■インターローカルノートについて(「Inter Local Note」最初のページへ)





 

ILN133
2005.03.30 Beijing (北京) >>> Shanghai (上海)
北京から飛行機でル・ジェと共に上海に入る。高層ビル群の建設が目に入る。川岸の古い由緒あるホテルに到着。荷物を置いて、そのままタクシーで上海のアートコミュニティがある場所まで行く。以前、工場だったところを改造して、ギャラリーが何軒か集まり、アーティストたちがスタジオを持っている。既に日本のメディアでも紹介されている場所だ。ここで、幾人かのアーティストを紹介してもらう。

ILN134
2005.03.31 Shanghai (上海)
昨日のビルの中にあるオルタネイティヴスペースの一つで、横浜トリエンナーレ2005のプレセンテーションを行なう。作家、美術関係者が40名ほど集まる。北京とは打って変わって誰も質問しない。こちらの説明の問題なのか、どうも反応が伝わって来ない。後で聞くと、自分たちがどのように関われば良いのかを彼らなりに考えていたようだとのこと。個人の作家思考が強く、こちらの言うコラボレイティヴな作品指向の作家が、あまり見受けなかった。やはり、いろいろなところで紹介していくことで、こちらのコンセプトや考えが見えてくるものだということがわかった。

ILN135
2005.04.04 Yokohama (横浜)
横浜でタイの作家ナヴィン・ラワンチャイクンとミーティング。英語で話している途中で急に日本語を話し始める。奥さんが日本の方だと後で知る。今回は、会場にカジノをつくりたいと言う。カフェやいろいろなゲームができるテーブルが用意されている本格的なものらしい。「保税倉庫でカジノか、悪くないな」と思う。

ILN136
2005.04.05 Yokohama (横浜)
久しぶりの建築ミーティング。会場構成に様々なアイディアが加わっている。特にサイン計画が少しずつ加えられている。人の導線も良くなっている。午後から定例会が行なわれ、ここで今回の横浜トリエンナーレ会場への入場料金を正式に決定する。その後トリエンナーレ学校(1)を旧関東財務局2階で開講する。あまり告知していなかったが、約50名の参加がある。今後の授業メニューを簡単に紹介する。

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ILN137
2005.04.06 Yokohama (横浜)
シンガポールの演出家、オンケンセンとミーティング。アーティストインレジデンスで東京に滞在しているらしい。彼の「フライングサーカス」は特に有名で、世界中のいろいろなところでの活動の話になる。今回は、いろいろな人を集めてディスカッションやらレクチャーを行なう場をつくると言う。どのような展示になるのか楽しみだ。

ILN138
2005.04.07 Yokohama (横浜)
先日来日した韓国出身の作家キム・ソラとミーティング。会場を下見して興味を持ってくれたが、作品プランは、極めてシンプルな、会場すら必要ないものを提案してきたので、とりあえず会場内に自分の場所を特定するように依頼する。

ILN139
2005.04.08 Yokohama (横浜)
会場全体の作品展示以外のイベントなどを仕切るソフトプログラム・ミーティングを行なう。午前中は主に、4月下旬に行われるルック・デルーの作品完成に伴い、キックオフ・イベントを山下公園で行なうための打ち合わせ。午後は、会場オープン後の様々なイベントの仕込みのコーディネートについて話し合う。

ILN140
2005.04.09 Osaka (大阪)
大阪国際美術館でトリエンナーレプレゼンテーションを行なう。新館長の建畠晢さんに、先回のトリエンナーレのディレクターを行なった経緯について、私のほうから幾つか質問をする。「2001年の最初のトリエンナーレは、4人のディレクターがいたが、やはり一人の方が良い」という言葉が印象的だった。関西 からの参加アーティストが駆け付けてくれる。その後、出品作品に関しての打ち合わせをその場で行なう。

ILN141
2005.04.11 Yokohama (横浜)
久しぶりにキュラトリアル4人全員集まってのミーティング。ここ数週間、それぞれが海外での作家調査とコンタクト、展覧会オープニング参加のため、全員での打ち合わせができていなかった。ここでかなり綿密に作家の選択を行なう。

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ILN142
2005.04.12 Yokohama (横浜)
会場構成のための建築ミーティング。その後の定例会で細かい打ち合わせをし、夕方、旧関東財務局ビルでトリエンナーレ学校(2)を行なう。今回は、今月末にトリエンナーレ第一作目の作品が完成するルック・デルーや、トリエンナーレ参加作家の何人かの作品を紹介する。

ILN143
2005.04.14 Tokyo (東京)
上野精養軒で東京芸大今期退官教官の送別会に出席。先月いっぱいで退官した教官が三名。勤続年数30年以上の満期退官教授がその長い勤務期間を振り返り、しみじみと挨拶した次に、6年間しか在籍していない私は、何を言えば良いのかわからず、その場しのぎに「またそのうち来ます」などと言って退散してきた。その後、根津の居酒屋で先端芸術表現科の同僚たちが暖かく送別会をしてくれる。

ILN144
2005.04.15 Yokohama (横浜
)
朝から横浜へ向かう。車内で新聞二紙をちょうど読み終える頃に終点の元町中華街駅に着く。今日は、北海道新聞のインタヴュー。天気が良いので、屋上に上り、広く横浜港を眺めながらインタビューを受ける。午後は、今月29日に行なうキックオフ・イベントの打ち合わせを行なう。

ILN145
2005.04.16 Hirosaki (弘前)
東北新幹線と在来線で約4時間かけて弘前に着き、まだ少し雪が残っている道路脇を横目に個展会場となっている酒造煉瓦倉庫跡へ。トリエンナーレ出品作家の奈良美智さんの展覧会開催に合わせ、ここでプレゼンテーションを行なう。展覧会初日ということもあり、150名ほどの観客の前で、私と奈良さん、キュラトリアルの天野さんの3人でトリエンナーレの紹介をし、奈良さんの出品計画を聞く。

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ILN146
2005.04.17 Fukuoka (福岡)
福岡アジア美術館のホールで出品作家、キュレイターの山野さんが参加してのトリエンナーレのプレゼンテーションを行なう。福岡では私が行なっているコールマインプロジェクトで既に何度も講演会などを行なっており、またプロジェクトに実際に参加してくれている人たちもいるせいもあり、観客には顔なじみが多い。こちらも比較的アットホームに今回の横浜トリエンナーレの内容について話ができた。観客から特に、コールマインプロジェクトをオーガナイズするのと、今回の横浜でのディレクターの仕事の違いと共通点、そしてやはりなぜ、どんな理由でこの仕事を引き受けたのかという質問が出る。確かに私の仕事を少しでも知っている人にとっては、聞きたいことだろうと思う。基本的には、あまり大きく変わることではないことを伝える。その後、何人かのアーティストに資料を見せてもらう。そして、やはり福岡では最後は屋台のラーメンを食べて一日が終わる。

ILN147
2005.04.19 Yokohama (横浜)
建築ミーティング、そして定例会、その後トリエンナーレ学校(3)を行なう。どんどん新しい会場展示模型が提出される。会場模型を見ながらの打ち合わせは、かなり具体的でわかりやすい。ここにキュラトリアルメンバーが選んだアーティストの作品プランを少しずつ落とし込んでいくことが急務だ。

ILN148
2005.04.23 Yokohama (横浜)
先月、中国調査のコーディネイトをしてくれたル・ジエと台湾のアーティストに会う。彼から、先日会った中国のアーティストの追加資料を受け取る。また一緒に来た台湾のアーティストに台湾のアート状況などを聞く。そして来月、台湾で横浜トリエンナーレの作家調査とプレゼンテーションを行なうことを伝える。その前後に韓国もまわろうと思う。日本に一番近い外国として中国、韓国、台湾はあると思うが、昨今のこれらの国の反日運動は、アートシーンにどのような影響があるのだろうか。何人かのアーティストが今回の出品プロポーサルにそれなりのポリティカルなテーマを入れ込んでは来たが、あまりにもストレート過ぎて興ざめする。ストレートなメッセージは、あくまでも一方的で表面的な解釈の中でしか一般には伝わらないことを知るべきだと思う。

ILN149
2005.04.25 Yokohama (横浜)
差し迫った29日のキックオフ・イベントの打ち合わせをする。セレモニーのいろいろな段取り、時間配分、テープカットの人の立ち位置など、かなり綿密に細かくシナリオを組み立てていく。作家のルック・デルー氏が当日ぎりぎりに成田に到着するので、シナリオも幾つかのパターンをつくる。当日も天候が気になる。

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ILN150
2005.04.26 Yokohama (横浜)
建築ミーテイング、その後定例会を行い、夜、トリエンナーレ学校(4)を行なう。トリエンナーレ学校では29日のキック・オフイベントボランティア活動の内容を話し合う。今回は初めてのオフィシャルなボランティアとの活動となるので、どのくらい一緒にできるかがまだ見えてこない。しかし乗りが良い。少しずつ固定されたメンバーができつつある。今回のイベントを取り仕切ってくれるプロジェクトワンの藤間さんから細かい配置図を見ながらの説明がある。29日は、朝8時半現地集合。

ILN151
2005.04.27 Yokohama (横浜)
横浜に今年開講した東京芸術大学大学院映画学科へ以前の同僚である藤幡君を訪ねていく。同じ横浜で今春オープンしたのだから、何か私たちとしても関わりを持ちたいと思い、コンタクトを取った。いろいろ雑談をしながら、堀越さん、藤幡君とトリエンナーレに映画学科としてどのような関わり方ができるかを話し合う。こちらとしては、学生が参加するトリエンナーレのドキュメント映像の制作と会場での映画上映会の企画をお願いした。少し提案をまとめて内部で話し合ってみるとのこと。

ILN152
2005.04.28 Yokohama (横浜)
明日のキック・オフイベントの最終打ち合わせ。BankARTの池田君とトリエンナーレとの共催展示を話し合う。11月ころにBankARTの会場を借りてトリエンナーレとリンクした面白い企画をつくろうということで話がまとまる。明日朝早いため、今晩はホテルエスカルに泊まることにする。

ILN153
2005.04.29 Yokohama (横浜)
山下公園の中に参加作家ルック・デルーの作品が数日前に完成した。その除幕式を兼ね、横浜トリエンナーレ2005のキックオフ・イベントを行なう。朝、天気が良い。7時に旧関東財務局から2台の屋台をボランティア8名とともに山下公園に運ぶ。8時半、山下公園に続々とボランティアが集合。会場設営がスムーズに進んでいく。昼前、ルックが無事到着し、セレモニーまでなんとか間に合うという知らせが入る。中田市長が白いトリエンナーレジャンパーを着て颯爽と現われ、セレモニーが始まる。ルック夫妻も間もなく会場に到着。全て順調に進む。しかし暑い。今日だけで日焼けした。17時、イベント無事終了。撤収が始まる。ボランティアの人たちが朝と変わらない進行でスムーズに会場設備を解体、撤収していく。

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ILN154
2005.05.01 Hiroshima (広島)
朝8時50分東京発の新幹線のぞみでプレゼンテーションのため、広島に向かう。昼過ぎに広島市現代美術館到着、学芸員の岡本さんに会う。今回の場所のアレンジ、その他全般をコーディネイトしていただいた。美術館の展示を一通り見る。11年前にここでの展覧会でプレファブを広島の町中に100台設置したことを思い出す。会場には、雨の中にも関わらず80名ぐらい人が来てくれた。多くが若いアーティストで、プレゼンテーション終了後にロビーで彼らのポートフォリオを見る。

ILN155
2005.05.05 Yokohama (横浜)
横浜市民メディア連絡会のテレビ中継に参加。日本全国5カ所の中継所を繋いで、愛知万博の会場で流す。オルタネイティヴなメディアが繋がる面白さ。そこで横浜トリエンナーレ2005を紹介する。まるで複数のテレビ電話だ。例えば同じ時期に開かれる「リヨン・ビエンナーレ」や「イスタンブール・ビエンナーレ」などと結んで、横浜トリエンナーレ会場で繋ぎ、居ながらにして世界の三つのトリエンナーレを見ることができる...。そんなことができると面白いだろう。

ILN156
2005.05.06 Yokohama (横浜)
キュラトリアルミーティング。27日の記者発表に向けて正式に発表する50名のアーティストの最終確認を行なう。その後、各キュレイターから引き続き何人かのアーティストの作品紹介があり検討する。

ILN157
2005.05.10 Yokohama (横浜)
建築ミーティング、定例会、トリエンナーレ学校。トリエンナーレ学校で先日のキックオフ・イベントの反省会を行なう。ボランティアの活動報告。アンケートの結果報告など。
その後、ちょうど現場の下見に来ているトリエンナーレ参加アーティストのロレンツ・バルペア氏と桃谷恵理子さんを紹介し、今回の参加の意気込みを聞く。

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ILN158
2005.05.12 Yokohama (横浜)
横浜全部の中学校美術教師が集まる会合(横浜市立中学校教育研究会美術部会総会)に参加し、横浜トリエンナーレを紹介する。特に会期無休であること、小中学校生徒は入場料無料であることを強調して伝えた。

ILN159
2005.05.14 Yokohama (横浜)
デザインチームを強化するべく新たに何人かのデザイナーとミーティングをする。細かなチラシや今回の映像などをお願いする。まだいろいろな広報グッズが必要だろう。かなり小回りが利くデザイナーを抱えておきたいものだ。その後久しぶりに早めに帰宅。しかし原稿が溜まっているからなのか、あまり落ち着かない。

ILN160
2005.05.15 Nagoya (名古屋)
愛知芸術文化センターでプレゼンテーションを行なう。約90名の参加者が今回の横浜トリエンナーレ全体のコンセプト、プランを聞いてくれた。その後の質疑応答で、いきなり会場で一人の作家が作品制作を始める。これを見てくれということとトリエンナーレ参加の希望を示すということか。2分ほどで切り紙作品ができ上がり、コメントを求められた。その場での判断は極力しないで、持ち帰って検討するということで収まった。なかなか積極的で国内広報最後の場所にふさわしいアトラクションとなった。その後、今回ずっと国内広報を手伝ってくれた香川県出身のスタッフに、うどんは讃岐うどんだけではないことを示すために、名古屋駅前の味噌煮込みうどんを食べに行く。彼も満足そうだった。わりあい早い時間に新幹線で帰路につく。

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