■インターローカルノートについて(「Inter Local Note」最初のページへ)





 
ILN 019
2004.01.04 Basel
バーゼルでの建築ワークショップ。バーゼル美術大学建築学科とリヒテンシュタイン建築学校、芸大の私の学生とで総勢30名の参加。今日から10日間、バーゼルの町をリサーチし、そこにイリーガルにアートプロジェクトを個々の学生が幾つかのグループに分かれて行なうことにした。
国も大学も違う初めて会う学生たちがグループワークをどのように行なっていくのか、またそこからどのようなものが出て来るのか楽しみだ。
 このワークショップでの決まりとして、朝9時から始め、夕方7時頃に全員で夕食を食べ、その後に各グループがプレゼンテーションを行なうことを義務付けた。夕食は、学生が交代で食事当番を担った。結果的にみんなで食事を共にすることは、意外にグループ意識と全員のまとまりに効果があった。単純にお金がないことから始めたが、毎回の夕食時に全員の顔を見て話ができたことが良かった。もちろんその都度の食事もまあ(?)美味しかった。

ILN 020
2004.01.10 Budapest
寒い朝、バーゼルからブダペストに向けて飛行機に乗る。
 機内から見た風景は、ゆったりとした畑が続きその中に点在する東ヨーロッパの町並み。初めてのブタペストの町は、厳格な東欧の雰囲気を持ち、格調高い建物に囲まれた少し広いプロムナードが町を貫いている。初めての町では必ずその町のカフェに入る。高い天井で古いテーブルと椅子が整然と並んでいて、その幾つかの隅に何人かの客が静かに座っている。新聞を読んでいる人もいれば、黙って外を眺めてコーヒーを飲んでいる老人もいる。とにかく静かだ。この雰囲気がどこかで町の人々の生活に於けるクオリティを感じさせてくれる。
 ミーティングは、いたって簡単に済み、一人でまた町中に出る。夕暮れのまだ氷が川面に浮いていて、それがゆっくりと流れているドナウ川を眺めながら、ここで一体何ができるのかをしばし考えた。

ILN 021
2004.01.13 Wisberden
ドイツの小都市で、それほどバーゼルから遠くない温泉で有名なウィスバ−デン。ここは多くのドイツ人がしばしの休養を兼ねて訪れる町。
 ここにあるウィスバ−デン美術館で2006年に私の展覧会を企画したいとのことで、打ち合わせに来る。古い美術館だが近年、多くの重要なミニマル、コンセプチュアルアートの展覧会を行なったことで有名である。その意欲的なディレクターは、意外にもさっぱりとした人柄で私を出迎えてくれた。現在、リニューアル中の美術館内をひと通り案内してくれて、「さて君はここで何ができるのかな?」との質問。あまりにも単刀直入な質問に少々戸惑ったが、それなりに答えておく。これぐらいのことは、常に準備しておかなければ。しかし少し冷や汗が出た。

ILN 022
2004.01.16 Paris
パリの画廊で今年の秋、プロジェクトを計画。そのための打ち合わせに画廊のあるオデオンに行く。オデオンの有名な劇場のすぐ近くにあるそのギャラリーは、主にパブリックアートのコミッションをしており、アーティストを紹介し、サポートしている。リヨンに新しくできたビュランの噴水や駐車場、ミッシェル・ベルジューの丸いライトワークス、その他いろいろなアーティストと仕事をしている。
 今回は、このギャラリー付近の工事現場に合わせて、インスタレーションができないかと言うオーダーである。確かにギャラー前のオデオン劇場では、一年前から改修工事が行なわれている。これに合わせて何人かのアーティストが実際にアートプロジェクトを行なっている。さてここでこのような条件の中で自分がどのように関わるかを考えることはいつものことだけれど、楽しくもあり、しんどいことでもある。

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ILN 023
2004.01.20 Rennes
フランスの西のブルターニュ地方にあるレンヌという町の美術学校でレクチャーを行なう。今年の夏に学生を主体にしたワークショップを行なうため、その呼び掛けも含めて、この美術学校で自作の紹介とワークショップの説明会を行なった。200人ほどの学生が階段式の講義室に集まり、熱心に聞いていた。
 英語で話して、それをフランス語に通訳してもらった。しかし実際のワークショップでは、英語がメインの言葉になるので、学生は英語での会話が可能であることが条件になる。以前はフランスの学生は、あまり英語は得意ではなかったが、近年はいろいろな国の学生が学校に出入りすることによって、英語が必修にもなっている。流暢な学生、フランス語アクセントの英語などいろいろ聞けるのもこのような大学の魅力でもある。それに比べたら確かに日本の大学は、まだ外国人留学生に対して門戸が開けてないように思える。なぜなら教師の語学力にどうしても左右される。この辺りが改善されない限り、大学の国際化なんて形式だけでしかないだろう。

ILN 024
2004.01.21 Saint Thélo
フランス、ブルーターニュ地方の小村、サンテロ−で今年の夏に行なうワークショップのための住民に向けたプレゼンテーションを行なう。ここであまり反応が良くないと、実際のワークショップの実現が危ぶまれるので、始まる前は落ち着かなかったが、心配には及ばず、会場がいっぱいになるほど住民が参加しており、反応はヴィヴィッドだった。実際、ワークショップの説明が始まってからも、熱心に質問してくる老人がいたり、ホームステイ先の学生の人数の質問など、すでに受け入れに向かって動いているような印象も受ける。プレゼン終了後のカフェで、村長のほっとした顔が忘れられない。

ILN 025
2004.01.22 Thiers
南フランス、テイエ−ルにあるアートセンターに行く。もう随分前から、仕事のオファーが来ていたが、なかなか行く機会がなかった。今回は、そんなものをまとめて行なってみようと思った。ここの館長は、私が初めてフランスでプロジェクトを行なった1987年にグルノーブルの美術学校の校長だった人で、その時々に連絡はもらっていたもののなかなか一緒に仕事ができないでいた。
 そこで思い切って来年、しかもここら周辺の幾つかのアートセンターと同時開催で行なうことにした。場所は、山の上にある城。すでにかなり歴史的な建造物でその内部を最低限に改造して展覧会場にしていて、コンテンポラリーなものだけを行なっている。
 ヨーロッパには、このような歴史的建造物の再利用が多い。そして必ずそこでは現代的な催し物を行なっている。この外部と内部のミスマッチのような使い方が訪れる人を興味深くしているとも言えるだろう。
 さて、ここで私は何をしようかと、考えながらぶらぶら建物の周りをまわる。

ILN 026
2004.01.24 Lyon
リヨンでのパブリックプロジェクトのオファ−をもらい、現場を見に行く。早々建築家と会い、現場のいろいろな条件を知らされる。ここまでいろいろな条件がわかっているなら、何か面白いことを建築家自身が企画することぐらいできるのではないかとも思うのだけど、やはりそこにはどうしてもアーティストのアイディアが必要だと言う。ソフトに対する企画の責任転嫁、などと言うこともなく、勝手にいろんな考えをその場で話す。まずは、ブレーンストーミングのようなことだろう。

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ILN 027
2004.01.27 Toride (取手)
東京芸大先端芸術表現科の学生の講評会。作品が幾つも並べられている。その前に学生が立って、自作をプレゼンテーションする。このプレゼンも以前に比べれば上手くなった。最初の頃は、自分が何をしたいのかも説明できず、こちらがしびれを切らして、彼らの考えを言葉化してあげることもたびたびあった。もちろん美術大学に来る連中というのは、やはりどこか自分に関してナイーブで、甘えもあり社会性が乏しいのが多いことも事実である。変にプレゼンテーションが上手いヨーロッパの学生とは比べものにならないが、しかしそうは言っても結局内容であることは確かだ。どんなことを今考えて、何を表現しているのかということを言葉以上に上手く説明するものは、やはり作品そのものである。

ILN 028
2004.01.31 Yokohama (横浜)
PHスタジオの池田君からの連絡。横浜で今年、何かいろいろなイベントを企画しているとのこと。みなとみらい線で横浜に行く。随分久しぶりの横浜だ。
 ここで彼が横浜市から依頼された仕事は、歴史的建造物を使って何か文化的な催し物をしていくスペースに改造するためのソフトを組み立てることだと言う。今年は全ての時間を横浜に使うとのことで、随分意気込んでいた。僕も何か協力できることはしますと言って彼を励まして来た。建築からアートプロジェクトまで手掛け、今度は都市再生のソフト管理運営を行なうという。昔からよく知っている連中なので、手助けしてあげたいとは思う。しかし具体的なことは、まだこれからのようだ。

ILN 029
2004.02.05 Tokyo (東京)
日本医科大学付属病院に行く。そこの精神科を訪ねるため。昨年から「地域精神医療と芸術表現」というタイトルで大学院の学生と共にゼミを行なっている。これは、統合失調症を含む精神病と呼ばれているものと芸術表現の関わりを患者さんと共に幾つかのワークショップを行ない、そこから導き出されたデーターをもとに精神疾患と芸術表現の新たな切り口を見つけていこうというもの。
 もちろんこれはあくまでも芸術医療、芸術療法ではない。ましてや最近盛んに言われているアートセラピー的な介護の切り口を求めているのでもない。より具体的に患者さんと付き合うワークショップでいったい何が見えてくるのかを突き止めるものである。とにかく時間をかけていろんなことを彼らと行なっていこうというものである。その下調べで、今回この病院の医師の紹介で精神科を訪ねに来たのである。

ILN 030
2004.02.13 Osaka (大阪)
カフェトークのために大阪梅田にあるビルの最上階に行く。個人経営の美術専門学校。工房のような感じだ。ここにもアーティストを目指す多くの学生がいた。ここでドイツのデュッセルドルフに長く住んで、最近は大阪とドイツを行ったり来たりしながら制作を続けている彫刻家の植松圭二さんと話すためだった。
 久しぶりに会い、いろいろなことを話した。主に80年代にドイツで会ったことから日本とヨーロッパでの制作、発表の違いなどを二人で話した。会場からも幾つか興味深い質問も出た。三階の部屋で、高速道路と同じ高さのため、話し疲れて二人が沈黙すると、ゴーという音が微かに聞こえた。

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ILN 031
2004.02.14 Osaka (大阪)
昨年、大阪の今は使われていない地下鉄工事現場で行なわれた「湊町アンダーグランドプロジェクト」の検証を兼ねたシンポジウムに参加。基調講演の後、公開討論になる。キリンプラザの中のホールを借りて行なったディスカッションは、ビデオの記録上映会から始まり、結果的にこれがどのような意味、意義を持っているのかということをみんなで考えるというもの。
 都市論的な切り口、環境問題に対するアプローチ、大阪のパブリックアートに対する法的基準などいろいろな話が出るが、このようなプロジェクトはとにかく引き続き断続的に行っていかなければ、意義を見い出すまで行かないだろうということを話した。とにかく継続して行なっていくだけであると思う。その活動のスタンスからいろいろな理解者、協力者が現れてくるような気がする。

ILN 032
2004.02.17 Tokyo (東京)
長谷川逸子さんの建築オフィスのディナーに参加する。長谷川さんの手料理が食べられるということでいろんな人が来ていた。九州から帰って来たダン・グラハムの帰国前の送還会のようなものだったが、しかし当の本人は、どうも体調が良くないらしく8時頃にはホテルに戻ると言い出し、せっかく彼のために来てくれた連中をそのままにして、さっさとホテルに戻って行った。

ILN 033
2004.02.19 Paris
またパリに来た。寒い寒い。どうもまた花粉症になったようだ。目も鼻もしょぼしょぼしている。ジルに電話したら、彼も風邪をひいて声が変わっていた。夕方、夕食を共にする。今回の南フランス行きのスケジュール調整、サンテローの打ち合わせなどをする。

ILN 034
2004.02.25 Strasbourg
フランス、ストラスブールでのコミッションワーク制作のために来る。そしてここで私と同じように制作している音楽家の鈴木明男さんに会い、ホテルでカフェトークを行なう。観客は私と彼の関係者で三名。ロビーにある長椅子を勝手に占領して行なう。音楽の話やそのためのインスタレーションの話。鈴木さんが日本で住んでいる村の話など、大変面白い話が聞けた。
 音楽家の感性というのはやはり美術家とは違うものがあると思った。

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ILN 035
2004.02.29 Saint Étienne
ストラスブ−ルでの作業の合間を見て、電車でパリを通らないルートで直接リヨンに着き、そこからサンテチェンヌに来る。しかし約5時間の普通電車の旅は、やはり疲れる。しかし電車の窓から外の風景をぼんやり眺めているのは好きだ。いろんなことをその都度考える。以前の仕事のことやこれから行なうプロジェクトのアイディアなどが、ひょんなことから浮かんでくるのもこのような時だ。移動時間の中途半端である時間が逆に何かイメージを広げる気分をつくってくれているのかもしれない。僕にとっては貴重な時間だ。

 
ILN 036
2004.03.03 Paris
パリのオデオンでプロジェクトのためのミーティングを行なう。「ホワイトナイツ」という毎年9月に一日だけ行なわれる、パリの町を使った約60の野外プロジェクト。これに参加することによって、市から道路許可や架設建築許可を取ろうというミーティング。
 この「ホワイトナイツ」の総合キュレイタ−は、以前妻有トリエンナ−レの審査の時に一緒だった彼で、久しぶりに会い、いろいろ話をして、まずは何とか協力してもらえることになった。こんなところでこのように繋がるとは、やはりアートの世界は狭いと思った。

ILN 037
2004.03.13 Tochigi (栃木)
一日だけのワークショップを宇都宮で学生と行なうため、朝早く上野を出発する。栃木県馬頭町の木造小学校だったところを改装して美術館にしたNPO法人「もうひとつの美術館」が、今回我々を呼んでくれた。教室をそのまま展示室に使用していて、主に知的障害者の美術を展示している。今回のワークショップも彼らを中心に行なわれた。芸大先端の学生が一人ずつ、幾つかの小学生を中心とした子供たちのグループに付いて、紙芝居を制作することにした。わいわい話しながら紙にクレヨンでストーリーを書いていく。最後に発表会を行なった。それぞれみんな面白く、関わった学生も楽しんでいた。一日だけだったけれどそれなりに収穫のあったワークショップだった。

ILN 038
2004.04.07 Mikasa (三笠)
コ−ルマイン田川・春の企画として、「北海道空知炭坑遺跡見学ツアー」を行なう。その最初の地の北海道三笠市に着く。僕の中学校時代の友人が三笠市役所に勤めていて、彼の関係で今回のツアーも決定した。旧炭坑町を巡るツアーは以前から考えていて韓国でも行なったが、北海道は初めての試みだ。幾つかの町をバスで巡る。その町ごとの産業遺産にあたる立坑、炭住、その他の施設等を、解説ボランティア付きで二日間のスケジュールでまわる。

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ILN 039
2004.04.08 Akabira (赤平)
ツアーの二日目。小雪まじりの天気の中、赤平の炭坑から始まり、小学校を改造して美術館にしたアルテピアッザ美唄などを訪問する。その後、夕張の石炭資料館などをまわり、三笠の民宿に戻る。ほとんど炭坑漬けの二日間だ。しかし改めて北海道の旧炭坑町と九州との違いを、単なる風土的なこと以上に規模やそこで働いていた人たちの生活状況などから感じる。やはり北海道は、大企業資本における炭坑開発で、全く未知の土地を炭坑という資源採掘のために切り開かれた。そのために使われた多大なエネルギーの痕跡を今回は見たことになる。しかしその規模はやはり膨大であった。

ILN 040
2004.05.02 Toyota (豊田)
豊田で行なっているWork in Progress (WIP)の定期的なミーティングに参加する。今年の夏に組み立てる構築物の構造的な説明から作業を手伝ってくれる学生の宿泊場所まで細かく打ち合わせをする。今年は美術館から予算も出ることになり、構築物制作も現実的になってきた。それに向けてパブリックな場にある構築物ということから、安全面、法基準などがメインの打ち合わせ内容になってきた。建築家、大工さん、市の関係者などを招いて意見を聞く。

ILN 041
2004.05.06 Bern
スイス、ベルンの建築学校でレクチャーを行なう。バーゼルから電車に乗り、約1時間でベルン郊外にある建築大学に到着。誰も迎えに来ておらず、小雨混じりで肌寒く、ましてや少し早く着き過ぎたため、会場には誰もいないし、ポスターさえ貼られていない状態。不安になりつつ、とにかくレクチャーが夕方からなので、腹ごしらえをしようと一緒に来たクリストフとノアとで近くの中華料理店に入る。ベルンでの最初のレクチャーの前に中華を食べるとは思わなかった。食事を終えて、会場に入るとさっきとはうって変わって会場は学生で満員だった。

ILN 042
2004.05.13 Trondheim
ノルウエーでのレクチャーツアーが始まった。バーゼルからコペンハーゲンで飛行機を乗り継ぎ、5時間かけてノルウエーのトロンドヘイムという町に着く。曇り空で雨が降っていて、コートを着ていても肌寒い。空港で迎えてくれた大学の教授は、自分も絵を描く作家であると自己紹介してくれた。ホテルにチェックインして簡単な夕食を取り、そのまま今晩のレクチャー会場に行く。この町の建築家協会主催のレクチャーシリーズの一つに僕が入っていた。

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ILN 043
2004.05.14 Trondheim
トロンドヘイムでの二日目のレクチャーは、ここのノルウエー工科大学(NTNU)建築科主催のレクチャー。レクチャーが終わり、今回僕を招待してくれたエ−リング氏の自宅に夕食に招かれる。実は奥さんが日本人作家ですでに20年以上もこの国に滞在していると言う。丘の上に立つ木造の家から白い雪を被った山並みが見える。ここで日本人に会うことさえ考えていなかったため、日本語が思うように出て来ない。

ILN 044
2004.05.30 San Gimignano
スイス、バーゼルから寝台車でイタリアのフローレンスへ行く。朝まだ早い時間にフローレンス駅に到着。眠い目を擦りながら迎えに来てくれる今回の展覧会オーガナイザーを待つ。彼女が来るまで駅前をひとまわりする。フローレンスは、学生時代にルネッサンス絵画を見に来た時以来で、イタリアでのプロジェクトは、プラトー以来だ。

ILN 045
2004.06.03 Enghein
フランス、パリの郊外にある避暑地オンガンで行なわれるビエンナーレに参加した。今日はそのオープニングの日。バーゼルから電車で5時間。ヨーロッパ内ではなるべく飛行機に乗らず、電車で移動する。その間の時間にいろいろなことが考えられるからだ。5時間の間に外の風景をぼんやり長めながらいろんなことを考える。朝からビールかワインを飲みながら一等車の人もまばらな客席でぼーっとしている。この時間は自分にとっては何とも言えない至福の時間でもある。プロジェクト作業中にたびたび他の国を訪れるのも、このような時間を持ちたいためでもある。

ILN 046
2004.06.12 Basel
スイス、バーゼル市内の美術大学にあるゲストハウスに住んで6週間が経て、今日出ることになった。ここからプロジェクト現場まで3分。近くにはスーパーやバー、レストランもあり快適だった。毎日プロジェクトの打ち合わせやその他のことで多くの友人がここに来た。飲んで食べて夜遅くまでうだうだする。ここでアートフェアに出品する作品もつくり、搬入し終わり、部屋の荷物をまとめて近くのホテルに着く。一段落だ。

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ILN 047
2004.06.15 Shoenthal
バーゼルアートフェアの喧騒から車で一時間ほどの山の中にあるシェンタールという村へと移動する。ここでこの夏に着工するプロジェクトの具体的な打ち合わせと最終チェックを行なう。しかしこのプロジェクトも数年かけて行なうものになるだろう。なぜなら山の中にある納屋を改造して家ごと作品にしていこうといもので、当然いろいろな法規制がある。特にスイスは、風景に対しての新たな介入に、周りの人たちからの了解が必要で、簡単に新しい建物など建てられないことになっている。そのためどのような制作スケジュールになるか、まだわからない。まあここらで少しのんびりスイスの山並みを見て過ごすのも良いかもしれない。

ILN 048
2004.06.22 Saint Étienne
朝、フランス、リヨンに飛行機で到着し、そのまま建築家とコミッションワークの打ち合わせを行なう。その後、次の打ち合わせのために電車でサンテチェンヌに向かう。
 いろいろなことを同時に行なっているので、持っていく資料だけでもかなりのボリュームになる。そしてまたその場でいろいろな資料をもらい、打ち合わせ後は鞄が一杯になり、たまに新しい鞄をその場で買うこともある。この日も多くの資料を抱えながら電車に乗り込んだ。

ILN 049
2004.07.10 London
午前に成田を出て、夕方イギリス、ロンドンに着く。その夜、久しぶりにリチャード・ウイルソンとテリ−・スミスに会う。リチャードがサイトスペシフィックなプロジェクトで食べていくことが、イギリスではかなりしんどいことだと嘆いていた。それもそのはずで、彼が行なっているのはかなり大掛かりなものばかりで、採算が合うはずがない。仕事がそのようなのだからしょうがないと、自分も含めて彼らとビールを飲みながらいたわり合った。

ILN 050
2004.07.14 Mallorca
毎年行くスペインでの休暇の二日目。今年は、マヨルカにあるギャラリーでマケット展を行なうため、制作作業をしなければならない。今日、その材木が届いた。ガレージを解放してここで作品制作の日々が続く。毎日上半身裸で半屋外のこの架設スタジオで作業をする。昼からカンパリなどを飲みながらのんびりスケッチなどをしていると、なんだかピカソになったような気分。もっとも彼はアルコールを飲まない人だったが。

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ILN 051
2004.07.24 Port Colom
ポルトコロンにあるレストランで51歳の誕生日をイカスミライスと共に迎える。この日までに9点のマケットをほぼ完成させる。この日に合わせたわけではないが、三日後のオープンまで少しゆっくりしたいと思ったから何とか完成させた。

ILN 052
2004.07.27 Palma de Mallorca
パルマのギャラリーでオープニング。意外に多くの人が来る。ここでいろいろな国のアーティストに出会う。やはり避暑にここを訪れるアーティストが多いのだろう。タパスとワインで乾杯。

ILN 053
2004.07.28 Colle di Val d'Elsa
プロジェクトの再度の打ち合わせに、マヨルカからイタリア、フロ−レンスへ向かう。フローレンスからシエナ方面に向かって車で一時間ほどのところになる城壁都市、コルディヴァルデルサに到着。ここは今回私がプロジェクトを行なう町で、早々、市長に面会して何人かの人と打ち合わせを行なう。

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