち合わせに画廊のあるオデオンに行く。オデオンの有名な劇場のすぐ近くにあるそのギャラリーは、主にパブリックアートのコミッションをしており、アーティストを紹介し、サポートしている。リヨンに新しくできたビュランの噴水や駐車場、ミッシェル・ベルジューの丸いライトワークス、その他いろいろなアーティストと仕事をしている。
 今回は、このギャラリー付近の工事現場に合わせて、インスタレーションができないかと言うオーダーである。確かにギャラー前のオデオン劇場では、一年前から改修工事が行なわれている。これに合わせて何人かのアーティストが実際にアートプロジェクトを行なっている。さてここでこのような条件の中で自分がどのように関わるかを考えることはいつものことだけれど、楽しくもあり、しんどいことでもある。

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ILN 023
2004.01.20 Rennes
フランスの西のブルターニュ地方にあるレンヌという町の美術学校でレクチャーを行なう。今年の夏に学生を主体にしたワークショップを行なうため、その呼び掛けも含めて、この美術学校で自作の紹介とワークショップの説明会を行なった。200人ほどの学生が階段式の講義室に集まり、熱心に聞いていた。
 英語で話して、それをフランス語に通訳してもらった。しかし実際のワークショップでは、英語がメインの言葉になるので、学生は英語での会話が可能であることが条件になる。以前はフランスの学生は、あまり英語は得意ではなかったが、近年はいろいろな国の学生が学校に出入りすることによって、英語が必修にもなっている。流暢な学生、フランス語アクセントの英語などいろいろ聞けるのもこのような大学の魅力でもある。それに比べたら確かに日本の大学は、まだ外国人留学生に対して門戸が開けてないように思える。なぜなら教師の語学力にどうしても左右される。この辺りが改善されない限り、大学の国際化なんて形式だけでしかないだろう。

ILN 024
2004.01.21 Saint Thelo
フランス、ブルーターニュ地方の小村、サンテロ−で今年の夏に行なうワークショップのための住民に向けたプレゼンテーションを行なう。ここであまり反応が良くないと、実際のワークショップの実現が危ぶまれるので、始まる前は落ち着かなかったが、心配には及ばず、会場がいっぱいになるほど住民が参加しており、反応はヴィヴィッドだった。実際、ワークショップの説明が始まってからも、熱心に質問してくる老人がいたり、ホームステイ先の学生の人数の質問など、すでに受け入れに向かって動いているような印象も受ける。プレゼン終了後のカフェで、村長のほっとした顔が忘れられない。

ILN 025
2004.01.22 Thier
南フランス、テイエ−ルにあるアートセンターに行く。もう随分前から、仕事のオファーが来ていたが、なかなか行く機会がなかった。今回は、そんなものをまとめて行なってみようと思った。ここの館長は、私が初めてフランスでプロジェクトを行なった1987年にグルノーブルの美術学校の校長だった人で、その時々に連絡はもらっていたもののなかなか一緒に仕事ができないでいた。
 そこで思い切って来年、しかもここら周辺の幾つかのアートセンターと同時開催で行なうことにした。場所は、山の上にある城。すでにかなり歴史的な建造物でその内部を最低限に改造して展覧会場にしていて、コンテンポラリーなものだけを行なっている。
 ヨーロッパには、このような歴史的建造物の再利用が多い。そして必ずそこでは現代的な催し物を行なっている。この外部と内部のミスマッチのような使い方が訪れる人を興味深くしているとも言えるだろう。
 さて、ここで私は何をしようかと、考えながらぶらぶら建物の周りをまわる。

ILN 026
2004.01.24 Lyon
リヨンでのパブリックプロジェクトのオファ−をもらい、現場を見に行く。早々建築家と会い、現場のいろいろな条件を知らされる。ここまでいろいろな条件がわかっているなら、何か面白いことを建築家自身が企画することぐらいできるのではないかとも思うのだけど、やはりそこにはどうしてもアーティストのアイディアが必要だと言う。ソフトに対する企画の責任転嫁、などと言うこともなく、勝手にいろんな考えをその場で話す。まずは、ブレーンストーミングのようなことだろう。

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ILN 027
2004.01.27 Toride(取手)
東京芸大先端芸術表現科の学生の講評会。作品が幾つも並べられている。その前に学生が立って、自作をプレゼンテーションする。このプレゼンも以前に比べれば上手くなった。最初の頃は、自分が何をしたいのかも説明できず、こちらがしびれを切らして、彼らの考えを言葉化してあげることもたびたびあった。もちろん美術大学に来る連中というのは、やはりどこか自分に関してナイーブで、甘えもあり社会性が乏しいのが多いことも事実である。変にプレゼンテーションが上手いヨーロッパの学生とは比べものにならないが、しかしそうは言っても結局内容であることは確かだ。どんなことを今考えて、何を表現しているのかということを言葉以上に上手く説明するものは、やはり作品そのものである。

ILN 028
2004.01.31 Yokohama(横浜)
PHスタジオの池田君からの連絡。横浜で今年、何かいろいろなイベントを企画しているとのこと。みなとみらい線で横浜に行く。随分久しぶりの横浜だ。
 ここで彼が横浜市から依頼された仕事は、歴史的建造物を使って何か文化的な催し物をしていくスペースに改造するためのソフトを組み立てることだと言う。今年は全ての時間を横浜に使うとのことで、随分意気込んでいた。僕も何か協力できることはしますと言って彼を励まして来た。建築からアートプロジェクトまで手掛け、今度は都市再生のソフト管理運営を行なうという。昔からよく知っている連中なので、手助けしてあげたいとは思う。しかし具体的なことは、まだこれからのようだ。

ILN 029
2004.02.05 Nezu, Tokyo(東京根津)
日本医科大学付属病院に行く。そこの精神科を訪ねるため。昨年から「地域精神医療と芸術表現」というタイトルで大学院の学生と共にゼミを行なっている。これは、統合失調症を含む精神病と呼ばれているものと芸術表現の関わりを患者さんと共に幾つかのワークショップを行ない、そこから導き出されたデーターをもとに精神疾患と芸術表現の新たな切り口を見つけていこうというもの。
 もちろんこれはあくまでも芸術医療、芸術療法ではない。ましてや最近盛んに言われているアートセラピー的な介護の切り口を求めているのでもない。より具体的に患者さんと付き合うワークショップでいったい何が見えてくるのかを突き止めるものである。とにかく時間をかけていろんなことを彼らと行なっていこうというものである。その下調べで、今回この病院の医師の紹介で精神科を訪ねに来たのである。

ILN 030
2004.02.13 Umeda, Osaka(大阪梅田)
カフェトークのために大阪梅田にあるビルの最上階に行く。個人経営の美術専門学校。工房のような感じだ。ここにもアーティストを目指す多くの学生がいた。ここでドイツのデュッセルドルフに長く住んで、最近は大阪とドイツを行ったり来たりしながら制作を続けている彫刻家の植松圭二さんと話すためだった。
 久しぶりに会い、いろいろなことを話した。主に80年代にドイツで会ったことから日本とヨーロッパでの制作、発表の違いなどを二人で話した。会場からも幾つか興味深い質問も出た。三階の部屋で、高速道路と同じ高さのため、話し疲れて二人が沈黙すると、ゴーという音が微かに聞こえた。

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ILN 031
2004.02.14 Osaka(大阪)
昨年、大阪の今は使われていない地下鉄工事現場で行なわれた「湊町アンダーグランドプロジェクト」の検証を兼ねたシンポジウムに参加。基調講演の後、公開討論になる。キリンプラザの中のホールを借りて行なったディスカッションは、ビデオの記録上映会から始まり、結果的にこれがどのような意味、意義を持っているのかということをみんなで考えるというもの。
 都市論的な切り口、環境問題に対するアプローチ、大阪のパブリックアートに対する法的基準などいろいろな話が出るが、このようなプロジェクトはとにかく引き続き断続的に行っていかなければ、意義を見い出すまで行かないだろうということを話した。とにかく継続して行なっていくだけであると思う。その活動のスタンスからいろいろな理解者、協力者が現れてくるような気がする。

ILN 032
2004.02.17 Ochanomizu, Tokyo (東京お茶の水)
長谷川逸子さんの建築オフィスのディナーに参加する。長谷川さんの手料理が食べられるということでいろんな人が来ていた。九州から帰って来たダン・グラハムの帰国前の送還会のようなものだったが、しかし当の本人は、どうも体調が良くないらしく8時頃にはホテルに戻ると言い出し、せっかく彼のために来てくれた連中をそのままにして、さっさとホテルに戻って行った。

ILN 033
2004.02.19 Paris
またパリに来た。寒い寒い。どうもまた花粉症になったようだ。目も鼻もしょぼしょぼしている。ジルに電話したら、彼も風邪をひいて声が変わっていた。夕方、夕食を共にする。今回の南フランス行きのスケジュール調整、サンテローの打ち合わせなどをする。

ILN 034
2004.02.25 Strasbourg
フランス、ストラスブールでのコミッションワーク制作のために来る。そしてここで私と同じように制作している音楽家の鈴木明男さんに会い、ホテルでカフェトークを行なう。観客は私と彼の関係者で三名。ロビーにある長椅子を勝手に占領して行なう。音楽の話やそのためのインスタレーションの話。鈴木さんが日本で住んでいる村の話など、大変面白い話が聞けた。
 音楽家の感性というのはやはり美術家とは違うものがあると思った。

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ILN 035
2004.02.29 Saint Etienne
ストラスブ−ルでの作業の合間を見て、電車でパリを通らないルートで直接リヨンに着き、そこからサンテチェンヌに来る。しかし約5時間の普通電車の旅は、やはり疲れる。しかし電車の窓から外の風景をぼんやり眺めているのは好きだ。いろんなことをその都度考える。以前の仕事のことやこれから行なうプロジェクトのアイディアなどが、ひょんなことから浮かんでくるのもこのような時だ。移動時間の中途半端である時間が逆に何かイメージを広げる気分をつくってくれているのかもしれない。僕にとっては貴重な時間だ。

ILN 036
2004.03.03 Paris
パリのオデオンでプロジェクトのためのミーティングを行なう。「ホワイトナイツ」という毎年9月に一日だけ行なわれる、パリの町を使った約60の野外プロジェクト。これに参加することによって、市から道路許可や架設建築許可を取ろうというミーティング。
 この「ホワイトナイツ」の総合キュレイタ−は、以前妻有トリエンナ−レの審査の時に一緒だった彼で、久しぶりに会い、いろいろ話をして、まずは何とか協力してもらえることになった。こんなところでこのように繋がるとは、やはりアートの世界は狭いと思った。

ILN 037
2004.03.13 Utsunomiya(宇都宮)
一日だけのワークショップを宇都宮で学生と行なうため、朝早く上野を出発する。栃木県馬頭町の木造小学校だったところを改装して美術館にしたNPO法人「もうひとつの美術館」が、今回我々を呼んでくれた。教室をそのまま展示室に使用していて、主に知的障害者の美術を展示している。今回のワークショップも彼らを中心に行なわれた。芸大先端の学生が一人ずつ、幾つかの小学生を中心とした子供たちのグループに付いて、紙芝居を制作することにした。わいわい話しながら紙にクレヨンでストーリーを書いていく。最後に発表会を行なった。それぞれみんな面白く、関わった学生も楽しんでいた。一日だけだったけれどそれなりに収穫のあったワークショップだった。

ILN 038
2004.04.07 Mikasa(三笠)
コ−ルマイン田川・春の企画として、「北海道空知炭坑遺跡見学ツアー」を行なう。その最初の地の北海道三笠市に着く。僕の中学校時代の友人が三笠市役所に勤めていて、彼の関係で今回のツアーも決定した。旧炭坑町を巡るツアーは以前から考えていて韓国でも行なったが、北海道は初めての試みだ。幾つかの町をバスで巡る。その町ごとの産業遺産にあたる立坑、炭住、その他の施設等を、解説ボランティア付きで二日間のスケジュールでまわる。

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ILN 039
2004.04.08 Akabira(赤平)
ツアーの二日目。小雪まじりの天気の中、赤平の炭坑から始まり、小学校を改造して美術館にしたアルテピアッザ美唄などを訪問する。その後、夕張の石炭資料館などをまわり、三笠の民宿に戻る。ほとんど炭坑漬けの二日間だ。しかし改めて北海道の旧炭坑町と九州との違いを、単なる風土的なこと以上に規模やそこで働いていた人たちの生活状況などから感じる。やはり北海道は、大企業資本における炭坑開発で、全く未知の土地を炭坑という資源採掘のために切り開かれた。そのために使われた多大なエネルギーの痕跡を今回は見たことになる。しかしその規模はやはり膨大であった。

ILN 040
2004.05.02 Toyota(豊田)
豊田で行なっているWork in Progress(WIP)の定期的なミーティングに参加する。今年の夏に組み立てる構築物の構造的な説明から作業を手伝ってくれる学生の宿泊場所まで細かく打ち合わせをする。今年は美術館から予算も出ることになり、構築物制作も現実的になってきた。それに向けてパブリックな場にある構築物ということから、安全面、法基準などがメインの打ち合わせ内容になってきた。建築家、大工さん、市の関係者などを招いて意見を聞く。

ILN 041
2004.05.06 Bern
スイス、ベルンの建築学校でレクチャーを行なう。バーゼルから電車に乗り、約1時間でベルン郊外にある建築大学に到着。誰も迎えに来ておらず、小雨混じりで肌寒く、ましてや少し早く着き過ぎたため、会場には誰もいないし、ポスターさえ貼られていない状態。不安になりつつ、とにかくレクチャーが夕方からなので、腹ごしらえをしようと一緒に来たクリストフとノアとで近くの中華料理店に入る。ベルンでの最初のレクチャーの前に中華を食べるとは思わなかった。食事を終えて、会場に入るとさっきとはうって変わって会場は学生で満員だった。

ILN 042
2004.05.13 Trondheim
ノルウエーでのレクチャーツアーが始まった。バーゼルからコペンハーゲンで飛行機を乗り継ぎ、5時間かけてノルウエーのトロンドヘイムという町に着く。曇り空で雨が降っていて、コートを着ていても肌寒い。空港で迎えてくれた大学の教授は、自分も絵を描く作家であると自己紹介してくれた。ホテルにチェックインして簡単な夕食を取り、そのまま今晩のレクチャー会場に行く。この町の建築家協会主催のレクチャーシリーズの一つに僕が入っていた。

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ILN 043
2004.05.14 Trondheim
トロンドヘイムでの二日目のレクチャーは、ここのノルウエー工科大学(NTNU)建築科主催のレクチャー。レクチャーが終わり、今回僕を招待してくれたエ−リング氏の自宅に夕食に招かれる。実は奥さんが日本人作家ですでに20年以上もこの国に滞在していると言う。丘の上に立つ木造の家から白い雪を被った山並みが見える。ここで日本人に会うことさえ考えていなかったため、日本語が思うように出て来ない。

ILN 044
2004.05.30 San Gimignano
スイス、バーゼルから寝台車でイタリアのフローレンスへ行く。朝まだ早い時間にフローレンス駅に到着。眠い目を擦りながら迎えに来てくれる今回の展覧会オーガナイザーを待つ。彼女が来るまで駅前をひとまわりする。フローレンスは、学生時代にルネッサンス絵画を見に来た時以来で、イタリアでのプロジェクトは、プラトー以来だ。

ILN 045
2004.06.03 Enghein
フランス、パリの郊外にある避暑地オンガンで行なわれるビエンナーレに参加した。今日はそのオープニングの日。バーゼルから電車で5時間。ヨーロッパ内ではなるべく飛行機に乗らず、電車で移動する。その間の時間にいろいろなことが考えられるからだ。5時間の間に外の風景をぼんやり長めながらいろんなことを考える。朝からビールかワインを飲みながら一等車の人もまばらな客席でぼーっとしている。この時間は自分にとっては何とも言えない至福の時間でもある。プロジェクト作業中にたびたび他の国を訪れるのも、このような時間を持ちたいためでもある。

ILN 046
2004.06.12 Basel
スイス、バーゼル市内の美術大学にあるゲストハウスに住んで6週間が経て、今日出ることになった。ここからプロジェクト現場まで3分。近くにはスーパーやバー、レストランもあり快適だった。毎日プロジェクトの打ち合わせやその他のことで多くの友人がここに来た。飲んで食べて夜遅くまでうだうだする。ここでアートフェアに出品する作品もつくり、搬入し終わり、部屋の荷物をまとめて近くのホテルに着く。一段落だ。

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ILN 047
2004.06.15 Shoenthal
バーゼルアートフェアの喧騒から車で一時間ほどの山の中にあるシェンタールという村へと移動する。ここでこの夏に着工するプロジェクトの具体的な打ち合わせと最終チェックを行なう。しかしこのプロジェクトも数年かけて行なうものになるだろう。なぜなら山の中にある納屋を改造して家ごと作品にしていこうといもので、当然いろいろな法規制がある。特にスイスは、風景に対しての新たな介入に、周りの人たちからの了解が必要で、簡単に新しい建物など建てられないことになっている。そのためどのような制作スケジュールになるか、まだわからない。まあここらで少しのんびりスイスの山並みを見て過ごすのも良いかもしれない。

ILN 048
2004.06.22 Saint Etienne
朝、フランス、リヨンに飛行機で到着し、そのまま建築家とコミッションワークの打ち合わせを行なう。その後、次の打ち合わせのために電車でサンテチェンヌに向かう。
 いろいろなことを同時に行なっているので、持っていく資料だけでもかなりのボリュームになる。そしてまたその場でいろいろな資料をもらい、打ち合わせ後は鞄が一杯になり、たまに新しい鞄をその場で買うこともある。この日も多くの資料を抱えながら電車に乗り込んだ。

ILN 049
2004.07.10 London
午前に成田を出て、夕方イギリス、ロンドンに着く。その夜、久しぶりにリチャード・ウイルソンとテリ−・スミスに会う。リチャードがサイトスペシフィックなプロジェクトで食べていくことが、イギリスではかなりしんどいことだと嘆いていた。それもそのはずで、彼が行なっているのはかなり大掛かりなものばかりで、採算が合うはずがない。仕事がそのようなのだからしょうがないと、自分も含めて彼らとビールを飲みながらいたわり合った。

ILN 050
2004.07.14 Mallorca
毎年行くスペインでの休暇の二日目。今年は、マヨルカにあるギャラリーでマケット展を行なうため、制作作業をしなければならない。今日、その材木が届いた。ガレージを解放してここで作品制作の日々が続く。毎日上半身裸で半屋外のこの架設スタジオで作業をする。昼からカンパリなどを飲みながらのんびりスケッチなどをしていると、なんだかピカソになったような気分。最も彼はアルコールを飲まない人だったが。

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ILN 051
2004.07.24 Port Colom
ポルトコロンにあるレストランで51歳の誕生日をイカスミライスと共に迎える。この日までに9点のマケットをほぼ完成させる。この日に合わせたわけではないが、三日後のオープンまで少しゆっくりしたいと思ったから何とか完成させた。

ILN 052
2004.07.27 Palma de Mallorca
パルマのギャラリーでオープニング。意外に多くの人が来る。ここでいろいろな国のアーティストに出会う。やはり避暑にここを訪れるアーティストが多いのだろう。タパスとワインで乾杯。

ILN 053
2004.07.28 Colle di Val d'Elsa
プロジェクトの再度の打ち合わせに、マヨルカからイタリア、フロ−レンスへ向かう。フローレンスからシエナ方面に向かって車で一時間ほどのところになる城壁都市、コルディヴァルデルサに到着。ここは今回私がプロジェクトを行なう町で、早々、市長に面会して何人かの人と打ち合わせを行なう。

ILN054
2004.08.04 Toyota (豊田)
今日から豊田でのプロジェクトに参加。既に昨日から作業は始まっている。
作業場になるところに竹で日除けをつくる。同じ骨組みを何組も組み立てるために定規のようなものを木材で組み立てる。しかしどうも上手くいかない。何個か組み立ててみると、それぞれの長さに少しずつ違いがある。その調整で随分と時間が取られてしまう。どのくらい精密に組み立てるかがいつも私のプロジェクトのディスカッションの対象になる。

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ILN055
2004.08.06 Tokyo (東京)
都内で雑誌プラクティカの対談。東大の西垣さん、世田谷美術館の勅使河原さんとで現在のアート状況を話す。今回のプラクティカは、ソ−シャルアート、コミュニティアートをテーマにして雑誌を組み立てていくようだ。自分の中でも興味のある対象ではある。
ILN056
2004.08.09 Tokyo (東京)
人間ドックに入る。年に一度、ここで身体検査を受ける。既に三年ほど続けている。血糖値、肝機能、いろいろ引っかかるものがある。50歳を過ぎれば誰でもそうだろう。長い間、いろいろな悪条件に耐えてきたこの自分の体に感謝。

ILN057
2004.08.23 Yokohama (横浜)
横浜BankArt にて絵本出版記念イベント。三年越しの絵本出版企画がやっとかたちになった。この企画で自分が思っていたことは「子供に媚びない」そのことのみだった。出版記念イベントで岡崎氏と対談。それなりに面白かった。

ILN058
2004.08.30 Saint Thelo
フランス、ブルターニュ地方の小村、サンテローでワークショップを開始する。
三年越しに古い廃屋2軒の再生を学生と一緒にプランして組み立てていいくプロジェクト。かなり建築ワークショップのようなスタイルでもある。フランス、ドイツ、オランダ、日本と様々な国の学生約30名が二週間、ここに滞在して、リサーチ、プランニング、村の人たちへのインタビューなどを通じて、全体構想を組み立てていった。今回は、最終的に模型や図面でのプレゼンテーションで終わったが、来年度は、実際の組み立て作業にかかりたいと思う。

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ILN059
2004.09.14 Basel
バーゼルのプロジェクト解体開始。サンテローから来た学生と共に川岸に組み立てた幅6メートル、長さ100メートルの長い木造テラスの床に張られた板を一枚一枚はがし、トラックに積み込む。汗と埃でみんな真っ黒になって作業を続けた。夜は、みんなの宿泊所でもある友人宅の庭でバーベキュー。みんな黙々と食べる。

ILN060
2004.09.15 Zuoz
ズオッツのホテルで今年の冬の作業打ち合わせ。6年前にここのホテルに組み立てた100メートルの橋と木造テラスに今回はエクステンドのテラスを加え、組み立てるというオーダー。材料は、バーゼルのテラスの解体した木材を一部買い取ってもらったもの。一つのプロジェクトが派生したり飛び火したりして次のプロジェクトに繋がる。このようなことは良くあることだ。特に材料のリサイクルは、本当に助かる。

ILN061
2004.09.18 San Gimignano
毎年トスカーナ地方の六つの村に6人のアーティストが設置した作品を、大型バス3台を連ねてツアーしながら見て回り、オープニングセレモニーを行なうという企画に参加。いろいろな町や村を訪れ、過去に参加したそれぞれのアーティストがどんなことを考え、どんな作品をその場で制作したかを知ることは、それなりに興味深いことだった。
ILN062
2004.09.21 Toride(取手)
東京芸大先端科大学院の入試が始まる。ポートフォリオの審査。最近は皆、ポートフォリオのつくり方も巧くなったものだ。以前は、自分の仕事をまとめるという発想もなく、ただ写真を束ねて提出してきたのもいるが、現在では既にこのビニールケースのファイルに資料を入れ、コメントを書き綴るスタイルが固まってきた感じだ。

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ILN063
2004.09.29 Basel
スイスのコレクターの庭にコミッションワークとして、テラスを組み立てる。その最初の作業日。既に基礎工事は終わっているはずだったが、まだもたもたしている。作品的には別段大掛かりなものではないが、庭の木や植物、花などにダメージを与えないで仕事をするのはしんどい作業だ。

ILN064
2004.10.05 Nantes
2006年に行なうプロジェクトのため、現場下見に来る。ナントの町から海岸へと向かう大きな川沿いに作品を設置することを決める。木造の長い桟橋を川岸から長く、川の真ん中まで組み立て、その上に蜃気楼のような町をつくるというプランだ。どこまで現実的かはわからないが、とにかくこのプランで進めてもらう。

ILN065
2004.10.19 Basel
先日制作した個人住宅の庭につくったテラスの完成チエックとそのお披露目のためにバーゼルに行く。オーナーは昨日まで休暇で居なかったため、今日初めて作品を目にしたわけだが、細かいことを一言言っただけで、おおむね満足している様子だった。やれやれだ。

ILN066
2004.10.22 Omotesando, Tokyo (東京表参道)
美術書店ナディッフで今年の夏に行なった豊田市でのプロジェクトの報告会。店内に椅子を置いて20名ほどの観客を前に暑かった豊田の夏の作業を思い出す。

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ILN067
2005.10.25 Kobe (神戸)
神戸で二日間、精神医療学会に参加する。医学の専門的な学会に参加するには初めてではあるが、すでに千葉の精神病院で長い臨床としてのワークショップを先端学生と共に行なってきたこともあり、ポスタープレセンテーションには、それなりに自信があった。学会終了後、みんなでホテルのロビーで今後のこと、方向性、臨床のスタイル、来年のエジプト、カイロでの国際学会に向けての準備などについて遅くまで話す。

ILN068
2004.11.02 Nogata (直方)
直方の女性市民団体の企画しているセミナーに講師として出席する。直方市は、田川市の隣り町で同じ炭坑町であった関係から何度か訪たこともあるが、今回は、現代美術というものをわかりやすく紹介して欲しいというオーダーだったので、かなり噛み砕いて話した。そして最後に現在まで継続して行なっている「コールマイン・プロジェクト」の話をするが、後で聞いたらこれが一番わかり難かったらしい。

ILN069
2004.11.09 Tagawa (田川)
カフェトークを田川のサイトで上野朱氏と行なう。上野氏は長らく筑豊の炭坑町に居てそこで労働者の生活を克明に記録していったドキュメンタリー作家の上野英信さんのご子息で、以前から興味があったが、なかなか接点がなかったが、ひょんなことからコールマインスタッフの母里氏と同級生であることを知り、急遽お願いして、カフェトークに出席してもらうことにした。そこで上野英信さんのいろいろな逸話をたくさん聞かせていただいた。

ILN070
2004.11.20 Kobe (神戸)
神戸大学の主催する学会で、「環境、都市」をテーマにしたワークショップ、シンポジウムに参加。そこで基調講演を行なう中井久夫氏に初めて会い、少し話をする。以前から興味を持って中井氏の本を読んで、精神疾患と芸術との関係を自分なりに考えゼミでも行なっていたので、実際にお会いして話せたのは、大変良かった。これだけでも今回のこの学会に参加した意味があった。

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ILN071
2004.11.23 Kashima (鹿嶋)
母の三回忌で法事を行なう。天気が良く法事日和だ。鹿嶋サッカー場のすぐ近くにある墓に行き、みんなで墓石に水をやる。早いものですでに3年が過ぎた。

ILN072
2004.11.28 Zuoz
ここ数日、雪が降って作業がなかなかはかどらなかったが、このホテルでのエクステンド・テラス制作もほぼ完成が近い。残った材木でベンチやテーブルを組み立てる。組み立て上がったテーブルにも既に雪が積もり始め、作業もこれまでということで終了し、みんなで近くの行きつけのレストランでチーズフォンデュを食べながら完成祝賀祝いをする。外はまだ雪が降り続いていた。

ILN073
2004.11.29 Graz
来年6月に「日本の視覚」展が行なわれるオーストリアのグラーツに来る。ここの奇妙な建物(ピータークックの最新建築)の美術館を訪れる。まるでナマコかエイリアンのようなかたちで、夜になると建物表面が点滅する。内部は、それほどでもなく、白い壁に自分が展示する作品を美術館関係者と打ち合わせる。近くの川にアメリカの作家、ビト・アコンチがつくった浮島のようなものがある。夜、美術館の近くのホテルでぼんやりと今回の出品作品について考える。

ILN074
2004.12.02 Yokohama(横浜)
今日から8回、BankArtでのクチャーの中で、先端教官六名を招いた連続カフェトークを行なうことにする。それにしても昨日もらった電話の内容は極めて重要なものだった。来年の自分のスケジュール、仕事を一掃しなければならないかもしれない。やれやれ、大変なことが自分の身に降り掛かってきたようだ。

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ILN075
2004.12.04 Yokohama (横浜)
今日はカフェトーク先端教官シリーズ第一回目、日比野君がゲスト。その同じ建物の下の階では、「国際展を考える」というシンポジウムが開かれている。横浜トリエンナーレの今後について話されている様子。あまり巻き込まれたくないと思い、カフェトークを終えて、そそくさと帰る。

ILN076
2004.12.06 Tokyo (東京)
西荻で詩人の白石かず子さんとロンドンから一時帰国の由子さんと夕食。久しぶりにロンドンの話で盛り上がる。いつもの話題は、毎年一緒に取っている夏の休暇について。今年は現地で制作し展覧会までしたので、なんだか休暇という感じではなかったが、来年の夏は果たして休暇など取れるのだろうか。

to be continued . . .
横浜トリエンナーレ、ディレクターズ・ダイアリーへ続く... このページの最初に戻る



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