■インターローカルノートについて(「Inter Local Note」最初のページへ)





 

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2005.05.16 Yokohama (横浜)
サーカスミーティング。テント幕構造の仮設建造物設置申請にかなり高いハードルがある。今回フランスから招聘するサーカスグループ「エトカン」からの情報があまりにもずさんなことと、それが日本の基準に合わないことから来るこちら側のジレンマの間にいる感じだ。テクニカルな問題のため、なかなか先に進まない。やはり実際に見て、実現に向けた細かい打ち合わせをしなければならないだろう。まだまだ大変だ。

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2005.05.17 Yokohama (横浜)
建築ミーティングでは、大まかな会場の作家レイアウトを行なう。これで50名のアーティストの場所がほぼ決定する。その後、定例会で細かい打ち合わせをする。7時から旧関東財務局でトリエンナーレ学校開講。今回は芹沢さんにバトンタッチ。

ILN163
2005.05.18 Graz
朝、成田空港に行く。しかし飛行機は何らかの問題で出発がかなり遅れるとのこと。「そんなことならこんなに朝早くこなくても良かったのに」などと思いながら、正午過ぎにミュンヘン行きの飛行機に乗り込む。機内はほぼ満席。ミュンヘンで乗り換え、今回の目的地であるグラーツに着いたのが昼過ぎ。美術館キュレーターのアダムが迎えに来てくれている。そのまま美術館で打合せ。

ILN164
2005.05.19 Graz
ピーター・クックがつくったナマコのような奇妙な美術館で行なわれる「日本の知覚」展の出品作品制作のため、昨晩グラーツに着き、今朝から作業を開始する。とりあえずアシスタントとともに車で町を廻る。いくつかの場所でイリーガルに段ボールなどでホームレスのシェルターのようなものを組み立てる。長年やっていることなので別段作業的に問題はないが、グラーツでは初めてなのでやはり周りの目が気になる。

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ILN165
2005.05.20 Graz
引き続き終日作業。その後プリンターに会い、デジタル写真の出力をオーダーし、美術館学芸員に展示場所の確認とセッティングを頼み、夜行列車に乗り込む。これから10時間かけてヴェネチアに向かう。ヴェネチア・ビエンナーレのオープニングの際に横浜トリエンナーレのプレゼンをする内容のチェックと場所の確認を行なうため。久しぶりに夜行の寝台車で寝る。

ILN166
2005.05.21 Venezia
朝9時頃ヴェネチアに到着。寝ぼけた顔で汽車を降り、駅前にある運河の前に着く。こんな時期にヴェネチアに来たのは何年ぶりだろう。既に観光シーズンになっていてサンマルコ広場は、多くの観光客であふれていた。とぼとぼビエンナーレの会場となるジャルディーニへ向かい日本館のパビリオンに着く。ここで23年前、自分が作品を設置していたと思うと感慨深い。建物のディテールから作業をしていた時のことを思い出す。かなり大掛かりな作業だったと記憶しているが、今見るとそうでもない。こんなに小さかったのかと改めて思う。23年間の自分の変化もあるのだろう。当時は、23年後もこのような仕事を継続しているなどということすら、考えもしていなかっただろう。パビリオン近くの石畳に座り、しばしもの思いにふける。近くのドイツ館や韓国のパビリオンでは、展示設営準備で何人かの作業員が忙しく働いていた。

ILN167
2005.05.23 Yokohama (横浜)
昼過ぎに成田到着。そのまま横浜に向かい、17時からのサーカスのミーティングに参加する。引き続きテント設営に関する構造上の問題でどのくらい予算が掛かるかを正確にはじき出してもらった。どう考えても興行的には無理な予算配分。あまりにもこちらの持ち出しが多過ぎる。さてどうするか? この際、エトカンのサーカスを諦めるか? しばし言葉がなくなる。とりあえず、僕が6月にフランスで彼らと会い、そこで交渉するしかない。今回横浜でやるにしても、やらないにしても、そろそろ最終決断が必要な時期ではある。

ILN168
2005.05.27 Tokyo (東京)
第二回横浜トリエンナーレ2005記者発表。会場は赤坂の交流基金フォーラム。今回は場所も東京に移して、より具体的な参加作家、展示内容に重点を置いて説明する。特に建築グループの紹介と、現在彼らが考えている展示スペースプランの紹介が3Dアニメーションを用いて行なわれた。またここで参加作家51名のリストが公表され、実際に参加する作家の何人かに自己紹介をしてもらった。会場には美術関係者など200名ほど集まる。幕間に広島から来てくれた「身体表現サークル」のダンスパフォーマンスが行なわれる。ひ弱な四名の男性が、裸体でなれない組体操のようなものを無表情に行なう時の会場からのすすり笑いが彼らの可能性を感じさせる。会場構成、参加作家紹介と質疑応答で一時間半のスケジュールが無事終了。会場撤収の時、余ったワインをみんなで飲む。

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ILN169
2005.05.29 Narita (成田) >>> Taipei (台北)
トリエンナーレの記者会見を現地で行なうため、朝早く成田から台北へ向かう。2時間40分ほどで台北に着く。梅雨のような空模様。蒸し暑い。台北美術大学で一人の女性アーティストに会い、打ち合わせをした後、歴代ヴェネチア・ビエンナーレ参加アーティストを集めた展覧会が行なわれているとのことで台北市立美術館へ。その後、他の美術館でいくつかの展覧会を見る。

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2005.05.30 Taipei (台北)
朝の9時から、台北プレゼンテーションの準備。海外でのプレゼンテーションは、北京、上海に次いで三回目になる。会場は出版社のミーティングルームで50名ほどは入れる場所。今回は、台湾の美術記者関係のみの出席で、30名ほどが集まった。一通り紹介して質問を受けたが、やはりいつもと同じような質問が多い中、「アジアにおける横浜トリエンナーレの位置付け、その意味は何か」という質問を受ける。「カルチュラル・ツーリズム」についてなど、かなり突っ込んだ討論を行なう。台湾にも「台北ビエンナーレ」があり、国際展のスタイルを常に検証しているようだ。

ILN171
2005.05.31 Taipei (台北) >>> Yokohama (横浜)
台北から帰国し、そのまま横浜へ直行。定例会に間に合う。その後、建築ミーティング。展示室内部の箱の形状、仕様を建築チームの提案してきたものを前にいろいろ議論する。キュラトリアルのメンバーと共に作家の作品形状と展示会そのものイメージを会場に同時に落とし込んでいく。

ILN172
2005.06.01 Yokohama (横浜)
マリア・ローゼンの作品設置のため、マリンタワーで関係者を集めてミーティングを行なう。既にプランは出されているが、実施のイメージが双方で食い違いがあるため、実際に作品の一部をつくってどのように見えるかを実験してみることにする。今日は7月上旬にそのテストを行なうための説明会である。作品が設置されたタワーの上から見える景観に、どのくらい影響するかを見てみる。しかしそれだけでもかなりの予算が掛かる。作品設置の可能性がどのくらいあるのかを議論する。このようなことはいつのもことだが、公共的な場に設置する作品に付きものの安全性も考えなければならないし、見栄えが果たしてどのようなものなのかも改めて今回の実験で見てみることにする。

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ILN173
2005.06.02 Yokohama (横浜)
横浜開港146周年記念シンポジウムに参加する。会場は、横浜開港記念館。外は煉瓦作りで中は木造になっていて、昔の木造校舎を思い出す。このような建物の保存に力を入れ、それが街に付加価値を付け、そこから新たなヴィジョンを生み出そうとしている。そのような期待がこのようなシンポジウムを開かせたのだろう。中田市長を含め、3名が壇上に上がり、玉置宏さんの司会で座談会が始まる。横浜の歴史に沿った時間の流れの中でどのように街が変わって来てこれからどのようになるのだろうかを議論する。会場は比較的高年齢の人たちが多かった。

ILN174
2005.06.03 Narita (成田) >>> Luxembourg
夜の飛行機でルクセンブルグに向かう。いつも出発の日はばたばたしているが、夜の成田空港は人があまりいなくて静かだ。しかしこれから4週間の海外スケジュールを考えるとそれなりに緊張する。またその間、横浜を不在にすることにも不安は残る。そんなことを考えていたら搭乗時間。人に押されながら機内へと入る。

ILN175
2005.06.05 Thiers
ルクセンブルグでのグループ展の現地制作が一段落して、そのまま南フランスのアートセンターでのプロジェクトのため、パリ経由でティエールの町に向かう。以前は刃物工場だったところをアートセンターとして使っている。谷間の川の脇に幾つも同じような工場の廃屋が残されていて、荒廃した印象だが、唯一このアートセンターの存在が救いになっているような気がする。

ILN176
2005.06.08 Venezia
パリ経由でヴェネチアに入る。機内はすでにヴェネチア・ビエンナーレのオープニング目当ての美術関係者でいっぱい。交流基金の人が空港まで迎えにきてくれる。ホテルにチェックインしてそのままジャルディーニの日本館へ向かう。ヴェネチアのこの一週間は観光客と美術関係者しかいないようだ。先日来た時は、まだ誰も働いていなかった各国のパビリオンは、既に準備ができていて、綺麗に整理されている。スケッチを送ってオーダーしておいたテーブルとベンチがなかなか良くできている。その上にチラシやポスターを貼り、横浜トリエンナーレ広報の準備が完了する。

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ILN177
2005.06.09 Venezia
ベネッセの昼食会に呼ばれ、そこでいろんな人に会い、トリエンナーレのことを聞かれる。ベネッセは、今回のトリエンナーレのスポンサーの一つでもあるので、会長に会い、サポートに対してお礼を述べる。その後、ホテルのレセプション会場で日本館の作家、石内都さんと一緒にトリエンナーレのプレゼンテーションを行なう。セレモニーと立食で結構多くの人が長く滞留していた。

ILN178
2005.06.10 Venezia
引き続きプレスオープンの日で、日本館の前のパーティーでトリエンナーレを紹介する。かなり多くの人が来る。その合間を見て、隣のドイツ館の出品作家であるティノ・シーガルに会い、横浜での作品の打ち合わせをする。その後ベネッセ賞のパーティーに参加。ヴェネチアでも有名なホテルの屋外テラスで、優雅に船が行き交う光景を見ながらのパーティーだ。そこで先日届いたフライヤーを手にしながらトリエンナーレの紹介をさせてもらう。

ILN179
2005.06.11 Paris
ヴェネチアからパリに戻る。今回のヴェネチア・ビエンナーレのオープニング参加は、それなりの成果があった。今回ヴェネチア・ビエンナーレに参加しているアーティストで、まだ横浜に来ることができず、こちらもコンタクトが難しかったアーティスト、関係者にも会え、こちらの考えを話せたのは良かった。またここで再会して横浜に向けて引き続き準備をしてもらうように伝えられたのも成果だ。

ILN180
2005.06.12 Cherbourg
パリから3時間半かけ、ノルマンディーの港町、シェルブールに着く。あの有名なフランス映画「シェルブールの雨傘」の町でもある。ここには、エトカンサーカスが設置されて公演が行なわれるとのことで、急遽テントの構造、出し物、予算などを打ち合わせに来る。迎えに来てくれた車でサーカス会場に着くと、いきなり赤いテントの上に、ビュランの旗が何千枚とはためいている光景に圧倒される。デレクターのダンが、にこやかに出迎えてくれる。その後アシスタントに細かなディテールを説明してもらいながら、こちらはひたすらビデオカメラをまわす。内部は、シンプルに4枚のカラフルなパネル仕切られていて、演目によって開けたり閉じたりできる。シェルブールの港を見ながら、エトカンスタッフと夕食を取りながら、日本での仮設テントの設置の法規制の話や、サーカスを招聘することのいろいろな問題を説明し、今回横浜では新たなスケジュール、演目でできないかを打診する。ダンはかなり戸惑っていた。さてどうしたものだろうか。26日にもう一度ダニエル・ビュランと共にパリでエトカンの打ち合わせをするので、それまでに考えて来てもらうことにする。

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ILN181
2005.06.13 Basel
朝、5時の電車でシェルブールからパリに向かい、東駅でバーゼル行きの電車に乗り換える。昨日から電車の移動で多くの時間を使う。車内では、携帯もとぎれとぎれなのでビールを飲みながらもっぱらパソコンを開いているか、寝ているかのどちらかである。午後3時にバーゼル中央駅に着き、そのままアートフェア会場に行く。ここのアートアンドリミティド会場に横浜トリエンナーレのプレゼンテーションのための特設ブースを設け、広報を行なうのが目的だ。昨年ここで自分のインスタレーションをしたことが、なんだか遠い昔のように思える。

ILN182
2005.06.14 Basel
アートフェア会場で、今回横浜トリエンナーレに出品するヨープ・ヴァン・リースホウトのバーの作品と西野君の足場が会場入り口広場に設置されていて、まっすぐヨープのバーに行くと彼が笑いながらバーから出て来た。久しぶりの再会だ。「これが今回横浜に出展(店)する作品だ」とナマズのような形態のバーの中で説明してくれた。そこに西野君が現われ、ひとまず再会を祝してビールを飲みながら話す。西野君は、50メートルもあるかと思える街灯に足場を組み、一番上のライトを部屋の中に組み込むという作品だった。50メートルの足場を上り詰めた後の、街灯を含み込んだあっけらかんとした室内光景の意外性に、やはり誰もが笑わざるを得ないだろう。またここでもダニエル・ビュランと会い、引き続きサーカスの話をする。夕方、バーゼルのコレクターの家でのパーティーに出席した後、夜行でパリに戻る。今度は寝台車だ。

ILN183
2005.06.15 Montérimar
朝、バーゼルからパリの東駅に着き、そのままパリ・リヨン駅に向かいTGV(フランスの新幹線)に乗り、南フランスのモンテリマールへ。この町にある城でプロジェクトを行なうために昨年から何度か訪れている。フランスには各地にこのようなアートセンターがある。今回は、ティエールの荒廃した工場とこの城の二つのリノヴェートされたアートセンターで、リヨンの美術学校の学生と共に同時に行なうプロジェクトである。既に今年の3月にワークショップをし、皆でプランを組み立てた。会場に行くともう何人かの学生が来ていた。

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2005.06.16 Montérimar
フランス南部に位置するこの町は、以前は避暑地への通過地点として賑わっていたようだが、ハイウェイができ人々が通過してしまうようになったため、以前ほど活気はなくなったが、それでも依然としてポピュラーな避暑地になっているらしい。日差しが強く、暑い。しかし今日は一日中外で作業をする。作業に入るとしばし横浜のことを忘れる。

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ILN185
2005.06.18 Saint Étienne
ティエールの作業を一段落させサンテチェンに向かう。ここで横浜に招聘した音楽家のリュレンツ・バルベーが町全体を使った演奏会を行なうということを聞き、是非聴いておこうと思い訪れる。夕方到着し、そのまま町の広場に行くとそこにはすでに彼がいた。横浜以来久しぶりの再会だ。「横浜から今日の演奏会を聞きに来たんだ」と言うと、大いに喜んでくれた。サンテチェンの町にある12の教会と6つの公園に設置された鐘が彼の書いたスコア通りに次々と鐘を鳴らす。いわば町全体を使った壮大な演奏会である。彼はストップウオッチとスコアを持っているだけで、全て準備ができているようだ。夜10時の打ち上げ花火を合図に、教会の鐘の音が鳴り、演奏が始まる。その後、スコアのシークエンスをつくっているように次々と花火が打ち上げられ、至るところから鐘の音が聞こえてくる。彼を先頭に30名ほどの人たちとぞろぞろ町を歩きながらいろいろな場所の鐘の音を聞いて廻る。現代アートのスケールの大きさを彼の行為を通して感じる。このような演奏会を是非とも横浜でも行ないたいと改めて思った。

ILN186
2005.06.23 Nantes
朝、TGVに乗りパリで乗り継ぎナントに行く。2007年に行なわれる「ナント・ビエンナーレ」に参加するプロジェクトの打ち合わせのためだ。ここでもビエンナーレかと思うように、今、どこででもこのような国際展が企画されている。ただまだ時間に余裕があることは、つくる側には嬉しい。

ILN187
2005.06.26 Paris
帰国する前にエトカンサーカスと最終ミーティングを、ダニエル・ビュランを交えて行なう。現時点で構造上の問題、経費の問題をある程度クリアしていくことができそうなので、ここで全体内容のアグリーメントを得る。そしてエトカンのダンと作家のダニエル・ビュランの双方が了解のもと、この夏、横浜にこのサーカスを持ってくることを正式に決める。もうやるしかない。

ILN188
2005.06.28 Paris >>> Yokohama (横浜)
成田到着後そのまま横浜に行き、定例会でエトカンサーカスの招聘の決定を伝える。そこでマリア・ローゼンのマリンタワーに設置する作品の件を聞く。問題がたくさんある。特にメンテナンスのコストが異常に高いし、台風時の強制撤去の問題など、今後のトリエンナーレ進行の上に於いても影響しそうだ。さてどうするかだ。

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ILN189
2005.06.29 Yokohama (横浜)
終日アートフロントの藤本さんとマリア・ローゼンのマリンタワー計画の見直しを考える。

ILN190
2005.06.30 Yokohama (横浜)
一昨日からかなり議論し、マリア・ローゼンのマリンタワーのプランは修正を考えてもらう結論に。正式にメールで彼女に伝える。夜遅く彼女から返信。「最初は驚いてがっかりしたが、今まで進めてくれたことに対して感謝している。これから早急に新しいプランをつくり、送る」という前向きな答えにほっとした。新たな気持ちで彼女のプランを待つことにする。

ILN191
2005.07.02 Yokohama (横浜)
BankARTにて「国際展を考える」というテーマでレクチャーを行なう。海外での国際展の状況、そこでの体験などを語る。しかし最後は、横浜トリエンナーレに対しての質問が殺到する。

ILN192
2005.07.04 Tokyo (東京)
代官山インスタレーションの審査会。今年は海外からの応募もあり200点以上のプロポーサルに目を通す。代官山にある複合商業空間とそこで展開される作品の意味をやはり考えさせられる。

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ILN193
2005.07.05 Yokohama (横浜)
建築ミーティング。夕方、トリエンナーレ学校で今回トリエンナーレに参加するアーティスト、ミハエル・サイルストルファーとKOSUGE1-16の作品紹介を行なう。どちらも面白いアーティストだ。

ILN194
2005.07.07 Tokyo (東京)
横浜トリエンナーレ総会を赤坂の国際交流基金で行なう。予算案が通過して、まずは一安心。

ILN195
2005.07.08 Yokohama (横浜)
キュラトリアルの打ち合わせ。三人のキュレイターと話し、最終的に参加アーティストを完全にフィックスする。その後、オープニング時のシンポジウムの打ち合わせを木幡和枝さんと行なうため、久しぶりに上野の芸大へ。3月以来だ。

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