「よーろっぱ日記」から「ヨーロッパだより」へ
インターローカルノートと題して日々の制作の変遷を載せていたが、横浜トリエンナーレ2005のディレクターズダイアリーとしてかたちを変え、会期終了まで引き続き身辺記事を載せていた。しかしその後、忙しさのあまり継続していなかった。
今回フィルムアート社のウェッブ上で連載されていた「よーろっぱ日記」を引き続き私のウェッブで紹介することにし、その引き続きを「ヨーロッパだより」というタイトルで、ここに載せることにした。

 updated 2009.05.19

2008.11.(001)〜(100)
2010.09,(101)〜(200)
2011.10.(201)〜(300)

2013.04,(301)〜(400)



2007.04.09-2008.03.10 フィルムアート社川俣正「よーろっぱ日記」
2003.01.29-2005.12.31 川俣正「インターローカルノート」

EL100
2010.09.13
Paris

やっとのことで、韓国での仕事も終わり、パリに戻ってくる。もちろんお土産をいろいろ買う。誕生日に居なかったこともあり息子のためにしっかり買い込んだ。しかし明日はどういう訳か、奥さんの誕生日でもあるので、もちろん忘れないで彼女のプレゼントも買ってきた。


EL099
2010.09.08
Masan

今日、息子カナルの3歳の誕生日。しかし自分は、韓国の山の中にある町で雨の降る中、木の上に木造の小屋を作っている。なんという父親だろうと自分なりに思う。電話で声を聞いて気持ちが和む。いい加減、このスケジュールをなんとかしなければいけない時期にきているのかもしれない。ただ毎日、焼き肉をたらふく食べる。すでに1年分くらいの焼き肉をこの数日で食べているような気がする。仕事を終え、夕方に街に出てビールと焼き肉、そしてキムチとくると確かにたまらない。


EL098
2010.08.25
Paris

ポンピドーの展覧会が今月23日で終了したので、解体、撤収の様子を見に行く。作品撤収はすべて業者がやってくれるので、作るときとは違って、気持ちが楽だ。いつものことなので、作品が解体されることに何のセンチメンタルな気持ちもわかない。ただ事実として数ヶ月、ここに設置されていたという記憶が、取り外された場所からよみがえってくる。テンポラリーであることの潔さが、信条だからか。


EL097
2010.08.22
成田

今年の夏の日本滞在も終わり、家族でフランスへの帰国(?)に着く。9月から幼稚園に通う息子の準備もあり、少し早めに戻ることにした。飛行機を降り、タクシーで自宅まで行く。ドアを開けてシャワーを浴び、いつも行く近くのパン屋さんでバケットを買ってきて、みんなで食べる。またいつものパリでの生活に戻る。


EL096
2010.08.08
松代

新潟妻有の山間部にある廃校となった小学校を改造して作ったアーカイブ専門の研究施設CIAN の会場で、「東京インプログレス」の合宿を開始する。ここで今後の東京で行うプロジェクトの最終チェックをみんなでする。朝からディスカッションとブレーンストーミングをし、昼食をとりそのまま夕方まで企画のアイデア出しを行う。その後はみんなで近くの温泉に行く。物事はすぐ決まらないにせよ、なぜか一日充実した気分になるのは、この温泉で一汗流すということがあるのかなと、ぼんやり湯船の中で思う。


EL095
2010.08.03
Paris

パリに一時帰国して、ポンピドーで展示している子供たちのための会場構成の展示替えを行う。今回で最後の模様替えだ。毎月、インスタレーションをテーマ別に変えて合計5回行ってきた。毎回、学生ボランティアの手を借りて、床から直し、段ボールでいろいろな造形物を組み立てる。


EL094
2010.07.25
豊田

豊田市美で緊急トークを行う。以前学生やボランティアとワークショップをしながら組み立てた橋が、老朽化のため危険になってきたとのこと。子供たちが数名ここで遊んで、とげが手に刺さる事故が数回起きたこともあり、このワークショップに参加した人たちとともに、今後の作品について議論した。


EL093
2010.07.11
鹿嶋

向島の作業を一時中断して帰郷し、昨年亡くなった親父の1周忌を実家で行う。


EL092
2010.07.04
向島

瀬戸内海、向島に入る。今日からここでのワークショップに参加する。すでに数名のスタッフが準備をしてくれている。昨年から行っているので段取りが良い。一日の作業内容やスケジュールを決めていく。これから毎日ここで作業だ。


EL091
2010.06.30
東京

荷物をまとめて家族で大移動。今日から日本に帰国する。大きな荷物を持ち、朝からてんやわんやで、空港まで駆けつける。息子はすでに飛行機にはなれているようで、勝手に手元のボタンを押し、スチワーデスを呼んで飲み物を注文している。こっちは、さっきまでのドタバタで疲れ果て、そのまま寝入ってしまう。


EL090
2010.06.27
Essen

エッセンのタワーの前で、トークを行う。今回の展覧会(EMSCHEKUNST)のイベントの一つでアーティストトークを頼まれ、朝早くパリを出る。現場のタワーの前にはすでにデッキチェアが置かれ、マイクまで用意されて数十名の人たちが待っていた。その中には旧知の友人たちの顔もある。いろいろ今回の作品制作について話す。日差しが強く、聞いている方は日陰で気持ち良さそうに椅子に座ってのんびり聞いているが、話す方は真正面から日を浴びて、汗だくになり目をしょぼしょぼしながら語る。アー早く終わって日陰でビールでも飲みたい。


EL089
2010.06.25
Knooke

ベルギーの港町クノッケというところにある画廊と仕事をして、すでに何十年となる。ここの画廊主である兄弟が私のマケット(プロジェクトのプラン模型)を買い始めて、かれこれ20年も過ぎたか。その間、何度も東京に来たり、現在もパリのアトリエにほとんど毎月のように訪れる。この画廊で今回を入れて通算3回目となる個展を行う。ただコレクターは、毎回違うようだ。その後の打ち上げパーティーで、最近のコレクターが集まり、自分の所有している私の作品についての自慢話をする。どの作品が好きかを言えというが、自分に取ってどれが一番とかあまり考えないで作っているので、ワインを飲み、にやにやしながら質問を聞き流していた。ただ彼らが自分を支えてくれているということだけは実感できる。


EL088
2010.06.21
Paris

ポンピドーのディレクター主催のプライベートパーティーに参加する。今回の作品展示で、作家、関係者におつかれさまということで、彼の個人宅で行った。
しかしアパートは、ポンピドーの真ん前のビル。窓から全面にポンピドーの正面玄関が見える。ここから毎日約2万人の入場者を窓から眺めているのかなと思う。


EL087
2010.06.16
Avignon

アビニョンを含めて広範囲の地域で行う「Camargue project (仮称)」の打ち合わせのためアビニョンに行く。すでに何度か現地を視察しているので、その後に作ったラフなプランを持っていき、簡単に説明する。いろいろな話をして、その日の電車でパリに戻る。


EL086
2010.06.09
Paris

ボザールで自分のアトリエから進級する9名の学生のディプロマ(進級試験)があり、そこに立ち会う。彼らは3年生で、自分がボザールの職に就いた年に入ってきた学生だ。一人一人アトリエを全部使って作品を展示する。みんな意外なほど緊張して、ほかの教授の質問に答えている。確かに進級は、結構大変なことだ。作品の完成度が悪いと平気で落とす。審査は15分ほどで終えるが、結果発表はその日の遅い時間にしか出さない。夕方、学生の歓喜の声が聞こえる。


EL085
2010.06.07
東京

東京都庁で関係者、関係各役職の人たちに顔通しを一通りする。初めてこの新宿都庁舎に入る。威厳ある建物の前でタバコを一服して、いくつものエレベーターを乗り換えて、関係部署に顔を出す。どこの部署がこのプロジェクトに直接つながっているのかさっぱりわからない。いずれにせよ、連れて行かれるところで毎回同じ説明をする。こうやって物事が少しずつ決まっていくのかということを実感する。


EL084
2010.06.05
東京

隅田川をスタッフとともに遊覧船でクルージング。まずは、現場を見てみんなで場を共有しようということで、ビールやつまみ持ち込みで船に乗る。隅田川の心地よい風に吹かれて、気持ちも高ぶる。目前にスカイツリーが現れ、巨大なプロジェクトが進行している様を見る。


EL083
2010.06.04
東京

東京インプログレスの初めての記者発表。いろいろな記者の人たちがいた。まだこれから内容を詰めていく段階ではあるが、すぐにでもプロジェクトが立ち上がるかのように自信たっぷりに語る。いろいろな記者発表を経験してきたので、場に飲まれて話すことを忘れるようなことはない。ただ時間が決められているので、少し早口で全体のコンセプトを語る。あまり質問もなく、静かに記者発表は終わる。ヤレヤレだ。


EL082
2010.06.03
東京

今度、東京で始めるプロジェクト「東京インプログレス」の記者発表のため、パリを出て、寝ぼけ眼で夕方の東京に着く。いつも東京宿泊には、浅草の友人宅のマンションをお借りする。そこで着替え、シャワーを浴びて浅草の町へ出て一杯飲み、旅の疲れを取る。しかし今晩は、明日の記者発表の打ち合わせをする。もちろん一杯飲みながら。


EL081
2010.06.01
Essen

ポンピドーのチルドレンギャラリー会場の再構成。毎月、会場をテーマごとに違うインスタレーションを作る。そのような変化する会場構成を企画した。その責任もあり毎回、月始めの火曜日に会場に行き、段ボールのアレンジをする。
その午後、子供たちのグループとワークショップがある。なぜか火曜日はポンピドーの休日なのだが、ここのワークショップだけはやっているようだ。毎回20名ほどの4歳から7歳くらいの子供たちが先生に引率されてくる。ポンピドーとしての教育的アウトリーチとでもいうものだろうか。


EL080
2010.05.29
Essen
エッセンの公式オープニングに参加する。昨晩からホテルに泊まり、いろいろな催し物に参加する。しかし今回のメインの目的は、先回、タワーは完成したがその下の道がまだできてなかったので、それの最終的な確認もあった。次の朝、現場を訪ねると、しっかりきれいな木道が出来ていた。日が射してきて、きれいな完成写真が撮れた。もうそれだけでもオープニングに来たかいがあった。あとは暑い日差しの中、オープニング会場で何杯もビールを飲み、帰りの電車で寝て、パリの北駅に電車がついた時には、夜中の11時を回っていた。


EL079
2010.05.23
Bordeaux
今日から2日間、休暇にして家族の念願だった昨年作ったボルドーの橋を見に行く。今年の6月で解体されるボルドーの橋は、昨年の「EBENTO」という展覧会の際に設営されたが評判がよく、会期終了後もボルドー市が残したいということで、残っていた。オープニング以降現地に行ってなかったので、最後の再会と思い、また自分の子供にぜひ見せておきたいということもあり、家族旅行になった。オペラ座の前の高級ホテルを予約し、家族で楽しむことにした。快適なTGVの電車内で揺れながら思ったことは、たしかに今まで仕事抜きの旅行は、全くといってよいほどしていない。ニューヨーク、ロンドン、ベルリン、東京に至るまですべて仕事がらみであった。南フランスの暑い日差しの中、カフェで白ワインを飲みながらボーッする気分は、ずいぶんと忘れていた。


EL078
2010.05.22
Paris

ポンピドーのブックショップでのサイン会。今回のポンピドーでの展覧会にあわせて、パリのギャラリーがカタログを出版してくれるということになり、そのお披露目とサイン会をブックショップの中で行った。何人かの列ができ、その中の一人は、僕のほかのカタログも含めて10冊ほど買い、サインを求めてきた。彼は20年前にベルギーで僕のプロジェクトを見たという。やはりこういう観客がいることを、あらためて知った。長く作品を作っていくと、このような人に会えるのだとしばし思った。


EL077
2010.05.20
Paris

ボザールで学生の試験に立ち会う。指導教官ということで、自分のクラスの学生に対しての作品批評に、他の教官3人と参加する。自分の学生だからといって、つべこべ言うのも変なので、黙って聞いているが、結構辛辣に批評する。学生はマジに返答するが、あまりにもシリアスな状況になるため、こちらからそれとなく違う話題を持っていき、話を変える。30分ほど作品を前に3人の教官から質問攻めにあう。その後、学生をアトリエから閉め出し、教官だけでディスカッションをする。要するに彼、彼女を進級させるかどうかを決めるのだ。外で待っている学生は気が気でないだろうが、僕らがアトリエから出てきて、「フェリシタシオン!(おめでとう)」というと、初めて彼らは、ほっとした表情をする。ボザールの学生も進級は結構大変なのだと、人ごとのように思った。


EL076
2010.05.10
Recklinghausen
レックリングハウゼンのクンストハーレでの作業。ここに第2のタワーを組み立てる。半分のサイズの模型だが、それでも高さが6メートルもある。この美術館が今回の展覧会のインフォメーションセンターとなるためである。美術館の外に立つこの模型が、広告塔になるということだろうか。


EL075
2010.05.06
Essen
エッセンでの作業開始。昨日、現場に近い宿泊所となるアパートに着く。ベルリンから2名、パリから1名の日本人アシスタントが来てくれる。既に彼らとは以前も仕事をしたことがあるので、気が楽だ。木造のタワー建設現場は、業者が一通り組み立ててあり、そこに外壁や入り口、ベンチなどを付け加える作業を我々が行うことになっている。レンタカーを借り、毎日アパートと現場の往復の日々が始まった。


EL074
2010.04.17
Paris

ポンピドーのオープニング。屋外作業が終わってほっとしていたらオープニングの日になった。ただあくまでも形だけのオープニングで、ほとんどの人はポンピドーの前にくると、既に屋外に取り付けられたツリーハットが見えるのでこの展覧会を知っている人が多い。ホール一階のチルドレンズ・ギャラリーで多くの子供たちの中にポンピドーのディレクター、キュレイターがいた。本来は、子供のためのギャラリーで、その展示であるため、建物外観にツリーハットを取り付けるのも論外の話だったが、それをなんとかここでの企画に滑り込ませ、実現させたしだいである。そうでなければ、今回ポンピドーの建物にツリーハットを組み立てることなど出来なかっただろうと思う。ポンピドー開館以来の出来事であったとキュレイターから聞かされた。要するに初めてのことだったようだ。


EL073
2010.04.11
Paris
6台目の最後のツリーハットを取り付ける。今までの中で一番高いところに設置する。ここまで毎日快晴で、雨や風で作業中断ということもなくきた。40メートルクレーンのアームがいっぱいに伸びきるところから、さらに上の所に設置する。クレーン車は、ほとんどまっすぐの棒のような状態で静かに回転して、設置場所に着く。この最後のハットで、設置作業のすべてが終わった。この頃には、神経的に何かハイな状態になっている自分を感じた。まだいくつでも作れるような感じだった。高所での作業にはどこかハイな状態にさせてくれる何かがあるのだろうか。ポンピドーの制作スタッフ全員を招いて、シャンペンで乾杯する。


EL072
2010.04.06
Paris

やっとポンピドーの外側に、ツリーハットを組み立てる許可が下り、大きなクレーンが2台、やってくる。40メートル級のクレーンだ。作業開始時は、少し怖い感じがしたが、何度かこのクレーンに乗って木材を組み立てていると、自然になれてくる。さすがに昔取ったなんだかだろうか、高所作業も問題なく進んでいった。ただ釘一本、ビスねじ一個たりとも下に落とせない。40メートル下では、人が普通にクレーンの脇を歩いている。これには気を使った。


EL071
2010.03.30
Paris
ポンピドーでの最初のツリーハットの組み立て。ホール内部の天井に、木材と段ボールで3カ所組み立てる。骨組みを木材で組み立て、既存の建物構造物に絡ませる。そこに段ボールで壁面などを貼付ける。なんだか奇妙なものが天井に絡み付いているように見える。


EL070
2010.03.17
Paris
ポンピドーでの作業が始まる。やっと、というか、ここまでどんなに多くの時間を打ち合わせに費やしたかわからない。とにかく道具を持ち出し、木材を組み立てる快感が体の中を伝わるのがわかる。どんどん組み立て始めて、作業はスムーズに進む。これから4週間、毎日作業だ。そして最後の週は、ポンピドー外観に取り付けられるツリーハットの制作だ。一昨日から微熱があるが、風邪なんかひいてられない。


EL069
2010.03.10
東京

日本帰国、7日間の滞在で6人の人と「東京を語る」というトークシリーズを行う。全く準備も何もなく毎日ぶっつけ本番で相手と語る。かなりの緊張だが、終わって反省会も含めて近くの飲み屋でビールを飲みながら対談相手やスタッフと話す内容は、トーク以上に面白かった。


EL068
2010.02.23
Abu Dhabi
中東のアラブ市長国連合の一つ、アブダビの街にやってきた。ここで公園の再開発計画に参加するためである。しかし、とにかくすべてが人口的に作られている街である。40年前は砂漠だったとは思えない急成長の街。高層ビル、高速道路の建設など、街の至る所が工事現場である。ここに新たなテーマで公園を再計画したいとのこと。新しいプランを考え、提出することにする。


EL067
2010.02.15
Avignon
南フランス、アビニョンを中心に地中海に出るローヌ川付近のデルタ地帯がカマーグ(Camargue)と呼ばれている湿地帯。ここは、自然環境保護区に指定され、ピンクのフラミンゴが飛来することや、漁業や塩田の歴史的も含めて、フランスでは有名なとこである。ここでこれから新たなプロジェクトを紡ぎだしていくことになる。そのための最初の現地訪問である。


EL066
2010.01.30
東京
毎年の恒例になっている高校時代の同期会が、同級生の六本木にある店で行われた。昨年暮れに数名の同級生がパリに来た。その報告会もかねてのことだった。パリでのいろいろ知らなかった打ち明け話もあり、結構盛り上がった。ただあまり現地での僕のコーディネートにたいしては、話が盛り上がらなかった。確かに忙しかったこともあり、あまり頼りにならなかったもかもしれない。


EL065
2010.01.25
東京

東京都庁で今年から計画している東京でのプロジェクトの簡単なプレゼンテーションを行う。いろいろな課の人たちと名刺交換をし、プロジェクトの概要を説明する。主にセキュリティーの問題が大きくあるようだ。まあ、いつものことだから驚きはしないが、これから少しずつ実現に向けて修正していくことになると思う。まずはプロジェクトスタッフを集め、運営チームを作ることだ。
なんだか2005年にやった横浜トリエンナーレの開始のときのような気分だ。


EL064
2010.01.23
成田
東京での新たなプロジェクトの打ち合わせと、先端(東京芸術大学先端芸術表現科)の卒展を見るため、パリから成田に向かう。毎年1月下旬は、東京に向かう。なぜなら卒展の受賞に「川俣賞」なるものを勝手にもうけて、毎年一人の受賞者に海外でのレジデンスを推奨し、そのための資金を援助してきた。既に6年続けているが、ちょうど先端に勤務していたのが6年間だったこともあり、またほかのところで助成が必要になったこともあり、今年で終わりにすることにした。そのことの報告と最後の受賞者を決めるため、卒展会場である横浜に向かった。


EL063
2010.01.15
Paris

ポンピドーの打ち合わせ。今まで何度細かい打ち合わせを行ったことだろう。これほど作品制作の作業に入る前にミーティングを重ねるのは、初めてだ。そしてほとんどがセキュリティーのことだ。確かに毎日ポンピドーには何千人もの観客が訪れる。11時の開館前に既に何百人もの列ができる美術館もあまりないだろう。先日もポンピドーに爆弾騒ぎがあり、一瞬騒然としたときもあった。これほどまでにフランスを代表するパブリックなインスティチューションになったということだろうか。


EL062
2010.01.08
Paris

パレロワイヤルのオープニングに行って来た。ダニエル・ビュランの公共プロジェクト。80年代フランスにおいて最もパブリックアートの公共性を問うた問題作のリニューアルオープニングだった。当時この作品が完成した後、最初のプランどおり作品の中に水が流れていないということで再三、ビュランが抗議したがそのままだった。近年それにしびれを切らして、彼が最初のプランどおりに活用してくれないのなら、撤去、解体してくれというメッセージを出したので、慌てて昨年から改修工事が始まったわけだ。もちろん既に20年も経っているので、放置状態だったが、現在は観光地にもなって訪問客が後を絶たないということもあり、パリ市が工事に踏み切った。作家の執念ともいえるこのような市との交渉も、しぶとく長い時間をかけて行うことでしかない。雪のちらつく寒い夕方のオープニングでは、当時の文化大臣だったジャック・ラングが久しぶりに顔を出していた。しかし相変わらず本人のダニエル・ビュランは、それでもいろいろ不満を話していた。まあこれがアーティストなのだと帰りの地下鉄の中で思った。


EL061
2010.01.01
Paris

数分前に2010年になった。今年はどんな年になるだろうか。
あまり年で区切りをつけるような仕事や生活をしているわけでないので、新年が来たからといって、ことさら何か新しい気分になるわけではない。相変わらずアトリエのテーブルには、山と積まれた仕事の書類が、「何を新年の感傷なんかに耽ってるのか!」と言いたげに私を待っている。昨日やっと向島プロジェクトの模型が完成し、ホッと一息ついて一人でシャンペンをあけた。今はその残りのシャンペンを飲みながら、ボーッと昨年(つい数分前)のことを思いながら、しばしの休憩をアトリエで過ごす。


EL060
2009.12.27
Paris

引き続き、アパートの手入れ。電気や電話線の配線などいろいろ細かいことがある。新しく組み立てたアトリエとリビングのしきり壁だって、ペンキを塗らなくてはならない。いろいろ来年も仕事はあるだろうが、ここ数日はアパートのことだけやっていよう。どうも仕事放棄のような気分だ。まあ気分転換ということかもしれない。アルコールの量が増えている。


EL059
2009.12.21
Paris

今日から少し、アパートの手入れをする。しかしたまった仕事がある。どちらを優先的に行うか悩む。とりあえずクリスマスだしということで、初めて大きなモミの木を買ってきてクリスマスツリーの飾り付けをする。そんなことをしながら昼からワインを飲んで久しぶりにアトリエでボーッとする。なかなか新しいアパートのアトリエも悪くないものだとはじめて感じた。


EL058
2009.12.18
Paris

ボザールの学生展示。意外と閑散とした展示。作品はみんな意欲的だが、展示が少し静かすぎる。おまけにオープニングの為に用意した日本酒やら彼らが作ったお寿司がまずく、誰も手をつけない。また今日でボザールがクリスマス休暇に入るため、多くの学生が午後からいなくなっていることもあり、寂しい感じの日本旅行ドキュメント展だった。


EL057
2009.12.15
Munster

ドイツ、ミュンスターの美術学校でレクチャーをする。来年行われるエッセンでのプロジェクトにここの学生の参加を集うのが目的。レクチャー前に学校内を歩いていたら、久しぶりに何人かのアーティストに会う。ここで教えているのを知らなかった。いろんな話をしながらここの学生のレベルなどを聞く。
1時間ほどスライドを使ってのレクチャーをして、レックリングハウゼンのホテルに戻る。今晩はここに泊まる。明日の朝、エッセンでミーティングがあるからである。いつものホテルにチエックインして、遅い夕食を近くのレストランで食べる。その次の日、エッセンで再度のテクニカルな打ち合わせを済ませ、パリに戻る。


EL056
2009.12.04
Paris

ボザールのアトリエ・トリップに参加した学生がドキュメント展を企画しているので、その話し合いをする。旅行に参加していない今年入学した学生数名も、作品展示で参加することにする。未だ行ったことのない日本のイメージをもとにした作品展示。いろんな学生の作品が展示されるのを期待する。


EL055
2009.11.30
Essen

エッセンで来年のプロジェクトの打ち合わせ。おもにテクニカルな面での打ち合わせがメインだ。作業には、セキュリティーやいろいろな町の決まりがあるらしく、いかにもドイツ的な厳格さを盾にして話してくる。それをどのように乗り越えて作品をつくるかが、ここでは一番の問題だろう。うんざりするような法規や、あきれかえるようなことも、みんなまじめに話し合う。さてどうなるかだ。


EL054
2009.11.15
Paris

3週間ぶりに息子に会う。やはり3週間家族と離れるのは、今はつらい。来年は、家族といる時間をもう少し増やさなければと思う。まだ整理されていない新しいアパートで、久しぶりにゆっくりする。


EL053
2009.11.14
成田

学生たちは、カラオケではしゃぎすぎて成田に向かう電車の中では、全員熟睡。そのまま午前中の飛行機でパリに帰国。


EL052
2009.11.13
京都

学生とともに3日間、京都見物。その後、同志社大学でレクチャーを行う。夕方、京都を離れ東京に戻る。しかしフランスの学生とともに明日の朝早く成田からパリに出発しなければならないので、浅草のカラオケボックスで朝までいる。


EL051
2009.11.10
代官山

代官山インスタレーションの審査発表会。毎回いろんな作品が代官山周辺で展開される。今回は、中目黒駅周辺にも設置されているということで、見て回る。
それから審査発表会が行われ、作品に対してコメントする。


EL050
2009.11.6
目黒

目黒区美術館のオープニング。久しぶりに知り合いの美術関係者に会い、近況報告をする。オープニングレセプションが始まり、スピーチで今回の作品の趣旨などを話す。多くの関係者の中にまぎれて、ワイングラスを持ったフランスの学生が数名いた。


EL049
2009.10.26
目黒

美術館での作業開始。帰国した次の日から目黒区美術館に通う。もちろん右も左もわからないフランスの学生11人も、それにつきあわされ、美術館に来て作業を手伝うはめになった。数日間は、彼らも美術館の作業を手伝ってくれた。美術館地下1階のギャラリー全体を使って、炭鉱町のジオラマを作る。その炭鉱住宅の模型を彼らが作ってくれた。昼間は、目黒の美術館で作業し、夜はみんなで夕食を近くの居酒屋で食べた。ほとんど全員、日本が初めてなため、見るもの食べるものすべてに感動していた。


EL048
2009.10.25
目黒

東京目黒区美術館でのインスタレーションのため、帰国する。一緒にパリのボザールのアトリエの学生11名とともに帰国する。アトリエ・トリップというプログラムがボザールにあるらしく、学生が勝手に応募したら、通ったということで急遽、日本に来ることとなったため、スケジュールを調整して、この時期にした。


EL047
2009.10.18
Paris

高校の同期生数名がパリを訪れる。パリで同期会を行うという提案は、自分が仕掛けたもの。しかし仕事が忙しく、あまり良いアレンジはできなかったが、2晩ほどみんなでパリの行きつけのレストランで、夕食を食べた。


EL046
2009.10.9
Bordeaux

オープニングの次の日、朝6時の飛行機でベルリンを離れ、パリに着く。家族と別れ、そのままトランスファーでボルドーに着く。この日の夕方に行われるボルドーのオープニングに参加するためである。オープニング続きである。しかしここはグループ展なので、いろんな催し物が行われて、けっこう楽しかった。オープニングパーティーが音楽会場で開かれたり、野外ステージで盛り上がったり、ほとんど一晩中、町の中でパーティーが開かれていた。しかしいい加減疲れていたので、途中で切り上げ、ホテルに戻りぐっすり寝る。


EL045
2009.10.8
Berlin

ベルリンでのオープニング。作品の前で紹介され、カクテルパーティーで多くの人に会う。何人かのベルリン在住の日本人の人たちにも会う。その後、ワインやシャンペンで赤い顔をしたままシンポジゥムに参加し、勝手なことをしゃべってホテルに戻った。しかし何をしゃべったか、よく覚えていない。


EL044
2009.10.5
Berlin

ベルリンの展覧会オープンのためにパリを出発。今回は家族連れで行く。息子が現在動物にことのほか興味を持っているようで、ベルリン動物園へつれて行くことが目的だ。美術館で3日間ほど作業をしている間、3日間連続で動物園に行ったらしい。毎晩、疲れてホテルの部屋でぐっすり寝ていた。


EL043
2009.10.3
Paris

テレビ番組のアルテ(ARTE)のためのインタビューを新しいアパートのアトリエで行う。まだ材木や段ボールなどが床におかれた状態のアトリエで1時間ほどインタビューに答える。


EL042
2009.10.1
Paris

来年の春から5ヶ月間、ポンピドーの1階ギャラリーでワークショップを行うことになり、そのためのミーティングを行う。子供のためのギャラリーであるが、来年からもう少し一般に開いた形で行いたいとのことで、基本的には子供のギャラリー展示だが、自由にできるという。いろいろなプランを考え、提出することにする。どんなものができるか楽しみだ。


EL041
2009.9.29
Nice

プライベートコレクターの依頼で、作品制作のために現地下見。パリのオルリー空港から朝早く出る。ニースの空港に着くと、やはり南フランスで地中海に面している町なので、観光客が多い。空港で待ち合わせた運転者さんにつれられてコレクターの家に行く。家はそれほど大きくはないが、現代美術のコレクションが部屋のあちらこちらにある。この中庭で昼食をごちそうになり、作品の設置場所の細かい打ち合わせを行う。その後、町をブラブラして、その夜の飛行機でパリに戻る。


EL040
2009.9.19
Tour

トゥールでのオープニング。ボルドーからそのままツールに入る。親しい友人が大勢きてくれて盛り上がる。2日前に来て、作業して今日がオープニング。その間にボルドーとここを往復している。2つのプロジェクトの制作が絡んだスケジュールだが、ここのスタッフはみんな旧知の仲なので、それほど時間がかからないでできた。夜遅くまで飲んで食べて、話し込んでいた。


EL039
2009.9.18
Bordeaux

引き続きボルドーの橋の制作。朝一番の電車に乗り、3時間ほとんど熟睡してボルドーに着く。駅のカフェでエスプレッソを飲み、体が目を覚ました状態で現場に向かう。


EL038
2009.9.12
Paris

新しいアパートの引っ越しがプロジェクトの作業が入ったりしているため自分一人でできないので、助っ人としてベルリンから2人の日本人アシスタントを呼ぶ。ベルリンでの作品制作に手伝ってくれた連中でよく働くので、パリに招待してアパートの内装を仕上げてもらうことにした。


EL037
2009.9.11
Cergy Pontoise

セルジーポントワーズの建築ワークショップにゲストアーティストとして参加する。これから約1ヶ月、何度かつきあわねばならない。ボルドーの作業とだぶらないスケジュールで行うしかない。実は今回で2回目の参加になる。世界中から集まった優秀なランドスケープアーキテクチャーの学生30名ほどのプレゼンテーションを聞く。日本からも数名参加していて、たまたま廊下で向こうから声をかけてきたので、立ち話をしながら日本のランドスケープアーキテクチャーの状況などを話した。


EL036
2009.9.8.
Paris

息子カナルの2歳の誕生日。2年という時間の短さに驚く。なんだかついこの間のような気がして、改めて子供の成長の早さに目を見張る。


EL035
2009.9.7
Bordeaux

新しいアパートの引っ越し最中であるが、朝早く起きてとにかくボルドーに向かう。ここでのプロジェクトの作業が開始された。電車で3時間、ボルドーに到着。すでに地元の建築学校の学生が先生の指導のもと作業している。ここでの作業は地元の学生、教官と建設業者、木材のスポンサーなどがしっかりと準備をしてくれていたため、それほど大掛かりな作業をしなくてもよいので助かる。


EL034
2009.8.23
成田

今年の夏の仕事をすべて終えて、2ヶ月ぶりに家族でフランスに帰国(?)する。まだパリは暑い夏だ。新しいアパートの契約だけして日本に向かったので、これからバタバタと引っ越しをしなければならない。


EL033
2009.8.17
松代

初盆を終えて、また妻有トリエンナーレが開催している松代に向かう。ここの旧小学校でシンポジウムを企画する。これから毎日ゲストを呼んでの連続トーク、ディスカッションが始まる。テーマは、「パブリックアートの現在」。終了後、みんなで温泉に入りに行くのが楽しみ。


EL032
2009.8.13
鹿嶋

北海道からまた向島に戻り、そこでのプロジェクトを終了し、親父の初盆のため帰郷する。


EL031
2009.8.9
三笠

三笠でのワークショップ初日。向島プロジェクトのスケジュール後半に抜け出して、北海道三笠での2日間のワークショップを行う。ここでは今後行われるプロジェクトの下準備のようなものを廃校になった中学校を会場にして、行っている。参加者は、おもに地元教育大学の学生。ここではいつもワークショップ打ち上げの日の夕方、私の中学校、高校時代の同級生が集まり同期会が開かれる。これも一つの年中行事みたいになってきた。


EL030
2009.8.1
向島

向島プロジェクトの作業開始。ここでのプロジェクトの本格的な作業を開始する。島のログハウスを借り受け、そこに15名ほどが2週間滞在した。フランス、アビニョンの美術学校の学生2人も参加してくれた。まずは島の海岸を歩きながらのゴミ集め。そこから浮く素材でできたものだけを袋にいれ、それをフロートにして「浮き島」の素材にする。ゴミ集めもけっこうたいへん。毎日ログハウスで夕食後は、技術的なディスカッションに入る。「浮き島」の制作、取り付け、許可申請などまだまだ知らないことが多すぎる。


EL029
2009.7.30
代官山

昨日に引き続きカフェトークを行う。ゲストは声優のキートン山田氏。彼も炭鉱町で生まれて、その後東京に来て声優の道に入ったらしい。面白かったのは、炭鉱にあまりこだわりが無く、以前のことをいろいろ訪ねても、それほど食いついてこなかった。もちろん炭鉱町出身者のすべてが炭鉱に興味があるわけではないだろうし、話したくもない人も多いだろう。こちら側の意に反して「炭鉱なんて全く興味ない」という姿勢が妙に新鮮だった。


EL028
2009.7.29
代官山

今年の暮れに開催される目黒美術館の「炭鉱展」に参加するため、そのカタログ収録のための連続カフェトークを、文化資源学会及び東京大学教授の渡辺氏を呼んで行う。トークの主な内容は、炭鉱によって生み出された文化資源をどのように考えるかということ。興味深い話がたくさん聞けた。


EL027
2009.7.19
松代
妻有トリエンナーレ参加のための会場設営を開始する。新潟松代には何度来たことだろう。今回は、作品設置というより施設の新たな利用がメインの作業だ。CIAN(Center for Inter local network)という主にパブリックな場でのアートプロジェクトのドキュメント、アーカイブを行う組織を立ち上げた。今後通年で活動を行っていこうと思っているが、まずは今年からオープンして関係者を呼び、シンポジウムを行った。展示とドキュメントのアーカイブがメインの仕事だが、今回の展示は、妻有トリエンナーレの多くの資料、各作家のプロポーサル、模型などを展示した。このような活動のトリエンナーレ参加もありだと思う。地域で行われるアートプロジェクトも、そろそろ検証の時期が来ているような気がする。


EL026
2009.7.12 
鹿嶋

今年5月に82歳でなくなった親父の49日を、実家にお坊さんを呼んで親戚関係者だけで行う。


EL025
2009.7.09 
代官山

代官山インスタレーションの審査。400点ほどのプロポーサルを見る。ほとんどが建築系の学生やデザイン事務所で働いている人たちだ。確かにプロポーサルは奇麗でうまいが、果たして実際にできるのかどうか。そこが選ぶ上でのポイントとなる。町の中での作品設置に、多くの規制がある。それをどのように各作家が考え、そこから新たな作品の可能性を見いだしていくのかがここでの狙いでもある。その点で今回は、少し臆病な作品が多い気がする。


EL024
2009.7.2 
Avignon

アビニョンのグループ展のための制作。アビニョンから車で1時間南下したところにあるお城で毎年夏に行われる展覧会に参加する。昨日からアビニョンの友人宅に滞在し、今日から制作に入る。ここで将来的に行われるプロジェクトのプロポーサル展示を行う。アビニョンを含む南フランス一帯とマルセイユが、2013年のヨーロッパ文化都市に任命され、この周辺でこれから多くのプロジェクトが動き出すことになる。その中の一つとして私がプロジェクトを提案した。そのプランを今回ここで展示する。アビニョンからマルセイユを含む南フランスのデルタ湿地帯にその地形に合わせて、いくつかの物見台の建設を提案。果たして実現するかどうかだ。とりあえずプランだけはうまく展示できた。


EL023
2009.6.30 
Donjon de Vez

パリから70キロほど北西に向かったところにある小さな町の外れにこの村ドンジョン・ド・ベ (Donjon de Vez) があり、そこに個人所有の14世紀のお城がある。オーナーは美術コレクターである。そこの敷地内の木にツリーハットを2つ制作した。
その後7月のオープニングに合わせて城の一室にインスタレーションを制作することとなり、一昨日から泊まりがけで制作している。いらなくなった窓を50組ほど集めてもらい、それを組み立てるものである。昨日から初めて今日でだいたい形が見えてきた。 、、、というよりすべての窓枠をジョイントしたら作業が終わりということである。14世紀の彫刻が飾ってある部屋に、大きなドーム状のインスタレーションが出来上がった。


EL022
2009.6.29
Donjon de Vez

ドンジョンでの作業開始。パリから70キロ西に車で行ったところにある小さな町の丘の上に14世紀のお城がある。そこにコレクターが作品をコレクションしている。そこからツリーハットの依頼がきて、アシスタントともに車で材料を運び作業をする。入り口付近の大きな木に、クレーンで地上12メートルほどの高さまで昇り、そこに作品を取り付ける。設置位置は、周りとのバランスで考える。しばしコーヒーを飲みながら場所の確認とハットのサイズを確認する。


EL021
2009.6.27
Melle

メールでのオープニングの日。この町にある整備されていない公園内に、地元の農業高校の学生と、約2週間かけて遊歩道を組み立てる。そのお披露目の日。参加した学生やらその両親やらで、現場の遊歩道には多くの人が歩いていた。既に制作してから3ヶ月ほど経っているので、周りの草は1メートルくらいにまでなっている。その中をかき分け、人が進んでいく。


EL020
2009.6.27 
Melle

この時期、プロジェクトのオープニングが立て込んでいる。
3月に2週間ほどポアチエの学生とともに制作した遊歩道のオープニングがメールの町で開かれた。3月の冷たい雨の日が続いた作業時期を想像できないくらい晴天の日になった今日、オープニングセレモニーがメールの市役所前で行われ、参加作家や関係者が集まった。遊歩道は300メートルほどの長さで、丘の上から緩やかに下っていく丘陵に設置した。遊歩道の周りの草花は3ヶ月で人の背丈ほどに伸び、まるでのび放題の草花の中に引かれた「けもの道」のようになっていた。これも一年の四季の移りかわりの中で、周りの草花が変わり続けていき、この道もその都度見え方が変化していくのだろうと思う。道は変わらないがその環境が変わっていく。そんな作品になった。


EL019
2009.6.15 
Nates

引き続きナントの美術学校で「公共空間におけるパブリックアートのあり方」というテーマのシンポジゥムに参加する。久しぶりにヤン・フットやダニエル・ビュラン、ジミー・ドラハム、ディディエ・クールボなどに会い、近況報告をし合う。また日本からの参加者である保科や田甫さんにも会う。東京芸大での以前の同僚で、芸大がここの美術大学と姉妹校にあるため、このシンポジウムに招かれて参加しているとのこと。最近の芸大のこととかを聞いたが、お互いあまり興味のないテーマであった。つまり相変わらずということなのだろう。
シンポジゥムでは、多くの公共空間におかれた作品が紹介された。公共という意味や美術作品であることの意味、その設置、活用、などのことが活発に話された。


EL018
2009.6.14 
Nates

成田からパリに戻り、そのままナントのプロジェクトのオープニングに行く。プロジェクトのオープニングは、2年前のようにその村のお祭りの日と同じ日にしているため、多くの観光客やら村祭りを見物にきた人やらで、この小さな村がごった返していた。プロジェクト現場に行く道を整備して、道のはじめのところに残った材料で門を組み立てた。360度開かれた草原である。遠くにロワール川が見える。その草原の中を一本の遊歩道がどこまでも続いている。
途中に大きなテラスがありベンチが設置されてあったりする。最後のところに10メートルほどの木造の塔があり螺旋階段で上に昇ると視界が一気に広がる。そこから遠くの草原に目をやると、多くの人が草原の中を歩いているのが見える。高く伸びた草で遊歩道が見えず、まるで草原を分け入って歩いているようにみえた。


EL017
2009.5.20 
Nates

ナントのワークショップで面白いアーティストに会った。
彼もまたいろいろなワークショップを各地で行っている作家である。最近南アメリカの貧民街で行ったものは、子供たちにそこらに捨てられている段ボールや木片で、今自分が一番欲しいものを原寸大で作ってもらう。例えばそれが携帯電話だったり、ラジオ、テレビだったりするのだが、、。奇麗に色を塗って本物のように形作られているものや、簡単に線が引かれただけのもある。面白いのはこれらのものを町のコレクターや美術館に美術作品として購入してもらい、そのお金で、彼らに本物を買ってあげるという交換プロジェクトにある。もちろん交渉はそんなに簡単なものではないらしいが、美術館に購入された子供たちが作った段ボールや木片の作品の隣に制作者の作品を持った写真が一緒に展示してあるのを見ると、このプロジェクトの趣旨に賛同して協力したのだということがわかる。アートの経済を地域社会の子供たちに還元していくような、そんなプロジェクトにも見える。
このように世界にはいろいろな作家がいて、日々いろいろなことを考え、行動していることに改めて驚き、そして敬服する。アートいうものに対して。


EL016
2009.5.16
Paris

104もオープンし、そこでの作業も一段落したので、来週からのサンジェルマンでの屋外インスタレーションを控えてはいるが、ここで数日時間が取れたので、静かにアトリエでパソコンに向かい「ヨーロッパだより」を書く。
4月に入ってから今日まで、怒濤のような制作作業に入り、顔は日焼けで真っ黒になり、友人から「スキンキャンサー(皮膚がん)に気をつけろ」とまで言われた。若い頃ほど体は動かないが、私の作品制作のワークショップに参加した学生の誰よりも汗を流して作業を行った。最初の数日は、足腰が痛かったが、その後は、体もなれてきたのか、毎日の作業にも余裕が出てきた。しかしナントの村に4週間滞在し、制作したのは確かに長かった。そろそろ仕事の仕方を考えた方がいいのかもしれない。そんなことはずいぶん前から思っていたことだが、現場に入ると、どうしても動いてしまう。唯一若いときと違うのは、作業後の夜の飲み会に、長くつきあわなくなったことぐらいだろうか。結構早く寝て早く目が覚める。


EL015
2009.05.13
Paris

13日の朝にシャルル・ド・ゴール空港に到着し、そのまま明日の展覧会オープンのための設置作業を行うため、104(ソンキャトル)のアートセンターへ向かう。パリの北側にあった広大な墓地を再開発して最近できたアートセンターである。主にパフォーミングアーツ(音楽、演劇、映画)をメインにした場所で、若いアーティストの制作レジデンスが特徴的だ。その会場全体にインスタレーションを行う。一昨年、東京都現代美術館で行った「通路」展をここのディレクターが見てぜひ同じものを104でやってほしいということで、急遽ここで制作することが決まった。


EL014
2009.05.03
Ile de la Reunion

パリから11時間かけてレユニオン島に着いた。アフリカ、マダガスカル島の近くにある島。ここの島のフェスティバルの一環として、美術学校、建築学校の学生とワークショップを行うためだ。トロピカルというのか南国の島という感じ。作業は、荷物運搬用の木のパレット約400枚を使って構築物を作ること。


EL013
2009.03.17 
Melle

メール(Melle)というポアティエから1時間ほどのところにある町で、ビエンナーレがあり、そこに参加し制作している。しかし今日はパリに戻らなければならない。明日の朝からパリの美術学校で新期に入学する学生の面接があるからだ。パリの美術学校での唯一のオブリゲーションとしてあるのがこの新入生のためのセレクションだ。夕方まで学生と一緒に作業して、その後カフェでビールを飲み、そのまま車でポアチエまで送ってもらい、パリ行きの電車に乗り込んだ。


EL012
2009.03.09
Berlin

朝9時の飛行機でベルリンに着く。ここで今年の夏に急遽決まったプロジェクトを行うための現地視察と打ち合わせのためだ。美術館前の公園にツリーハットを組み立てるプラン。ちょうどドイツの国会議事堂にあたるライスタークの前の公園になる。一本一本ツリーハットを設置するための木をチエックする。
この日はそのまま夕方の飛行機でパリに戻る。


EL011
2009.03.06
Paris

パリのポンピドーセンターで来年の仕事の打ち合わせをして、その帰りがけに出口付近で一人の女性に呼び止められた。私のプロジェクトのビデオドキュメントを見ていたらしく、偶然ここで出会ったことで驚き、少し興奮気味に早口のフランス語で、私の仕事に対して賞賛をくれた。しかし、全く知らない人から呼び止められ、仕事のことをいろいろ話しかけられるのは、それほど悪い気はしないものだ。彼女にお礼を言ってその場を離れたが、通りのガラスに映っている自分が、なんだかにやけた感じで歩いているように見えた。


EL010
2009.03.01
Donjon de Vez

お城に住む美術コレクターの敷地内に、木の家(ツリーハット)を制作する。
パリから車で1時間ほどのところにあるここは、現代美術のコレクションが多数ある。7月にここで私の作品のお披露目パーティーを大々的に行うが、これからほかのプロジェクトの制作が迫っているので、急遽この時期に行った。
このお城を購入してから既に10年以上もなるらしいが、家族は、週末に気が向いたら数日ここで過ごすためにパリから来るぐらいらしい。一階のリビングの古ぼけた家具のある壁一面にソル・ルイットの壁画があり、隣の建物には、ダニル・ビュランの美しいステンドグラスのような大窓が飾ってある。


EL009
2009.02.24
Pont-Avern

ゴーギャンで有名なポンタヴァン派の拠点となる町、ポンタヴァンでレクチャーを行う。ここにあるアメリカ系美術大学で自分の作品を紹介する。昨日の夜に到着し、ホテルで遅い夕食をしてそのまま今日の朝まで部屋のベッドで寝ていた。パワポで簡単にスライドを見せながら自作を紹介する。その後、学生のアトリエを回って作品を見て、午後からゴーギャンが描いた絵のモチーフになった黄色いキリスト像のある教会へ、みんなで散歩する。10分ほど坂道を上りつめたところに、小さな教会があった。あの有名な絵の実存するモチーフの黄色いキリストがさりげなく壁にかかっていた。持ってきたカタログと照らし合わせながら実物を感慨深げに見た。そしてその日の夜に近隣の飛行場から出ているパリ行きの飛行機で、帰宅する。


EL008
2009.02.06
Balcerona

朝6時に起きて8時の飛行機でスペインバルセロナに向かう。機内でプレゼン用のパワポをさくさくと作り、10時にバルセロナ空港に到着。そこで建築家でバルセロナ大学の教授でもあるダンカン・ルイスに会う。これから彼の勤めている大学でレクチャーを行うためだ。驚いたことは学生が駐車場の中にある空きスペースに椅子を並べて僕のレクチャーを待っていたことだった。プロジェクターを薄暗い駐車場の壁に映して、1時間のレクチャーを終えた。その後、彼らの現在行っているプロジェクトのプレゼンを聞きながら、そのことにコメントを入れる。タパスの夕食を食べてホテルでそのまま次の日の朝まで寝る。


EL007
2009.01.29
東京

久しぶりの高校の東京同期会。毎年この時期に開いている。相変わらずの面々で、和む。みんなそれぞれに白髪の頭をして、高校時代のことを語る。そして次回の同期会は、パリで私がアレンジして行うという話になった。旅費や滞在費が気になるのかと思ったら、全くそんなことは無いようで、むしろこの際だから家族全員で行こうなどと盛り上がっている。確かに毎年の同期会に参加する連中は、忙しい中でそれなりに時間が取れる連中だからこそ、毎回参加しているわけだ。今年の暮れまでにいろいろアレンジしなければならない。


EL006
2009.01.24
東京

22日にパリを出て、東京のシンポジウムに参加のため日本に帰国した。
ジャポニズム学会主催のシンポジウムで、会場は庭園美術館の奥にあるホールで、美術家、建築家を数名パネリスト招いて、海外で活動する作家がどのように日本を意識するのかをコメントして、いろいろディスカッションする企画だった。数時間話して会食をし、ホテルに戻ってきたが、時差ぼけもあるのか、何を話したのか思い出せない。その後、シンポジウムの新聞記事をパリで見てあらためて自分の言ったことが公になっていることを知り、少々責任を感じる。
別に不本意なことを言ったのではないにしても、ほかの作家を中傷するのは、気分的に良くない。


EL005
2009.01.07
Melle

ポアチエから車で東に45分ぐらいのところにあるメールの町で、この春行うビエンナーレに参加するため、現地調査と作業協力を集うために町にある農業高校で今回制作する作品の紹介をした。高校生相手にアートの話をしても質問がない。ましてや農業高校だ。しかし興味を見せたのは教師の方で、レクチャー終了後、参加する学生のリストを持ってきてくれた。


EL004
2008.12.11
Bordeaux

クロード・レベックのパブリックな仕事を最近、ボルドーで見た。今年のボルドーでのプロジェクトのため、現地を訪れた。そこで一つの興味深い施設を見学した。それはホームレスや浮浪者に無償で提供する洗濯場とシャワーの施設だった。内装,家具などをアーティストが関わり、リニューアルしている。[bains publics] という施設らしい。要するにパブリックバス(公衆浴場)ということらしいが、このような施設があることを知ったのは、今回初めてだった。
ホームレスの人たちだからこそ、体を奇麗にして身なりも清潔にするべきだという考えなのだろうか、このような公共の慈善施設が、各町に昔からあるらしい。



EL003
2008.11.27
Miami

まだ白けきっていないパリの朝に家を出て、空港に向かう。これから数日アメリカのマイアミで制作を行なうためだ。パリ、マイアミの直行便に乗り込む。
こんな直行便があるなんて知らなかったが、8時間後に抜けるような真夏の空のようなマイアミ空港に到着すると、パリでコートや革ジャンを着ていた乗客が、なぜか短パンとTシャツ姿になっているから不思議だ。
11月下旬だというのに、海で泳いでいる人がいる。ビキニ姿の観光客を尻目に、サウスビーチのヤシの木にツリーハットを組み立てる。
マイアミでこれから行なわれるアートフェアの一環で、この海岸沿いに何人かのアーティストによる幾つかの作品が設置されるわけである。しかしまだ誰も制作していない。涼しい風がヤシの木を揺らす。その下のカフェで、トロピカルなカクテルを昼間から飲んでいる裸の観光客を目のあたりにして、こんなところで現代美術もへったくれもないだろうと思った。
2日間滞在して3つのツリーハットを組立てた。毎日フィッシュアンドチップスやハンバーグなどを食べ過ぎたため、完璧にもたれてしまった胃を抱えての、帰途だった。
冬枯れのパリに戻ってきて、空港からタクシーで自宅に戻る道のりで眺めたグレーの風景に、なぜか気持ちが休まる。


EL 002
2008.11.23
Essen

パリからドイツのエッセンに電車で向かう。来年のプロジェクトの打ち合わせと現地下見だ。朝一番の電車で北駅を出る。冬のこの時期は夜が長く、朝は、まだ日が明けてない。ブリッセルにつく頃、薄明かりの外を窓から覗くと辺り一面、雪の風景になっていて驚く。
エッセンは、ドイツの旧炭鉱町でルール炭田の中心地だった。この周辺の町、ドルトムント、ボッフム、レックリングハウゼン、ゲルヒェンキルヘン、オーバーハウゼンなどはこのルールの炭層に沿うように町が連なっている。この細長いルールの地域全体で30名ほどのアーティストが、その場所に根ざした作品を各自が考え、設営していくというものだ。2010年にエッセンの町が文化都市として年間いろいろな催し物が行なわれるその一環に,このプロジェクトが組み込まれるのだそうだ。プロジェクト進行までまだ時間があるのでじっくりと考えてみたい。
、、、と思いながらしかし今日は、日帰りでパリに戻らなければならないため、3時間もいないうちに帰りの電車に乗っていた。


EL 001
2008.11.21
Paris

最近不調のネット環境、ここ数日、いらだつ。
しかしその後、いろいろなところに連絡ができない分、パソコンを開く時間を他のことに使うことにした。ノートにプランを書き込んでみたり、アトリエを整理したりして、新たな時間を見つけたような気になった。パソコンのインターネットができない分、来年からのいろいろなところのプロジェクトのプランも作ることができた。
そう考えると、パソコンもメールもない時に、どのように仕事をやっていたのか、それすらすでに思い出せないくらいだ。しかしそのような時期を越えて今があるのだということを、メールができないパソコンの前でしばし思った。




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