established 2004.03.31 / updated 2006.01.13


 
■インターローカルノートについて(「Inter Local Note」最初のページへ)





 

ILN267
2005.11.09 Tokyo (東京)
渋谷区代官山のヒルサイドテラスを中心に毎年行なわれている「代官山インスタレーション」というアートプロジェクトの作品審査に関わる。今回は、代官山という商業空間や施設に根ざした興味深い作品が多く、選定が大変であった。

ILN268
2005.11.11 Yokohama (横浜)
全国の中学、高校の美術教師の団体が横浜市内で会合があり、幾つかの団体がその後、横浜トリエンナーレへ来場する。会場入口で小中学生は入場無料であることと、ぜひとも世界の様々なアーティストによるこれらの作品を体感して欲しいことを告げる。

ILN269
2005.11.12 Yokohama (横浜)
高校の時の同級生が北海道から団体で来場、そのアテンドを行なう。その後、中華街で盛大な同窓会を行ない、盛り上がる。

ILN270
2005.11.13 Yokohama (横浜)
ニューヨークMOMAの団体30名ほどのツアーのアテンドをして、その後中華街で昼食まで付き合う。夕方、BankARTでのナント市の方々を招いた「再考!地域とアートプロジェクト」にパネリストとして参加する。フランスと日本に於けるアーティスト(特に現代美術家)の社会的な地位の違いを話す。彼らは、わかったようなわからないような反応をしていた。

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ILN271
2005.11.18 Yokohama (横浜)
ついに横浜トリエンナーレ来場者10万人目のお母さんとその子供を会場入口で迎え、セレモニーを行なう。安部君が作った10万人記念の少し大きめのぬいぐるみを子供にプレゼントした。子供のほうはセレモニーの様子を少し奇妙な目で見ていたが、ちょうど安部君の作品を目当てに来たというお母さんはぬいぐるみをしっかりと受け取ってくれた。

ILN272
2005.11.19 Chiba (千葉)
大学のゼミで行なっていた「地域精神医療と芸術表現」のシンポジウムを東金の浅井病院で行なう。芸術医療(アートセラピー)と、そうではない我々の患者さんと共に行なっているこのワークショップを、どのように位置付けるかを病院の先生も交えて討論する。

ILN273
2005.11.20 Yokohama (横浜)
横浜市長一家のアテンドをする。市長はこれで三度目の来場ということもあり、奥さんや子供たちに自分で作品解説をしていた。最後に家族の似顔絵を出品作家が描いてプレゼントした。これを横浜トリエンナーレ2005の記念として、今後もトリエンナーレをぜひとも忘れないで継続して欲しいと思う。

ILN274
2005.11.22 Yokohama (横浜)
横浜美術館で展覧会開催中のクリストファー・クックと対談する。久しぶりにトリエンナーレ会場ではないところでトリエンナーレ出品作品ではない作品を見る。

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ILN275
2005.11.24 Yokohama (横浜)
トリエンナーレ出品作家のアン・ハミルトンと会場内で対談を行なう。彼女は、横浜トリエンナーレの会場を初めて訪れ、自分の指示したパフォーマーの行なうパフォーマンスを見てそれに感動し、何度も彼らと握手をしていたのが印象的だった。

ILN276
2005.11.25 Yokohama (横浜)
昼と夕方の二回、デレクターズツアーを行なう。毎回20〜30名の方々を引き連れて会場全体の作品解説を行なうが、終わると喉がからからになる。その後は、いつものヨープの大腸バーでビールを飲む。

ILN277
2005.11.26 Yokohama (横浜)
水戸芸からのツアーにアテンドする。40人程がバスで来場してくれる。何人か知り合いも参加している。ちょうど2001年の第一回横浜トリエンナーレ開催の時期には、水戸芸で新聞紙を150トン積み上げたインスタレーションを行なっていたが、四年後にまさか横浜でトリエンナーレを指揮し、今日、水戸芸の人たちに会場の作品解説をする立場になろうとは、彼らも私も思ってもみなかった。

ILN278
2005.11.27 Tokyo (東京)
国立近代美術館でAICA(日本美術批評家連盟)主催のシンポジウムに参加する。「国際展は可能か」と言うタイトルで、主に国際展企画に関わる政治性、企画システム、現在の世界状況を踏まえた日本での国際展の在り方などをパネルディスカッション形式で討議する。当然のごとく現在進行中の横浜トリエンナーレを巡りいろいろな意見が出た。まずは針生一郎氏から「何の発見も衝撃もないお祭り騒ぎ」という手厳しいコメントが出る。彼の長年見て来た世界の芸術状況からするとそうなのだろう。個人的には、そのように批評されることはあり得るだろうとは思っていた。しかしそれ以外の人は、概ね好意的であった。とりあえず、どのような批評に晒されようと、今回トリエンナーレを考え、実行してきたことに対する自分なりの成果としての自信はあるのでめげない。30年近くアーティストをやってきた厚顔の賜物だろう。

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ILN279
2005.11.29 Yokohama (横浜)
定例会で、トリエンナーレの閉会後の撤収作業スケジュールを確認する。会期20日を切る時期になって、まずは実務的なことを処理してからその後、運営的にこれからのトリエンナーレを考え、どのように今回の横浜トリエンナーレ2005を終わらせるかをみんなで議論する。

ILN280
2005.12.02 Yokohama (横浜)
以前、白石かずこさんのポエトリーリーディングを聴く機会があって、言葉と表現の強さに圧倒され、今回トリエンナーレでもぜひ行ないたいと思い「現代詩の夕べ」というイベントを企画した。強い雨風の中、白石かずこさんを迎えた。美術展で詩の朗読があると聞き付けた多くの人々が、心地良く掛け合う白石さんが朗々と読む詩とそのバックに流れるベースのインプロヴィゼーションに、静かに聴き惚れていた。白石さんには寒い中、二時間も朗読していただいて申し訳なかったが、企画して本当に良かったと思った。

ILN281
2005.12.04 Yokohama (横浜)
「現代詩の夕べ」の第二夜に荒川洋治氏を招いた。一回目が寒かったため、急遽場所を移動して壁際に椅子を並べた。僕の下手な紹介より、ご本人の現代詩に対する話は明確で説得力があった。その後荒川氏は様々な詩人の詩を読み、最後に自作の詩を読まれた。聴衆も皆圧倒され、終了後しばし呆然としていた。

ILN282
2005.12.05 Yokohama (横浜)
横浜トリエンナーレのサポーターをしていた東京造形大学の学生から企画が出され、大学でトリエンナーレの特別講演会を行なうことになった。会場に来ていたほとんどの学生はすでにトリエンナーレを見ていたので、ここでは運営のいろいろな裏話をした。この企画は全て学生が主体で行なったようだ。それを聞いて、25年前、自分が芸大の学部生の時に同じように自主ゼミを開き、外部からいろいろな人を自主的に呼んでいたことを思い出した。

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ILN283
2005.12.06 Yokohama (横浜)
「現代詩の夕べ」三回目の最終日には谷川俊太郎氏を招いた。すでに観客が開催時間前から集まって来た。今日は、谷川さんが開いている絵本をビデオカメラで撮り、背景のスクリーン上に投影するという趣向で、観客も一緒に読むことができるようになっていて、視覚的にも上手い見せ方だった。朗読が始まるとすぐに谷川ワールドに引き込まれた。言葉と発声のパフォーマンスで全員が魅了された。

ILN284
2005.12.07 Yokohama (横浜)
横浜トリエンナーレ2005入場者が15万人を突破した。午前中、サンパウロビエンナーレのチーフキュレイターが来場し、作品を見て廻っていった。毎日いろいろな人が来場するが、しかし今日は田中眞紀子衆議院議員が娘さん同伴でやって来た。一時間ほど会場をアテンドしたが、いろいろな作品にそれぞれコメントされ、とても楽しんでいかれた。帰りのバスに乗り込まれたことを確認してから、ほっとして大腸バーでビールを二本も飲んでしまった。

ILN285
2005.12.08 Yokohama (横浜)
フランス、リール市のフェスティバルを仕切っているディレクターが来場。会場を一廻りして展示の感想を言い、現在リール市で行なっているいろいろなアートの企画を話していく。その後、横浜市副市長が来場。非常に腰が低い女性だ。興味深く会場を歩きながら、いろいろな作品に感嘆していった。

ILN286
2005.12.09 Yokohama (横浜)
ヨープ・ヴァン・リースホウト氏が東京での展覧会終了後に来場する。出品作家が会期中に会場にまた来てくれるのは本当に嬉しい。しばし彼と彼の大腸バーでいろいろ話す。
午後6時、第一回アートオークションを開催する。最初は参加者が少なく、また初めてのことでもありスタッフは幾分緊張していたが、開始直後からどんどん作品に声が掛かり始め、最後はみんな興奮気味だった。ヨープもマリア・ローゼンのスケッチを落札した。売り上げはともかく、とりあえず第一回目は問題なく終了した。

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ILN287
2005.12.10 Yokohama (横浜)
神奈川県知事が夫人と来場。興味深く会場を一覧して行かれた。
夕方ZAIMにてトリエンナーレ学校最終回。横浜市文化財団の加藤種男氏をゲストに招き、財団がどのようにトリエンナーレを考えているのかを伺う。その後、参加者に修了書を手渡し、参加者から僕は花束をいただいた。どちらが卒業なのかわからないが、これでトリエンナーレ学校が正式に閉校したことになる。

ILN288
2005.12.11 Yokohama (横浜)
FM東京の収録のため、大勢の観客の中、大腸バーで村上隆氏と対談する。午後からキュレーターマンのエリアでキュラトリアルメンバー三人と共にゲームを行なう。しかしここにきて少し風邪を引いたようで体がだるい。


ILN289
2005.12.13 Yokohama (横浜)
最終的な撤収作業の段取りのための定例会を行なう。次は撤収初日まで打ち合わせがないので、ここで全て決定する。

ILN290
2005.12.15 Yokohama (横浜)
東欧の美術関係者とEU経済関係者を同時に会場内アテンドする。ヨーロッパの美術関係者は、それなりにアーティストの知識もあり、突っ込んだ質問をしてくる。

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ILN291
2005.12.16 Yokohama (横浜)
第二回アートオークション開催。先回を上回る出品点数で、何人かは予め目当ての作品を獲得しようと来ているようだった。作品が次から次に競り落とされる中、自分も手を挙げてみるが、なかなか競りのスピードに追い付けず、目当てのものが買えずに終わってしまい、悔しい思いをする。

ILN292
2005.12.17 Yokohama (横浜)
参加作家たちから引き続き作品提供が多くあったため、第三回目のアートオークションを急遽開催することにする。最後ということもあり、トリエンナーレ記念にといろいろな物品も出され、次々に競り落とされていった。


ILN293
2005.12.18 Yokohama (横浜)
正午、横浜トリエンナーレ2005のグランドフィナーレに持ってこいのリュレンツ・バルベー氏による海上コンサートが、氷川丸の汽笛を合図に開始された。海風が強く吹き付け、荒らくれる波に右往左往する14隻の船に乗っている人たちの奏でる音を、対岸で多くの人たちが聴き入っている。音はか細く、波や風の音に掻き消されそうになりながらも、微かに聞こえる。これが実に良い。感涙している観客もいた。
横浜トリエンナーレ2005の最終入場者数は18万9500名だった。
午後6時を過ぎ観客が退けてから会場を閉め、中庭でサポーター、関係者全員でパーティーを行ない、僕とキュラトリアルメンバーに花束が授与される。その後は無礼講でみんな勝手に最終日の感慨に耽っていた。

ILN294
2005.12.19 Yokohama (横浜)
会場内の作品の撤収が始まる。朝9時からキュラトリアルのスタッフ全員が忙しく働いている。まずは機材関係から撤収を行ない、少しずつ作品を梱包していく。昼頃、野村誠君が楽器を持ってきて解体作業の会場内で演奏活動を行なう。展覧会がまだ続いているようで、感嘆した。

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ILN295
2005.12.20 Yokohama (横浜)
朝、横浜市役所に行き、市長にトリエンナーレ会期が無事終了したことを告げ、市長から労いの言葉をいただく。とりあえずこれで今回の公的な業務の責任は果たしたことになるのだろうか?

ILN296
2005.12.22 Yokohama (横浜)
ZAIMの二階で次回に向けた横浜トリエンナーレ作戦会議を行なう。市民団体と第二回目終了以降のトリエンナーレをどのように継続するかを話し合う。

ILN297
2005.12.25 Yokohama (横浜)
展示会場から出た廃品を安価で引き取ってもらう。ほとんど廃棄処分にお金を掛けるよりましな程度の僅かな値段であった。

ILN298
2005.12.26 Yokohama (横浜)
安斎氏と数時間掛け、ドキュメント本のために、まずはカラーと白黒を合わせ全部で300枚ほどの写真を選ぶ。これで年内中の仕事はとりあえず、何とか終わらせることができた。

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ILN299
2005.12.28 Yokohama (横浜)
厚生センターで忘年会を行なう。キュラトリアルのスタッフは契約上、全員12月31日付けで解雇になる。残務処理やドキュメント制作スタッフを除き、事実上今日が全スタッフでの最後の仕事日になった。全員お疲れさまということでビールで乾杯し、鍋をつついた。

ILN300
2005.12.31 Tokyo (東京)
横浜トリエンナーレ2005のオフィシャルなディレクター業務はスタッフ同様、本日を以て終了するので、このディレクターズダイアリーも今日までにしたいと思う。一年間ご拝読ありがとうございました。[横浜トリエンナーレ2005ディレクターズダイアリー終了]

to be continued . . . このページの最初に戻る



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