■インターローカルノートについて(「Inter Local Note」最初のページへ)





 

ILN196
2005.07.13 Kyoto (京都)
昼頃、京都嵯峨美術大学に着く。特別講演で横浜トリエンナーレのプレゼンテーションを行なう。大学の講義枠でのトリエンナーレ紹介は今回が初めてである。学生からいろいろな質問が出る。サポーターについて、宿泊についてなど、かなり具体的に関わり方を聞かれる。

ILN197
2005.07.14 Kyoto (京都)
今日は京都造形大学での講義。東京芸大退官後、初めての講評会参加だ。ここのプロデュース学科が企画した展覧会の展示場所で展示内容を講評する。その後トリエンナーレのプレゼン、予算、企業からのサポート、作家とのネゴシエーションなどプロデュース学科ならではの質問がいろいろ出る。その後、大阪に移り、今回のトリエンナーレ参加プロジェクトの一つであるGrafの豊島君と「公開打ち合わせ」をGrafカフェで行なう。そこにやはりトリエンナーレの出品作家グループ・COUMAが参加してくれた。彼らのメンバーの一人が今回の横浜トリエンナーレ最年少アーティスト(24歳)である。

ILN198
2005.07.15 Osaka (大阪)
大阪万博跡地にある彩都IMI大学院スクールで鷲田清一氏とカフェトークを行なう。ここでもやはり学生たちに今回の横浜トリエンナーレの紹介をする。学生はみんな興味津々で聞いていた。

ILN199
2005.07.16 Yokohama (横浜)
高松次郎さんの作品の打ち合わせを午前中にしてから、午後、西野君の中華街でのホテル計画の打ち合わせをし、エスタシオの打ち合わせが終わった時には、既に夜になっていた。朝から晩まで打ち合わせで一日が終わる。

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ILN200
2005.07.17 Yokohama (横浜)
今晩、横浜埠頭は花火大会。たくさんの花火が打ち上げられる。

ILN201
2005.07.19 Kumamoto (熊本)
横浜での建築ミーティング後、今回の招聘作家、アン・ハミルトンに会いに熊本市現代美術館へ。館長室で打ち合わせ。トリエンナーレの会場写真を見ながら、我々と話しているその場で彼女はプランを決めてくれた。話の中でどんどん自分の考えをまとめてしまう彼女の柔軟な感性は凄い。

ILN202
2005.07.20 Yokohama (横浜)
朝、羽田に到着後、そのまま横浜に向かう。雑誌のインタビューと幾つかのミーティングで夜になる。

ILN203
2005.07.21 Tokyo (東京)
夕方、スペイン大使館で、今年のヴェネチア・ビエンナーレ総合ディレクターだったマリア・デル・コラール女史を囲むデイナーパーティーが開かれ、出席する。そこで彼女と国際展をオーガナイズすることの大変さを話し合う。今回横浜トリエンナーレに参加するスペインのアーティストを大使館がサポートしてくださるとのことで、そのお礼を大使に伝える。

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ILN204
2005.07.23 Tokyo (東京)
都内の病院で日帰り人間ドックを受ける。問診で健康体であることに感謝したほうが良いくらいに身体的な問題はないとのこと。不規則な生活をしているわりには問題がないとのことに少々気が抜ける。夜、BankARTで横浜ポートサイドラジオの公開収録に出席し、トリエンナーレを紹介する。

ILN205
2005.07.24 Narita (成田)
またフランスに向けて成田から出発する。52歳の誕生日を機内で迎える。移動中ということに何か感慨深いものを感じる。パリに到着後、エトカンのダンとサーカスの公演内容について打ち合わせ。またイタリアにいるビュランと傘のデザインについて話をする。

ILN206
2005.07.25 Saint Thélo
昨年から継続して行っている美術、建築系の学生とのワークショップを今年も行なう。二年目となる今年は、主に現場仕事がメインになる。まずはいつものミーティングから始める。

ILN207
2005.07.30 Paris
エスタシオのモーバイル建築をつくっている建築家のハンス・ウォルター・ミュラーを訪ねて、実際のドーム型の建築を見せてもらう。彼の自宅もまた作品であった。

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ILN208
2005.07.31 Paris >>>
遅れているカタログ用の原稿を引き続き執筆。

ILN209
2005.08.01 >>> Narita
昼頃成田に到着。夕方、都内で韓国の作家、キムスージャに会い、今回の参加作品についての打ち合わせをする。展示場の周りの作品を考えながら、もし自分がそこに作品展示するとしたらどのようなものが良いのか、静かに自問しながら話してくれた。

ILN210
2005.08.02 Yokohama (横浜)
トリエンナーレの展覧会会場となる倉庫で建築チームと模型を見ながらの打ち合わせ。まだ何もないがらんとした空間で、これからここに組み立てられる大掛かりな仕掛けについて、みんなで話す。そこに中田市長が参加。テレビ神奈川の人たちが収録で展示前のトリエンナーレ会場の下見に来る。模型を使って全体の出品作品がどのように展示されるかを説明する。

ILN211
2005.08.03 Yokohama (横浜)
昨日に引き続き、会場の下見会をジャーナリスト、美術関係者などを招いて行なう。まだ何もない倉庫の空間を見ようと、暑い中、50名ほどが来てくれた。みんなの関心の強さに少々驚いたと共に、今回の展示に関しての責任もますます感じさせられた。

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ILN212
2005.08.05 Seoul (京城)
昨日、韓国に入り、今日は美術関係者に対しての横浜トリエンナーレのプレセンテーションをソウルの交流基金の会議室で行なう。来場者は少なかったが、光洲ビエンナーレのキュレイター、釜山ビエンナーレのディレクターなどが来てくれて、いろいろ質問された。韓国語版ポスターが評判良かった。既にこのようなポスターは、その都度のプレゼンテーションのため、日本語、英語、中国語と今回の韓国語の4バージョンが用意されている。

ILN213
2005.08.07 Yokohama (横浜)
今日は、トリエンナーレサポーター全員の倉庫見学会。約150名が参加。全員、空っぽの空間の大きさに圧倒されている様子。まだ何もない会場で作品が設置されて行く状況や展示作品の内容を、模型を使って説明する。会場内は暑くて、説明しているそばから汗が滴り落ちる。

ILN214
2005.08.08 Narita >>> Paris
またフランスに向けて出発。ブルターニュ地方で行なわれている私のワークショップの最後の一週間に参加する。

ILN215
2005.08.15 Tokyo (東京)
パリから成田に到着。飛行機を降りると蒸し暑さで一気に帰国したことを感じる。これで今年の全ての個人プロジェクトの海外制作が終了した。後は横浜に通うことのみとなる。フランスの土産と共にそのまま横浜へ直行する。

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ILN216
2005.08.15 Yokohama (横浜)
トリエンナーレステーションでは、掘尾貞治さんが作品紹介を行なう。今回の出品作家の中でも長老のほうに属する。しかし作品は若々しく、やはり面白い。今回の横浜トリエンナーレに参加する意気込みも語ってくれた。このようなアーティストを今まで国際展で紹介しなかった日本のアートシーンを改めて考えてしまった。

ILN217
2005.08.21 Yokohama (横浜)
毎日いろいろなアーティストが制作のため、会場を訪れている。リチャード・ウィルソンも今日イギリスから到着し、そのまま今回の作業を受け持つ数名の学生とミーティング。そしていきなり現場で撮影始める。みんな彼の制作パワーに圧倒される。

ILN218
2005.08.23 Yokohama (横浜)
相変わらずトリエンナーレ学校には、100人ほどの受講生が来ている。今日は、屋代敏博君と身体表現サークルの常樂泰君が各自の作品の紹介を行なった。身体表現サークルは、ワークショップの募集も兼ねて実際に何人かのサポーターと現在行なっていることを披露してくれる。いきなり裸になり、組み体操のようなことを行なう。思わず会場から笑い声が湧く。

ILN219
2005.08.24 Yokohama (横浜)
オープニングレセプションの会場となる横浜大桟橋の大ホールを視察する。大きなガラス窓から港が一望できる。ここにアーティスト、関係者、招待客約1,000人を招いて、盛大にレセプションを行なおうと思う。今から楽しみだ。

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ILN220
2005.08.25 Yokohama (横浜)
トリエンナーレ関連で使用している旧関東財務局を含む二つの建物のお披露目を行なう。トリエンナーレ学校やトリエンナーレスタジオ、アーカイヴなどが入っているビルで、台風の接近で大雨の中、40名ほどの美術関係者が訪れ、会場内に設置された何人かのアーティストの制作スタジオやワークショップの模様を丹念に見て行った。既にトリエンナーレ出品作家グループ、グラフのカフェもここの中庭でオープンしている。いわば、トリエンナーレと一般の市民とのミーティングスポットとして活用できたらと思う。

ILN221
2005.08.26 Yokohama (横浜)
オーストラリアのアーティスト、クレイグ・ウォルシュの作品制作のために関わってくれた港湾職員の方々との交流パーティが行なわれる。彼の作品制作を通して、いろいろな面で協力してくれている港湾関係者と初めて交流ができた。しかもオーストラリア大使館から提供された4ケースのシャンパンと共に。トリエンナーレスタッフもしばし仕事を休んで、和やかに飲む。

ILN222
2005.08.31 Funabashi (船橋)
アートNPOの報告シンポジウムで、地域で行なうアートプロジェクトの意味などを話す。その後のディスカッションで横浜トリエンナーレの紹介をそっちのけで、コミニュティーアートなる、あるようでないような新規カテゴリーに対しての受け手側と行なう側の温度差について、大いに語る。

ILN223
2005.09.01 Yokohama (横浜)
西野君と中華街へ。ここで行なう彼のプロジェクトを近隣の店に紹介して廻る。そこには作家の彼よりも自分のことのように頭を下げている自分がいた。これは何なのだろうか? ここまで自分のことのように思うのは、やはり彼の仕事に対するリスペクトがそうしているのだろうか。そうしている自分がやけに面白いと感じた。

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ILN224
2005.09.03 Yokohama (横浜)
朝から横浜青年会議所主催のフォーラムに参加し、横浜トリエンナーレを紹介する。いろいろなところがトリエンナーレを好意的に受け入れてくれている。そう思うほどに自分に掛かる責任を感じる。やはりこの事業はいろいろな面で横浜にかなり影響力があることを、改めて思い知る。

ILN225
2005.09.06 Yokohama (横浜)
深夜、横浜トリエンナーレ事務所での遅い仕事からみなとみらい線の電車に飛び込むと、車内中のトリエンナーレ広告が目に飛び込んで来て、思わず興奮する。なかなか圧倒的な光景である。

ILN226
2005.09.07 Yokohama (横浜)
故・高松次郎さんの再現製作現場に中原祐介さん、高松夫人、高松さんの作品を扱っているギャラリーの千葉さんをお呼びし、制作進行状況をチェックしていただく。幾つかの制作に関しての助言を中原さんから受け、23日の展示会場設営に向けて、もう少し作業をしてもらうことにする。

ILN227
2005.09.10 Yokohama (横浜)
チェン・ゼンの再制作の作業に入る。粘土を部屋全体とそこに置かれた物に塗る。まるで洪水に遭った部屋のように全てが泥色で覆われているようだ。カタログの写真を見ながらなるべく忠実に再現する。

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ILN228
2005.09.11 Yokohama (横浜)
中華街に組み立てる西野君の作品のために引き続き近所の店に挨拶に行く。どこも好意的だ。あとはあまり遅くまで作業をして騒音を出さないように心掛けることだろう。

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2005.09.14 Yokohama (横浜)
本展会場を横浜市議数十名が視察に来る。全員ヘルメットを被ってもらい、制作中の作家を横目に展示場全体にある作品を説明して廻る。

ILN230
2005.09.16 Yokohama (横浜)
チエン・ゼン(故)の夫人が横浜に到着。早速打ち合わせをして、チエン・ゼンの再制作作品を見てもらうと、我々が使った粘土がまるで違っているとのことで、最初から全部やり直しになる。制作チーム一同に悲鳴に似た声が上がるが、気を取り直して明日からやり直すことにする。やれやれ。

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