「よーろっぱ日記」から「ヨーロッパだより」へ
インターローカルノートと題して日々の制作の変遷を載せていたが、横浜トリエンナーレ2005のディレクターズダイアリーとしてかたちを変え、会期終了まで引き続き身辺記事を載せていた。しかしその後、忙しさのあまり継続していなかった。
今回フィルムアート社のウェッブ上で連載されていた「よーろっぱ日記」を引き続き私のウェッブで紹介することにし、その引き続きを「ヨーロッパだより」というタイトルで、ここに載せることにした。

 updated 2012.05.27

2008.11.(001)〜(100)
2010.09.(101)〜(200)
2011.10.(201)〜(300)
2013.04.(401)〜(500)

2007.04.09-2008.03.10 フィルムアート社川俣正「よーろっぱ日記」
2003.01.29-2005.12.31 川俣正「インターローカルノート」


EL400
2014/11/15
Paris

トロントの作品設置が完了したようだ。今日、メールで設置風景の写真が届いた。街灯を束ねた作品で、今年の夏に工場で制作したものだ。なかなかいい感じで組み立てられている。作業の時よりも周りとの関係がより深くなっている。
もちろん通常の街灯が並んでいるところに、数十本の街灯を束ねたのが立っているのは異様だが。これでまた新たなパブリックアートの作品が出来上がった。
特に素材は、トロントの町にある街灯だ。鉄のパイプで出来ている。夜の写真では、その組み合わされた街灯からいくつものライトが点灯している。なんとか雪が降る前に設置されてよかった。


EL399
2014/11/14
Paris

来年行なうパリ近郊でのプロジェクトのため、現場下見を関係者と行なう。
パリからシャルルドゴール空港に行く途中に、もう一つの空港がある。あまり知られていないが、シャルルドゴール空港が出来る前は、おもにここが使われていたらしい。この近くで来年、大きな国際シンポジュウムが行なわれる予定で、その一環としてパブリックアートを設置したいという事らしい。車で朝からいろいろな道を回り、現場の検証をした。写真を撮り、そこからスケッチを描き、企画書を作る。もう少し考える時間が必要だ。


EL398
2014/11/12
Paris

久しぶりに何も予定のない日。日本から帰ってきて、バタバタしていたが、
やっといつものパリ生活になってきた。子どもたちを学校に送っていたあと、
少しのんびりする時間が出来てきた。そこで近くにあるジムに申し込んで来た。
ここで暇な時間、プールで泳ごうと思っている。家から5分くらいの所にあり、いつも気になっていたが今日は、ふらっとドアを開けて入ってみた。とにかく年間契約をして、いつでも時間が空いている時に行けるようにした。まあ年間どのくらいの回数行くかは、仕事しだいではあるが、家に近いというだけで気持ち的には、気軽だ。同じ美術家のダニエルビュランが毎日の日課としてジョッギングマシーンでトレーニングしていると言っていた。やはり作家は体力が決め手なのかもしれない。


EL397
2014/11/10
Paris

パリのバスチーユの近くにある大学病院に行く。日本での検査資料を持って
ドクターに会い、問診でいろいろ話していると、とにかくもう一度検査をするしかないという事で、来週早々フランス式の検査が行なわれる。フランスでこれからここの病院と付き合って行く事になった。


EL396
2014/11/05
Paris

パリの家のアトリエが手狭になったことと、今後もう少し大きなマケットを作ろうという事で、アトリエ件倉庫をパリ近郊に借りる事にした。すでにアシスタントがいくつか物件を探って、ここならという所を見に行った。広さや条件、そして金額的にも問題ないという事で、借りる事にした。天井が5メートル以上ある倉庫街の一室でセキュリティもしっかりしている。これだけのスペースなら当分、作品をストックしておけるし、アトリエでいらないものも、ここに運び込める。新しい空間を持つと、気持ち的にも新たな仕事の展開が期待できる。


EL395
2014/11/01
Paris

熊本から羽田に着き、そこのホテルに泊まり翌朝、パリに向けて飛び立った。2週間の日本滞在を終えて、パリに戻ってくる。意外と2週間でも日本に帰国して、子どもたちをちゃんと日本の学校に通わせられる事を今回確認できた。それほど短い期間のような気がしなかった。熊本でおいしいものを食べ、子どもたちは気分転換になったようだ。


EL394
2014/10/30
東京

再検査の結果を病院で聞く。問診で医者から先日切り取ったポリープは、すべて良性で問題なかった。ただ一つだけ切り取れなかったものがあり、これを検査しなければならないということ。なんだか検査ばかりで、どうにもやっかいに思えてきて、パリで今後は処置をするという事を告げて、帰ってきた。少し腰を落ち着けて、付き合うしかないか。


EL393
2014/10/26
熊本

熊本にいる。2週間の子供達の学校のバカンス(トゥールサン)に合わせて日本に来て、僕の香港での打ち合わせと、人間ドック再検査を兼ねた今回の帰国は、急きょ決まった。熊本でこちらの小学校に数日でも入れてもらえるようアレンジしてもらい、サワも近くの幼稚園に行く事になった。2人とも毎朝、パリと同じように車で通学して、夕方帰ってくる。親はそれまでは自由な時間で、買い物したり、家の立て替えを考えたり、結構のんびりした。来年は、熊本にアトリエを構えようかと思う。そうすると少なくとも、夏に子どもたちと帰国したおりにでも、作品を作る事が出来る。最も夏はいつも現場作業で日本のいろいろな所に出向いている方が多いが。


EL392
2014/10/23
東京

青山の病院に再検査のため、朝から行く。昨晩から何も食べずに水だけのんで朝を迎えた。これから下剤を飲んで腸の中を空にしなければならない。昼まで準備して、内視鏡検査が始まった。思った以上に簡単な作業で、痛さもなく、目の前のモニターで自分の腸の内部を見ながら検査を進めていく。しかしあまりにもこのモニター画面が鮮明なのに驚く。


EL391
2014/10/22
香港

中国の広州での作品制作打ち合せのため、香港に行く。これで今年は、2度目のプレゼンテーションになる。準備した模型も持ち込んで説明する。作品のプレゼンのあと、具体的な設置工法等で細かい質問が現地関係者から多く出てきた。中国で設置する事からくるいろいろな制約がもっぱらのテーマだった。厄介だが仕方がない。時間をかけて説明するしかない。


EL390
2014/10/20
東京

子どもたちの2週間の休日に日本に帰国し、熊本で日本の学校に入れる。
実は、今年の夏に行なった人間ドックで再検査を言われ、同じ病院に再度行かなければならなくなり、また、香港でのプレゼンもあり、一人で帰国しようと思ったら、ちょうど子どもたちの学校の休暇にあたり、ではみんなで帰国しようという事で急遽決まった。パリから羽田への直行便もこの時初めて使ってみた。やはり疲れは少ない。


EL389
2014/10/10
Paris

新学期が始まり、新入生を決める面接を行なう。今月の後半に日本に帰国するため、ほとんど今週は毎日ボザールに行き、学生の作品を見て、自分のアトリエに入れるかどうかを判断する。1日多いときで20名ぐらいの学生を面接する。結構疲れる。プレパ(予備校)で1年間作品をつくり、それを見ながら、ここの大学でこれから何をしたいのかとか、ここの学校に何を求めて入ったのかなど、大体いつも同じ質問をする。学生からの答えもほとんどいつも変わらない。
通過儀礼のようなものだ。その中でただやはり何人かの学生の作品には、面白いものを見る事が出来る。それが見たいために、毎日多くの学生に会う事になる。


EL388
2014/10/04
国東

朝早く新幹線で京都を出て、国東に入る。夏にかけて制作した作品のオープニングに参加するためだ。現場までなかなかアクセスがない所で、電車を降りて駅から車で1時間かけて到着する。こんもりした小高い山の中腹に回廊を組み立てた。その突端は山から顔を出して、その先の海に向かっている。この集落から偉大な宗教家が現れたという事から、屋外に教会のような形で回廊が広場を包むような構造物を組み立てた。17世紀、ここの港からローマのバチカンまで目指した人がいた。その足跡に感銘を受け、ここで制作する事に決めた。塗装もして、メンテナンスは5年後ぐらいにやりましょうというということで、パーマネントピースとしてオープンした。もちろん地元の人たちがいろいろ手伝ってくれた。特に町役場の人たちが率先してこの芸術祭を成功させようと、かなり気を入れて手伝ってくれた。今日のオープニングにあわせて、東京からも多くの美術関係者が来た。


EL387
2014/10/02
京都

昨日から引き続き、今日もトークを行う。嵯峨美術大学が主催した講演会を、京都近代美術館のロビーで行なう。観客は、先日とは違い、もっと一般客が多い。見た顔の作家も中にまぎれている。昨日とは違い、それなりにまじめに自分の仕事を紹介し、現在のフランスでの作家活動とそれまで居た日本での生活の違いや、美術教育の違いなども話した。なんだかずいぶんまじめな講演会になった。終了後、学生たちと打ち上げを近くの店で行い、それなりに好意的な反応をもらった。来年2月に、パリ、ボザールの僕のアトリエの学生たちと京都に来る事を企画しているが、どうなることか。


EL386
2014/10/01
京都

京都精華大学で、学生時代に同期だった教授とトークをする。ほとんど昔自分たちが芸大の学生だったときの事を、半ば懐かしみを込めて話す。彼とは研究室も同じで、思えばずいぶん一緒にいた。最も自分はいつも芸大の校舎の外で仕事をしていたし、予備校のアルバイトもしながらだったので、あまり研究室には顔を出さなかった。しかし彼はほとんど毎日来て、大きなキャンバスに何度も同じような色を塗る事をしていた。今も同じような事をやっている。相変わらずだ。しかしそれを30年間この歳まで続けてきているのは、それなりに敬意を表する。聞いている学生は、すでに僕らからしてみれば孫のような世代の連中だ。二人が笑いながら話していることを神妙な顔で聞いている。すでにこの歳まで作家を続けて、現在も引き続き制作をしているというのは、本当に数人しかいないだろう。彼はその中でも頑固に自分の仕事に固執して、今日まできている。自分の自宅とアトリエ、そして大学を往復する毎日。京都でのんびりした大学での教師生活がそれを支えたのかもしれない。


EL385
2014/09/30
東京

上野の芸大で講演会。芸大映像研が主催した授業だ。おもに作品のコンセプトから海外での作業にまつわる色々な経験、仕掛け、人との関わり方などを、学生の質問を交えて話した。またここでは先端の立ち上げ時期の事とかパリの美術学校での授業内容、芸大との違いなどざっくばらんに話が出来た。このような講演会もすでにいろんな所で行なってきたので、それほど準備する事もまなく、学生の質問からいろいろ話を膨らますことが出来た。というより、質問があって初めて話せたということだろう。


EL384
2014/09/29
東京

人間ドックのため、東京青山にある病院に行く。ここで芸大勤務中に毎年人間ドックを受けていたが、パリに居を構える事になって、すでに6年も間が空いてしまった。一日いろいろな検査をして後日結果を送ってくれる。いつもの事だが、それぞれの検査の待ち時間が長い。何冊かの文庫本を読み終えてしまった。ただここの病院はとても清潔で気持ちがよい。どこかのホテルのロビーにいるような気がする。ただ何とも不格好な診査用の下着をみんな来て、ソファーに座って呼ばれるのを待っている。この光景はやはり変な感じだ。


EL383
2014/09/27
釜山

ギャラリーのオープニングの日。数日、4名の制作アシスタントとともに組み立てられた構造物は、画廊のスペースを内側から包み込むような、アラスカのイグルーのような、あるいはモンゴルのパオのような形になった。以前のより細かなカーブができ、木のバスケットの底にいるような気分になる。新鮮な木のにおいが画廊中に漂っていた。


EL382
2014/09/18
釜山

パリから釜山に向けて出発する。釜山のギャラリーでの2度目の個展。画廊内に新たなインスタレーションをする事になっている。大まかなプランは出来ているものの、具体的にどのように組み立てて行くかは、全く白紙だ。今回も魚を入れる木箱を使う。ただ箱になる前の板を大量に使用する事にした。木箱が解体され、その板で構造物が組み立てられるようなイメージだ。今回は、どのように見えてくるだろうか。


EL381
2014/09/10
Toronto

トロントから車で2時間くらいのところにあるアート系の制作をする町工場で、泊まり込みで作品を組み立てている。町工場と言ってもほとんど田舎の農家を改造したような、ただ広さは何ヘクタールもある土地の中に資材やら工事作業車などが置かれている。作業は、その工場の外にコンクリートで基礎を作り、4本の鉄骨構造を立て、そこに僕の指示でいろんなところから寄せ集めてきた街灯のポストを溶接して行く。鉄の作業は、木材と違って、いろいろな作業工程がある。それで一度固定したポストに印をつけてもう一度解体し、ガルバニュウムに付けて塗装して、また同じ位置に組み立てて行く。そのためにいろいろな打ち合わせが行われ、最終的に今回の作業に入ったわけである。もちろん自分で溶接できないので、ここの作業スタッフとクレーンでポストを一本ずつ組み合わせて行く。


EL380
2014/09/09
Toronto

カナダのトロントに来ている。ここで鉄を使った作品制作のため、数日工場で朝の7時から暗くなるまで鉄骨を溶接して組み上げている。一昨年にパブリックアートのコンペで決まった仕事だ。素材として鉄を使うということより、プランの素材が、鉄だったということ。トロントの街にある街灯を20,30本組見合わせた高さが15mくらいの作品だ。道路の脇に林立している街灯は、以外に大きく、12mもあるものから、色々なデザインのものまで多彩な種類がある。この作品プランのために、最近は街を歩くたびに街灯をよく見ている。そして街灯の多くは、ライト部分を除けば、鉄の長いパイプでできている。それを束ねて、幾つか模型を作り、パリでパブリックなコンペティションをアーテイストと一緒に行っている事務所から出したら、通ったわけである。昨年にトロントの街で開かれたニュイブランシュに招待された時、参加を承諾した理由の中の半分はこの仕事の打ち合わせでもあった。


EL379
2014/09/08
Paris

カナルとサワの新学期が始まる。何度か親のミーティングが行なわれ、学校の趣旨、活動等がパワーポイントで紹介される。多くの親が参加していた。親の方が緊張した日だった。それよりもこちらは親の服装の品定めで、きょろきょろしている。16区にある私立校で何よりほとんどがフランス人家庭の子供で、カナルが唯一のアジア人かもしれない。果たしてカナルはこの学校に馴染めるのかどうか不安になってくる。ただクラスも少人数で、先生もしっかりしている気がする。そして何よりパブリックと違うのは、親がいろんな意味で学校に参加しているという事だ。親のコミュニティがしっかりしているような気がする。何か子供に問題があれば、親の顔が見えるので、そのまま子供たちの状況に反映できる。パブリックだと、全く子供の教育に関心のない親は、何を要求しても学校に来ないし、コンタクトを取る事も出来ない。ここの学校は、毎日の学校の子供の送り迎えの時、門の前で校長先生が立っていて、子供と親を見ている。そんな事で毎日身なりをきちんとして、送り迎えをしなければならないのだろう。60歳を過ぎて親たちのこんなコンペティションに巻き込まれるとは、思っても見なかった。普段着は、家とアトリエにいるときだけになりそうだ。


EL378
2014/08/12
Paris

カナルとサワの新しい学校の入学のために、8月中旬にパリに戻ってくる。これから新しい学校に必要なものを買いあさらなければならない。文道具、決められた色の服、授業に必要なものなどがリストアップされ、これらを用意する。
果たして子どもは容易に新しい学校にアクセプトできるかどうか。そして学校まで毎日の送り迎え。これもかなりの労働だ。それも2つの学校を回らなければならない。親の責任という事もあるが、大変だ。熊本で小学生が一人で高速道路の脇を歩いて学校から帰宅しているのを見たが、やはり危ない感じがする。
ここは親の踏ん張りどころなのだろうか。


EL377
2014/08/03
石巻

国東の作業中、仙台の石巻からレクチャーに呼ばれ、大分空港から飛行機を乗り継ぎ、仙台に着く。石巻で今後新たなアートプロジェクトを立ち上げるための勉強会に参加した。まだまだこれからの段階で、地元の人たちとの意見交換が今回の最大のテーマだった。これからどのような展開になるか。実質的なプロジェクトになるのは、多分まだ当分先の話だろう。


EL376
2014/07/28
国東

九州、大分県の中腹にある国東半島で今年の夏、国東国際芸術祭が始まる。その参加プロジェクトとして招待され、その制作作業が今日から始まる。これから約10日間、ここに滞在して作業を行う。いつもの作業スタッフ6名が東京から来て合流した。さてさてどうなるかだ。現場は小高い山の中にあり、木々の間に組み立てる事になっている。これから毎日ここを上り下りする事になるだろう。


EL375
2014/07/26
東京

東京での「東京インプログレス」のドキュメント展を東京白金にあるギャラリーで開催する。どうしてもこのプロジエクトのドキュメント展とドキュメント集を出版して終わりにしたいという気持ちで行なった。3年間のプロジェクトの割にはあまり展示物を出さない、さらっとした展覧会だ。ドキュメント展も数多くやってきているが、最近はたくさん見せるというより、それらのエッセンスを見せるという形が多い。もう暑苦しい展覧会は、まっぴらという事なのだろうか。


EL374
2014/07/07
東京

子どもの夏休みに、帰国する。今年は夏休みに入ってすぐに帰国する事にした。
一日でも多く熊本の小学校に通えるようにとの事だ。もちろん熊本の小学校も夏休みは7月からで、その数日の違いに日本の小学校を体験させることを考えた。日本語のレベルも、そろそろ怪しくなってきた子どもたちは、それでも日本の学校に通学できる事を心待ちにしていた。パリの日本大使館から教科書を無償で提供してもらい、家で漢字の書き取りやらを勉強して備えていた。


EL373
2014/06/27
Paris

オープンアトリエのシーズン。今年のディプロムも終わり、なんとかすべての学生がパスした。そして恒例の学期末オープンアトリエが始まる。今年はアトリエでの展示ではなく、みんなでカフェを作る事にした。校内のカフェを大学でプランしている所にあえて組み立てようと決める。学生それぞれがアイデアを出し合い、小さな模型を作り、材料を手配して設置したのだが、結果的にはあまりうまく行っていない。なぜなら近くに本格的なカフェが建てられてしまったから。ネスプレッソの宣伝用のカフェだ。確かに手が込んでいて学生のカフェよりましだ。みんな少し落ち込む。デザインが考えられて仕込みもうまく、誰が考えてもこちらの学生のカフェより、あちらの方に客は流れるだろう。これが現実なのかもしれない。


EL372
2014/06/16
Paris

ディプロムのシーズン。今年も私のアトリエから数名が、卒業制作の展示をして審査を受ける。何をどのように見せるか、今までに行なってきたことをどのようなコンセプトでまとめるか等、いろいろ細かい打ち合せをして、展示を行う。何しろ5年間の制作の中から、完成度の高いものを出して行くことと、新たに新作で勝負するというパターンもある。みんな真剣。


EL371
2014/06/11
Brittany

ブリュターニュでのワークショップ。今年は、オープニングまで作品ができないという事で、チヤペル内に全体のプランや以前ここで行なったワークショップの記録を展示する。数名の学生が手伝ってくれた。来年には、大掛かりな作業が出来ればいいが、まずは今年の反応次第だ。


EL370
2014.06.06
Paris

パリのギャラリーがバーゼルのアートフェアに出品する作品を取りに来る。昨年のアートフェアで随分物議を起こしたファベーラのタイプのマケットだ。それもかなり大きいもので、数日前に仕上げたものだ。さてこれが今回どのように見られるのかが気になる。まあ実際のインスタレーションと模型との違いはあるが、同じテーマで引き続き制作したものである。いずれにせよ、アートフェアは、最もコマーシャルでビジネスの場であるわけだから、割り切って考えなければならない。


EL369
2014.06.04
Paris

カナルは、9月から新しい学校に行く事になり、その説明会に参加した。学校の門の前でこの説明会が始まるのを待っていたら、数名の同い年の子供と親を見かける。やはり親の身なりはみんな決まっている。こちらが少し緊張気味でいると、校長が門を開けてみんなを学校の中に招き入れる。親しみやすいおばさんのようで、少し気が休まる。そして一通り校内の設備や教室などを紹介してくれた。ここにカナルは、数年間通うことになり、その都度の学校の送り迎えをしなければならない。説明会が終わって、帰り道にこれから頻繁に立ち寄るだろういろいろなカフェを通りから物色した。


EL368
2014.05.26
Paris

ボザールで3年生のディプロムが始まった。作品展示の助言にたびたび出向く。この時期は、パリにいる事が多い。現場仕事を少し休んで、家とボザールの往復で一日が終わる。ボザールが終わると近くのデパートで頼まれた食材を買い、バスに乗って帰ってくる。サラリーマンのような生活だ。しかし以前このような生活に憧れた時もたしかにあった。プロジェクトごとの移動とそこでの作業の連続が、まるでサーカスの巡業のように感じた事があり、毎日がルーティン化され、レールに乗って与えられた仕事を難なくこなして生活するサラリーマンに成り代わりたいと思ったときがある。こんなことを以前東京で同期生との飲み会の時に話したら、いきなり怒鳴られた。つまりサラリーマンといってもそんなに楽ではなく、毎日みんな必死で仕事をしているとのこと。まあ「隣の芝はよく見える」のだろう。平穏無事に生活する事とはいったい何を意味しているのだろうか。しかし本当にそれを求めているのかと言われると、答えに窮する。自分の好奇心に正直に向かって行くと、いろんな理不尽な事にぶつかり、悩み苦しむのかもしれない。そこから逃れて穏やかな生活を望み、しかしそこに長く居れない。そんな生活と精神のバランスを考えなければならないのだろう。


EL367
2014.05.18
Copenhargen

スウェーデンのオープニングを終えて、パリに向かう空港にいる。昨日、何人かの現地の日本人作家に会うことができた。意外にもこの周辺で黒御影石がたくさんとれるという事で、石彫の日本人作家が多く住んでいるようだ。スウェーデンは、アーティストに対しての保護も良く、生活もまんざら悪くないらしい。雨が降る中をいろいろ話しながら現場まで行く。今日は雨で、作品も昨日撮影しておいてよかった。パブリックオープンのスピーチが終わり、とりあえず自分の役目は、終わった感じだったので、あまりここに長居してもそれ以降はパーティだけなので、そそくさとタクシーを呼んでもらい、帰路につく事にした。


EL 366
2014.05.17
Wanas

スウェーデンの個人美術館 Wanasのオープニングのため再度コペンハーゲンへ向かう。空港に降り立って、ここから電車でスウェーデンに入るのだが、デンマークとスウェーデンは貨幣が違う。飛行機を降りて、ひと息入れるためにバーでビールを飲むのだが、クレジットカードで支払う。電車のチケットもそうだ。そして大きな川を渡るとスウェーデンになる。ここでもタクシーや帰りのチケットはすべて、カードで支払う。なので現金に交換しなくてよく助かるが、あまりにも小さな買い物だとカードを受け付けてくれない。コーヒーを頼んでカードで支払おうとした人が、店から断られたのを見たことがある。さすがにそれは無理なのだろう。ビールとホットドッグならカードが使える金額になる。食べ物をビールでお腹に流し込みながら次の電車を待つ。


EL365
2014.05.05
Paris

最近、ボザールの私の所に、いろいろな日本人が訪ねてくる事が多くなった。昨日は、京都のある大学教授がパリで学会があって来ているので、お会いできないかという事だった。ずいぶん前にレクチャーを頼まれ、その大学で行なったときのアレンジをしてくれた先生だった。久しぶりに会い、いろんな事を話しながら、ボザールのいくつかのアトリエを簡単に紹介し、別れた。先日は、芸大時代の同級生がパリに旅行に来ていて、ボザールを見学したいというので、一通り紹介したりした。なんだかツアーガイドのような感じだ。いろんな人がパリにやって来る。


EL364
2014.04.30
Wanas

朝早くスウェーデンに向けて飛行機に乗る。ここで5月までに作品を制作する。物見台のような構造物とそれに続く木の上のテラスだ。すでに僕の指示でカーペンターが作業を続けている。全て自分で出来ないので、今回は、半分以上を彼ら現地の作業員に任せている。ただしもう一つのツリーハットは自分で作ることにしている。ツリーハットは人が登れないが、木の上のテラスは人が登ることができる。この二つの木の上の構造物が今回の仕事だ。それもパーマネントコレクションになるとのこと。飛行機はなぜかデンマークの空港に着き、そこから電車で1時間ほどのところにある個人のインスティツーションだ。電車に乗るとすぐに大きな川を渡る。これがデンマークとスウェーデンの国境のようだ。


EL363
2014.04.21
Locuon

ブルターニュでの現場作業が始まる。現地に着くと、すでに数名の学生が来ていた。みんなで現場を見ながらこれから行うワークショップの説明をする。その後、役割をグループに振り分け、各自でディスカッションをし、進めて行くことにする。


EL362
2014.04.15
Constanz

イッティンゲンのオープニングを終え、そのまま数日近くの町で休暇を取ることにした。今回のカナルのバカンスに、イタリアやマヨルカ、フランスの片田舎などの候補があったが、近くて移動の手間も考えなくて良いとしたら、イッティンゲンからタクシーで移動できるボーデン湖畔のホテルに泊るというのも有りかと思い、ネットで調べたらそれなりのラグジュアリーなホテルが見つかった。屋上にプールがあり、さっそくカナルと風がまだ肌寒い中、入る。水は温水でなかなか気持ち良い。他の客はだれもおらず、貸切状態だ。プールが大人用で少し深くできているが、カナルは、プールの淵を何周もして泳いでいる気分に浸っていた。


EL361
2014.03.25
Renne

ブルターニュの制作に学生のボランティアを募集する事で、レンヌの建築学校までプロジェクトの説明をしに行く。ここには以前サンテローで一緒に仕事をした、マチューとデディエが教えている。そんな事でマチューに連絡したら、とりあえずレクチャーをやってくれないかという事になり、急遽この学校でレクチャーとプロジェクトの説明会をやる事になった。美術学校のニコラにも声をかけて、学生を呼び込んでもらい、このレクチャーに建築と美術の学生が集まった。


EL360
2014.03.13
Renne

ブルターニュのプロジェクトの打ち合せでレンヌに向かう。電車を降りた所で、地下鉄に乗るため切符を買おうとしたら、近くの人がそっと一枚の切符をくれた。あっけにとられて見ていると、同じように何人かの人が切符を手渡している。もらった人もありがとうとだけ言い、さも当然のようにそれを用いて電車に乗り込む。良く聞いてみると、一枚の切符は、ここでは1時間以内であれば、どこへ行こうが戻ろうが、これで地下鉄に乗る事ができる。それですでに自分に必要のない切符で1時間以内であったら、他の人に差し上げるようなマナーがあるようだ。もちろん誰でもではないだろうが、多くの人はそのように無言で人にいらなくなった自分の切符を差し出すようになっている。なんてエレガントなコミュニケーションなのだろうと思った。全く言葉を交わさなくても、目で合図するような感じだ。そしてもらった方は、にっこり笑い、「ありがとう」と伝える。このような切符の使い方をあまり知らなかった。地下鉄でドアを開けて人が来るのを待っているジェントルな光景と同じように、なにか人間的でホットする事がこの国では良くある。


EL359
2014.03.08
Paris

3月に入り、ボザールも入学試験の時期に入った。大学のアトリエに向かう途中、大きな紙挟みを持って来る何人もの学生にすれ違う。入学試験のための提出作品の運び込みらしい。提出作品のフォーマットは決まっているが、こちらの学生は、関係なく自分の好きな大きさの物を持ってくる。審査する方も取り立てて提出作品の種類や大きさが違うから違反だと言うような野暮なことはない。日本だとこの段階で切り落とされてしまうだろうが、ここではせいぜい作品の審査が大変だというぐらいで、とりたてて問題が起きることはない。ただ確かに審査時にいちいち作品を広げてみなければならず、スペースの確保が大変だが、黙々とみんなやっている。


EL358
2014.03.06
Paris

妻の滞在許可書の再申請でパリのプリフェクチュール(市役所)に行き、やっと彼女も10年の滞在許可証を手にした。すでに自分は10年間の滞在許可書は昨年もらった。今まで毎年更新しなければならず、いろいろ書類を集めたり、朝早くからプリフェクチュールに並ばなければならなかったりで、うんざりしていたが、これから10年間は必要ない。これだけでも随分気が楽になった。夕食は近くのレストランに行き、祝杯をあげた。これでパリに住む上でのハードルを一つ超えたような気がした。


EL357
2014.02.28
Paris

芸大の同期で京都の美術大学で教えている友人が学生数名を連れてパリに来るとのこと。その時にボザールを見学したいというのでアレンジした。彼とは、一昨年の横浜での同期会で会った以来だった。ボザールのいくつかのアトリエを見せて、近くのカフェでひと休みする。そしてお互いの近況報告をしながら、一緒に来た学生たちの話を聞く。彼女たちはパリに来たことだけで少し舞い上がっているようで、こちらの質問もあまり聞いていない様子だ。まあ彼女たちの年では無理もないのかもしれない。


EL356
2014.02.12
Vienna

ウィーンのMAK(応用芸術博物館)でのオープニングに、家族を連れて行く。ちょうどカナルの冬休みという事もあり、今回はどこも連れて行ってないので、ちょっと肌寒いがウィーンにみんなで行く事にした。泊るところは、美術館の中にあるアパートのひと部屋。家族で泊まっても広くて気持ちの良い部屋だ。何しろ美術館の中なので、制作会場まで外に出ないでも行ける。スーパーマーケットやカフェが近くにあり、便利だ。オープニングは、150人くらいの人たちを招待して美術館内のロビーでパーティを行なった。幾つもテーブルがセットされ、その上に各自の名前のカードが置いてあるディナーパーティで、なかなか良かった。何人か友人を招待した甲斐があり、みんな喜んでいた。とくに15年前、ウィーンの近くで行ったプロジェクトの時に一緒に仕事をした連中がこのパーティに参加してくれて、久しぶりにみんなと会い、色々な話をした。パーティ終了後は、近くのバーで2次会を行った。家族はすでにアパートに戻り寝ていて、久しぶりに一人だけで夜のウィーンを満喫した。


EL355
2014.02.08
Knokke

ルックのギャラリーでの展覧会オープニング。朝から電車でブリュッセルに行き、そこでルックに会い、車でギャラリーまで行く。すでに展示は終わっていて、昼食を何人かのコレクターと共にする。すでに何人かは、作品を設置しに家まで行ったことがあり、よく知っている。ギャラリーではいろんな人たちが入れ替わりに来る。夕方まで会場にいて、色々話をして夜遅くパリに戻る。


EL354
2014.02.04
Vienna

作業のため、朝早く飛行機でウィーンに向かう。すでにこれで3度目の現場作業だ。作業の準備と段取りを現場のスタッフと何度もメールで確認した。次に来るまでにここを仕上げておくという指示を出しながらの作業なので、現場に通う回数が増えた。ただ指示したところは、確実に仕上がっているので、仕事はとてもやり易い。


EL353
2014.01.31
Geneva

パリのギャラリーから、ジュネーブの個人コレクターからの作品依頼が来たので、現地を視察しに行く。電車で3時間もかかったが、久しぶりのジュネーブだ。相変わらず町はシックで落ち着いた雰囲気だ。路面電車に乗り継いで、目的地を目指して歩いていたら、見覚えある建物を見つけた。それは25年ほど前、初めてジュネーブで展覧会をした美術館だった。日本人のグループ展で現地制作のため、近くの家に数人で泊り込み、何度もこの美術館に通ったのを覚えている。そしていろんなことを思い出した。材料の現地調達もこの時初めて行ったし、いろいろ美術館側に注文をつけたのも思い出した。この時のキュレーターと展覧会オープン後に、なんとニューヨークの5番街を歩いていてバッタリ出会ったこととかも懐かしく思い出した。


EL352
2014.01.25
Paris

1月の下旬になり、いろいろと作品制作の話が参り込んでくる。小さなオーダーを入れるとほんとにいくつ体があっても足りないような仕事量だ。若いときは多分これらの多くのことを採算や時間などそんなに気にすることなく、行っていたのだと思う。今はいろんなことを考えて、いろいろ選んで断ることにしている。その多くを占めの理由は、なんと言っても家族といる時間が欲しいということと自分の体のことだ。確かにこの時期の子供(6歳と2歳)は、どんなに手があっても足りないくらい忙しい。この間のサワの怪我も少し自分の仕事の方法を再考するきっかけにはなっている。いずれにせよ、環境も変わったし、自分のキャリアも積み重なって今の状態になっていることは確かだ。少し時間の使い方を改めて考えるいい時期なのかもしれない。 、、、といつも言っているような気がする。


EL351
2014.01.20
Loucon

ブルターニュ地方の小さな村でのプロジェクトのため、朝早くから電車に乗る。今年の5月に始まるアートフェスティバルのためのだが、パーマネントとして作ってくれということ。企画者は、数年前に行ったサンテローでのプロジェクトは知っていた。今回も学生を集めて、ワークショップ形式で行いたいようだ。村の人口が60名ほどで町には教会とバーがあるだけで、あとは家が数個建ち並んでいるだけの村。現場を下見していると、空の雲行きが怪しくなった。雨が降り始めたが、誰も気にかけない。数分後に青空が出た。そして日差しが強くなった。典型的なこの時期のブルターニュの気候のようだ。この中で作業をする事を考えたら、雨靴での作業が良いだろう。全身びしょびしょに濡れながらも現場の打ち合せは続いた。


EL350
2014.01.05
Paris

アトリエに割合長く居ると、細かいところに目がいく。最近床のペンキが少しずつはがれてきているのが気になる。どうも最初の床の状態のときにちゃんときれいに以前のものをはがし取ってなかったことから、そこからペンキの表面が浮いてくる。それでポロッと剥がれてくる。そういうところが数カ所出てきた。思い切ってまだ残っていた床用のペンキをその上に塗ってみた。当然まだらのような状態になる。そしてかなりきつい匂いで頭が痛くなる。窓を開けて換気をしても、なかなか臭いが消えない。やれやれもう少し塗る時期と換気のことを考えて行えば良かったと今にして思う。しかしこの家全体のリノベーションはやはり大変だった。この床も学生に頼んで3日で塗ってもらった。その間は日本にいた。さぞ匂いがきつかったことだろうと思う。


EL349
2013.12.30
Paris

最近電車の駅に、ピアノが置いてあり、通りがかりの人が勝手に弾いている。朝のラッシュアワーで人がそそくさと通り過ぎて行くところにピアノのメロディーが流れると、ささくれだった気分が一瞬ホットする。リヨン駅だけかなと思ったら、今朝、モンパルナス駅でも見かけた。これは新しい試みだと思った。たいがい弾いている人は、それなりにピアノが弾ける人が、試しているようで、満更でもない。それよりもこのような企画で駅のその時の雰囲気が変わるということ。これは面白い企画だと思った。


EL348
2013.12.28
Paris

今日は久しぶりに模型の材料を買いにベルヴィルまで行ってきた。模型材料の専門の店は、ボザール近くにあるのだが、クリスマス休暇が不定期で、開いていないため、急遽ベルヴィルの専門店までいく。ここは以前にも買いに行っていたところだ。ただ家から遠いということもあって、近くの店にいつも行っていた。遠いと言ってもメトロで30分くらいのところではあるが、パリに住んでいると30分もメトロに乗るということは遠いところにいくという感覚になる。パリでの自分の行動範囲は、いたって狭い。打ち合わせでよく使うポンピドゥー前のカフェでも家から20分ほどだし、食材の買い物は、バスで一本のところ。あまりセーヌ川を横切ることなく生活することは可能である。そんなことで、今日はのんびり遠出をしてきた。材料も手に入り、これから正月の時間は、模型作りに専念しょうと思う。


EL347
2013.12.26
Paris

パリの冬は、雨が多い。それもしとしと降る雨で、寒さが身にしみる感じだ。今朝もどんよりとした天気で、憂鬱になるような天気だ。既に多くのパリジャンは、クリスマス休暇をパリ以外のところで過ごしているようだ。メトロに乗っても英語や、北欧の言葉が飛び交っている。パリの冬の天気は、観光客以外の地元人を憂鬱にさせる。しかしこの時期が一番静かに家にこもって生活できる季節でもある。黙々と模型を制作する。


EL346
2013.12.23
Paris

久しぶりに数日間、アトリエを出ないでマケット制作に時間を使う。今、取りかかっているのは、10月に行ったプラスヴァンドームの塔の部分に取り付けた「鳥の巣」のような作品の仕上げだ。ベニア板に図を描き、その上に木片を取り付ける。今回はこの図の描写に手こずっている。どうにもイメージ通りのものが描けない。通常だと図は簡単に描き上げて、木片を張るのに時間がかかるのだが今回に限って、作図の方にずいぶん時間を費やしている。既に4日間、同じ画面に色を塗り重ねている。薄く塗られた絵の具が、何層も塗り込むと、次第に深みが出てくる。この味を知ってしまったので、納得するまで塗り込むことにした。あまり塗り重ねて下地が全く消えていくこともある。しかしそれでもどこかに重ねたことの効果が出ているような気がして、何度となく繰り返す。これはこれで面白いことだ。画家になったような気になって昼からずっと同じことを繰り返している。外はクリスマス商戦のまっただ中で、誰もが忙しく歩いている。その中で静かに黙々と制作している自分のこの時間に満足している。


EL345
2013.12.20
Paris

今日は、オペラ地区へ買い物に出た次いでに日本の本屋に立ち寄る。久しぶりに日本の書籍を眺め数冊購入した。値段は確かに日本に比べて高いが、輸送費だと思えば、納得できる。日本の新聞の書評欄は、必ず見て本のチエックはするが、いざ購入となると面倒になり、書評欄の切り抜きばかりがたまる状態だった。それで思いついたのが、この日本書専門の本屋に取り寄せ注文をして、本を購入することだった。もちろんネットで注文して、配達してもらえば良いが、この国の配達状況は、日本に比べてかなり信用度が低い。それならネットで注文して、直接本屋に取りに行くことが一番ではないかと思い、訪ねたら簡単にできるということだった。これで少しは、日本の本の読書量が増すだろう。少し気持ちがうきうきしてきた。


EL344
2013.12.15
Paris

サワは、怪我のことも忘れたかのように元気に遊んでいる。まだ唇に糸が残ってはいるが、食欲も前に比べて出てきた。あとは来年1月に、歯科医に見てもらい、今後の永久歯に影響がないかを確認してもらう。あの時の情景が今でも頭に残る。どうしてもう一歩自分が彼女の前に行けなかったのか、そればかり悔やむ。事故というのは、こういうものなのだろう。あとからいろいろ考えても現実はすでに起きてしまったことでしかない。唯一の救いは、彼女が相変わらず元気な事と、縫合がうまくいった事。あとは時間の問題か。


EL343
2013.12.10
Paris

今朝、下の娘のサワがソファーに顔をぶつけて、前歯を折る事故が起きた。とっさにどうして良いかもわからず、とにかく近くの子供専門病院に駆けつけた。唇も切っていて、麻酔をかけられ数針縫う怪我だ。こんなに小さいのに、もう病院へ行くような怪我を起こしてしまった。親の監督不行き届きであることは間違いない。悔やんでも元に戻らない。しかし、悔やまずにいられない。多分これから先、何度も思い出しては悔やむのだろう。時間は戻らない。今日の一日がこれから先、どんなに悔やむ日になる事か。


EL342
2013.12.07
Paris

日本で奇妙な法律がこの時期決められた。特定秘密保護法というものだ。多くのひとが不安を持って拒否しているのに、昨日国会で決めたれた。原発にしても多くの人が反対しているが、国は推進を決めた。次回の選挙でこの政権を国民が判断する事しかないのだろうか。なんだかいろんなものがねじまげられて、決まっていく。日本はこれからどうなるのだろう。


EL341
2013.11.25 
Brittany

ブルターニュのサイトでミーテイング。現場に行くまでアイデアはなかったが、現場でいろんな人と話をしていくうちに、まとまってきた。雨の中を歩きながらプランを整理し、いろいろなアイデアを話す。そこから具体的なプランがでてくる。近くの家でコーヒーを飲みながら具体的な制作の打ち合わせをする。これで先が見えてきた。あとはイメージスケッチを仕上げることだ。これで来年のブルターニュでのプロジェクトのプランは決定した。残りは、スウェーデンの現場だ。先日返信を書いたので数日後に連絡があると思う。


EL340
2013.11.24
Paris

スイス、バーゼルからクリストフが訪ねてくる。2年前からチューリッヒの建築家と一つのプロジェクトを行なっているが、なかなか話がまとまらず、2度目のこちら側のプレゼンをしなくてはならないため、その打ち合せにパリまで来てくれた。2日間かかって新たな模型を作り、スケッチを描いて12月のプレゼンに備えた。彼が帰ったあとのアトリエは、タバコのにおいと紙くずの山が残った。


EL339
2013.11.20
Bereven

ベルギーのある病院で行なわれるコンペのプレゼンに行く。市営病院の増改築プロジェクトで、そこに入れるアート作品のコンペである。5名のアーティストが事前に選ばれ、そこから一人に絞られる。昨夜から今日にかけて模型を作り、そこからプロポーサルを組み立て、寝ないでそのまま電車に乗った。2時間熟睡して、ブリュッセルの駅に着き、友人の車で現地まで行く。そして10名ほどの関係者の前でプレゼンをした。質疑応答を入れて約15分で終わった。いとも簡単にスライドショーを使いながら説明したが、あまりにも簡単に受け入れてくれたので、少し不安になりながら、帰りの電車を待った。1月に正式に答えがあるらしい。まあ2時間かけて15分で終わりの結果は、どうなんだろうか。しばし待つしかないか。


EL338
2013.11.15
Vienna

一日の予定で、オーストリアのウィーンに行く。来年の2月にオープン予定のMAKでのインスタレーションの打ち合せのためだ。MAKは、博物館と美術館が合わさったような所である。それで今回のオーダーは、アジアの様々なコレクションを展示する一室をアレンジしてほしいという事。キュレイターが一昨年、妻有芸術祭で私が中原佑介氏の蔵書をアレンジしてインスタレーションしたのを見て、ぜひこのような展示をここで行なってほしいということで、依頼が来たわけである。もちろんそれ以前の私の仕事は見ていたらしく、1996年のウィナーノイシュタットで行なったプロジェクトも見ていたらしい。そういう事で今回、彼のアイデアで、MAKにあるアジア関連のコレクションを新たにインスタレーションで展示したいということらしい。美術館の一室を自由にアレンンジして良いということで、多くの写真を取り、まずはパリに持ち帰り考える事にした。


EL337
2013.11.11
Paris

夜中の3時頃。この時間が一番静かで作業に気が入る。しかし何か他の用事、例えば明日までに何かを仕上げなければならないとか、近日中に新たなプランを出さなければならないなどの差し迫った用事がある時は、どうもそこに行くまで時間がかかる。やらなければならないものがある時ほど、つい他の事をしてしまいがちである。そこから逃げているわけではないが、どうも集中できない。そして最後の数時間で、いとも簡単に仕上げてしまうというのが、いつものパターンである。まるで受験生の一夜付けの勉強のようなものだ。しかしこれをすでに何十年も続けているのである。多分最後にできると踏んでいるから、ぎりぎりまで持ち越してしまうのかもしれないが、そろそろ自分の体力を考えても良いのかもしれない。しかし結局今日も朝までウダウダしながら、頼まれていた原稿を書き上げた。


EL336
2013.11.03
Paris

久しぶりにのんびりアトリエの整理をしている。日本から戻り、少し時間的な余裕があるということで、あまり急いで仕事をしない状況でいようと思い、体休めを目的に、ぼんやりアトリエでここ数日過ごしている。いろいろしなければならないこともあるが、まだ時間があるということで、何も手をつけていない。いろんなところから電話やメールも来るが、今は、少し黙っていよう。ようやく持病の腰痛も回復してきているような気がする。これはやはり今回の日本での温泉効果というものかもしれない。あるいはここ数日家にいて動くことも少なかったからなのだろうか。来年は、プロジェクトを減らして、アトリエで過ごす時間をもっと多くしようと思う。しかしこれは毎年思うことだが、現実にはいろんな仕事を断れずに、忙しく作業の日々になってしまう。やれやれだ。


EL335
2013.10.27
東京

「東京インプログレス」の最後のイベントに参加した。今年で終了のプロジェクトで、11月から解体作業に入る。その前の最後のイベントに音楽やダンスなどが現場の作品前で催された。今日は天気も良く、川からの気持ちのよい風とともに音楽が流れてきて、3年間をぼんやり振り返りながら聞き入っていた。 これから東京はどうなるのだろうか。


EL334
2013.10.21
三笠

1日目の作業は、昨年組み立てた構造を取り外すところから始める。地形を変更して、地面になるベニヤ板を敷く。これらの組み立ては、昨年も参加してくれている室蘭工業の学生が頼りになる。それから段ボール、その上に白ペンキを塗っていく。まだまだ炭住の模型が足りない。そばで教育大生たちがひたすらグルーガンで組み立てている。地元新聞の情報を読んで作業中、いろいろな人が、入れ替わり立ち替わり現場に訪ねて来てくれる。


EL333
2013.10.19
東京

今日から父は北海道に、母と子供は九州に行くことになる。羽田で遅い昼食を食べ、別々の飛行機で目的地に向かう。千歳空港についてそのまま、「三笠ふれんず」の今日の会場であるホテルへと向かう。昨年より少し少なめのメンバーだが、いつものメンバーと出会い、これからここで始まる制作について、いろいろ話を交わす。会がグッズ販売で終わったところで、宿に戻る。ここでの宿泊は、温泉付きの健康ランドのようなところ。昨年も宿泊したところなので楽だ。熱いお湯に入り、明日からの作業を考える。


EL332
2013.10.17
成田

カナルの学校の約3週間の秋休みを利用して日本に帰国することにした。夏のバカンスシーズンは、ラビレットでのワークショップが続いていたので、帰り損ねたが、今思えば今年の日本の猛暑に出会わなくて良かったとも思える。少し肌寒いが、晴天の成田に到着したときには、この時期にして良かったと思った。明日から家族は別々に分かれて、秋の日本を過ごすことになる。


EL331
2013.10.15
Paris

やっとヴァンドーム広場の取り付けが終わった。慎重な作業が続いたため、かなり疲れた。クレーンが思うように動かなかったり、作業が限られた人しか出来なかったりで、時間がかかったが、なんとか天候も悪くなく無事に終わった。
さてこれからパリを出て、明日は日本に向かうことになる。


EL330
2013.10.11
Paris

パリのヴァンドーム広場での作業が始まる。ここにあるナポレオンの戦勝記念の記念碑に作品を取り付けるというもの。よく許可が下りたと思うが、パリでのアートフェアの一環の事業ということで、特別に許可が出たようだ。そういうことで、なかなか出来ない場所でもあるので、今回引き受けた次第である。パブリックモニュメントは、パリではポンピドゥー以来かもしれない。とにかく慎重に作業を進めていくことにする。


EL329
2013.10.04
Firenze

朝早くからクレーンに乗り、構造を作り、そこに廃材を組み合わせていく。この建物から出た窓枠をはめて完成した。中庭の鳥の巣のような構造物は、建物の柱にあわせて木材をつなぎ合わせていく。これも問題なく出来る。すでにどんな記念碑的な建物であっても、建物に損傷を与えることなく自分の作品を組み立てる自信はある。これも一時的であればこその許可と構造だろう。


EL328
2013.10.01
Firenze

イタリアのフィレンツェで、パブリックビルディングに作品を設置することが出来るということで、展示作業のため現地へ行く。フィレンツェを訪れるのは何年ぶりだろか。相変わらず人ごみが多い中央駅を出て、今回の現場となる美術館へ向かう。そこは、ルネサンス期に建てられた石の建造物で、重厚な造りの建物である。そのファサードと中庭に今回は、作品を設置することになる。クレーンに乗り、構造のどのようなサポートが建物から得られるかを慎重に調べる。以前から設置されていたランプの部分に木材を絡ませて、そこで支える構造物を作ることにする。


EL327
2013.09.27
Toronto

晴天のトロント、まだ少し日差しは暑い。朝から6名ほどの作業スタッフと黙々と椅子を鉄の構造体に取り付ける作業を行う。昼休みに、トロントの町で25年前に行ったプロジェクトの現場を見に行く。今の現場とそれほど離れていないので、すぐに見つかった。まるで変わっていない。両側に建っていたクラッシクな建物もそのままだった。まるで時間が止まったかのような錯覚を覚えた。
あれから25年。いろんなところへ行き、いろんなプロジェクトを行って来た。
その度ごとにトロントのプロジェクトが話題に出て、まるで自分のアイコンのようなプロジェクトだった。その場所に25年を経て自分が今建っているということ。いろいろな気持ちがよぎる。トロントですでにこのプロジェクトを知っている人もあまりいないだろうと思っていたら、午後の作業を始めた時、今回のプロジェクトの担当者が数名現場に来た。そして以前のトロントプロジェクトのカタログを私に差し出して、サインをしてくれという。もちろん彼は、現場を見たという。ただずいぶん若い頃だったようだ。ひとしきりこのプロジェクトの話をして、古いカタログにサインをした。懐かしいというより、知っていた人がいたというだけで今回、トロントに来た意味があったと思った。


EL326
2013.09.25
Toronto

3泊5日でカナダ、トロントでの作業に向かう。屋外で椅子を組み立てる作業だ。空港からホテルへ直行し、チエックインしてから現場に向かうと、すでに鉄の構造体が出来上がっていて、作業メンバーがエンジニアと打ち合わせをしているところだった。現地にオーダーしていたものが出来ている。明日からの作業は、多分それほど難しくはないだろう。


EL325
2013.09.14
Paris

ここ数日、アトリエにいて作業をしている。久しぶりに野外での作業の合間にアトリエでいろいろたまっていた仕事をこなしている。以前のプランを掘り起こしたり、パソコンの記録写真を整理し、バックアップしたりして一日が終わる。夜、家族が寝静まってからボーッとタバコをくゆらし、今までのことや、これからのことに思いを巡らす。60歳の還暦を迎えて、体にもかなり無理した状態で過ごしている。ここは少し仕事の仕方を考えなければならない。体のことを考えるが、しかし、あとこれからどのくらいアートのプロジェクトができるかということは、考えない。今の状態は、自分が思うにせよ思わないにせよ、作品がそれなりにできてしまうことだろう。そして多くの場合、好意的な反応をもらう。ラ・ヴィレットにせよ、カマルグのプロジェクトにせよ、それなりに成功している。(バーゼルのプロジェクトのような反応も、久しぶりにあのようなポリティカルな事件として起きた感じだ)プロジェクトをやれば反響があるし、それなりの評価を受ける。生活も安定しているし、仕事の意欲もないわけではない。それよりもこのままの状態で引き続き作品を作り続けていくことに何の不安もないことの方が、何か変な感じがする。さてさてどのようなものだろうか。


EL324
2013.09.03
Hongkong

香港の近くの黄洲という町に建設中のホテルを視察に行く。以前一緒に仕事をしたことのあるインテリアデザイナーが、また是非仕事をしたいと言う事で、中国まで現場を見に来た次第だ。黄洲という町は国際的な香港とは別で、きわめて中国だと現場を見ながら、案内してくれた現地の人が言う。さてどのような仕事になるか、まずは現地の人とミーティングをしてからだ。


EL323
2013.08.21
Paris

やっと昨日、ラ・ヴィレットのワークショップ最終日を迎えた。最終日でもワークショップ参加者は、多かった。何度か来ている人もいた。しかしすでに解体が終了しているので、いくつか残っている構造物を解体して、その材料で新しく自分たちで違う者を組み立てるというのをやった。なんだか組み立てたものを再度壊してまた組み立てるという、今回のプロジェクトを地でいくようなスタイルになった。とにかく今日で最後だと思うと気が少し晴れる。やはり4ヶ月毎週この現場に来ての作業は、肉体的に疲れた。また作業がない日でもどうしても気になる。そんなことでワークショップ終了後に、関係者だけで打ち上げを行った。「ご苦労さんまでした」と乾杯し、花束までもらい、スタッフにねぎらわれた。まあとにかく終わったということか。子供たちもラ・ヴィレットに遊びに来ていたので、「子供が遊び疲れているので先に失礼します」ということで、そそくさと帰ってきた。家でシャワーを浴び、一服すると急にどっと疲れが出てきた。夕食後、そのまま子供たちと一緒に寝てしまう。


EL322
2013.08.10
Brittany

ブルターニュの小さな村に呼ばれて、現場視察をした。すぐにそこで何をしたらよいのかだいたい分かった。そしていくつかのプランもすぐに思いつく。何日もかけてアイデアを練るということはない。最初のインスピレーションが、結果的に最後まで残る。そんな感じでその日の夜に家に戻ってきた。あとは少し時間をかけて、最初のアイデアを検証していくことだろう。つまらないアイデアだと、時間が経つに連れて興味が失う。しかし何度反芻しても残るアイデアは、それなりに自分の中でインパクトがあるものなのだろうと思う。そういう反芻する時間を経て、プロジェクトのプランは決まる。現場で撮った写真を見ながらこれからすこしウダウダ考えるとするか。


EL321
2013.08.01
Mallorca

ラ・ヴィレットの作業の合間に、家族でマヨルカに行ってきた。今年は2度目だ。 夏のバカンスシーズンにパリにいるのも、パリで生活してから初めての経験で、いつもは、日本に帰国している時期だ。そんなこともあり、夏の短い期間にいつも行き慣れているスペイン、マヨルカに4泊5日で行ってきた。今回は直行便を利用して1時間半で暑い日差しのマヨルカに着いた。ホテルのプールに子供と浸かりながら、やはりバカンスは必要だとつくづく思った。気分転換、家族奉仕、いろいろあるがのんびり何も考えないで、ひたすら食べて、寝て、泳ぐ。日焼けしてひりひりする体を抱えて、パリに戻ってきた。また明日からラ・ヴィレット解体作業が待っている。


EL320
2013.07.26
Singapore

朝早くシンガポールの空港に着いた。シンガポールの国立芸術高校に4泊5日で、ワークショップを頼まれ、訪れた。友人から紹介され、短期間であれば可能かなと思い、またシンガポールは行ったことがないので、そのまま気軽に引き受けた。航空時間は日本に帰国するのと同じくらいで、思いのほか長かった。
 ここでこれから数日間、ここの高校生と一緒にワークショップをするためだ。シンガポールの国立芸術高校ということだろうか。友人のアーティストが昨年招かれ、レクチャーをしたということで、ここに住んでいる友人を通して僕に連絡があった。ラ・ヴィレットのワークショップで忙しい時期に飛行機で12時間もかけて高校生とワークショップをやるかと思っていたが、数日の息抜きと考えてこれを受けた。確かにパリにいるとラビレットの毎週の作業が頭から離れないし、いろいろなオーダーが来て、毎日気が晴れない感じだった。ホテルで数日こもるような気持ちでこちらにきた。ただこちらに着いてみると、友人にいろんなところを案内されて、今日一日で随分いろんな人に会った。こちらのギャラリーやアーティストのオープニングに顔を出した事で、地元の美術関係者とも会った。最後に屋台のようなところで夕食を食べ、やっと少しアジアに来たという感触がした。


EL319
2013.07.11
Arles

カマルグのプロジェクトの最終章とでもいうものを、アルルの町で行ってきた。
真夏のアルルは、照り続く日差しがゴッホを思い起こさせる。まあゴッホのアルルということだろうが。彼が滞在していたホテルやカフェは、町の外れにあり、観光バスが毎日のように通り過ぎていく。ここに2年間いて、200枚の作品を作り、生涯1点しか作品が売れなかった作家の最期もこの近くの村だ。


EL318
2013.07.07
Paris

夏の日差しが、アトリエの窓から射してくる。工業用の扇風機を出してきて、ドアを開け、風をアトリエに入れる。ブーンと音がうるさいが、それなりに涼しくなる。2階から子供がピアノを弾く音が聞こえる。昨日習った練習曲を、何度も弾いている。そしてその後、ドタバタと子供が走り回る音がする。そんなのを聞きながらその真下にあるアトリエで、久しぶりに1日中、作品を作っていた。


EL317
2013.07.05
Paris

久しぶりにアトリエで1日過ごす。それでも子供の面倒を見なければならないし、壊れた電気の配線も直さなければならない。家にいてもやることが山ほどある。アトリエにいてのんびりしているように見えるから、いろんな用事を頼まれる。決してのんびりしている訳ではなく、頭の中で次のプロジェクトのプランやアレンジを考えたり、スケジュールを考えたりしているわけだ。どうもそのようには見えないらしく、買い物を頼まれたり、家の掃除をさせられたりする。


EL316
2013.06.30
Paris

6月も終わり7月に突入する。バカンスシーズンが始まり、少しずつ電話もメールも少なくなる。少しこの時期は、一息入れる時期でもある。大学も夏休みに入り、学生も帰郷し、パリは観光客の町となる。ほとんど観光的な場所に行かない自分は、毎日のルーテイン的な場所の移動に終始する。しかし大学のあるサンジェルマン付近は、どこのカフェでも英語やドイツ語、オランダ語、それに中国語、韓国語が反乱している。それを聞きながら、コーヒーを飲み終え、いつもながらに近くにあるデパートで食材を買い、バスに乗って帰宅する。


EL315
2013.06.20
Paris

バーゼルの喧噪も、まだ尾をひいてはいるが、ラ・ヴィレットのワークショップは続いている。パリも少しずつ夏の気候に移行している。この時期になると、みんなバカンスの為にそわそわしている。数日雨や曇りのどんよりとした日々が続いて、今日は晴天の日。現場のラ・ヴィレット公園でも、多くの家族連れが芝生にビニールシートを敷き、ピクニックをしている。その脇で相変わらず作業が続く。今年の夏はパリにいることになりそうだ。このワークショップが8月下旬まで続くからだ。作業着も長袖から半袖になり、半ズボンの格好で行う。 この時期が一番気持ちよい。湿気がないので、木陰に入るとひんやりする。日陰と日向の往復で町のカフェは、夕方まで通りの席はいっぱいになる。 作業を終え、フランス人のスタッフといつも行くカフェで通りに面している席を取り、ビールで「お疲れさん!」などと日本語で乾杯すると、今日も仕事をしたなという気分になる。ほとんど日本のサラリーマンのようだ。思えば今年の前半もいろいろな仕事をした。スイス、イッチンゲンの美術館前の塔の制作から、カマルグ、バーゼルのアートフェアでのファベーラと、このラ・ヴィレット公園のワークショップ。このあとすぐにカマルグの最後のプロジェクトであるアルルでの作業が待っている。9月からまた新たなプロジェクトが始まるが、 まずは夏を境に一年間を前半と後半に分けるのが、ヨーロッパでの作業の習わしのように思う。なぜなら7月.8月の夏の時期は誰も仕事をしないから。この習慣が自分の制作と生活のスケジュールになっているのが解る。バカンスが待ちどおしい。


EL314
2013.06.13
Paris

バーゼルでは大変なことになっているみたいだ。
アートフェアのオープン前にパリに戻ってきたので、その後のことはあまり解らないが、今日、クリストフから緊急な電話が入り、今、ファベーラカフェの前で、若者が勝手にファベーラを作って気勢を上げているとのこと。アートフェアとしてはどうしたものかとミーティングをしているところだという。実際の様子がわからないので、写真を送ってくれと頼むが、すぐに何かを決断しなければならないようで、1時間ほど電話で話しながら、若者とアートフェア側とで会話をもう少しするとか、とにかく他でやってくれと伝えるとかいろいろな案が出たが、アートフェア側の最終決断は、とにかく不法に占拠している若者たちを撤収すると言う事になった。どのようにするかは、アートフェア側で判断して行なうとのこと。こちらとしてはあまり強硬に撤去を求めなくても、今までだって何度もこのような事はあった。(ドクメンタ9の時の作品、「ピープルズガーデン」でファベーラに勝手にアーティストが住み込み、作家から許可をもらったとか言ってずっと住み込んでいた事とか。)それを案じてたら、やはり警察が強行に撤収したようだ。幾人かのメールでそれを知った。交渉に当たっていたクリストフが、「最悪の事態になった!」と夜中に電話してきた。いやはや、すでにこれは、自分の問題からはなれてしまった。その夜から数日間、メールが私の所に殺到してきた。いろいろな所からのメールで、いろいろな国にもこの情報は行き渡っているようで、特にユーチュ−ブでの映像の広まりは、劇的だ。特にポリスの若者撃退時の映像は、すでにこの時点で7000回見られている。ただ一つだけいえることは、ポリスが若者にアタックする前に4時間、5時間もかけて彼らを説得していたということ。メディアでは特にユーチューブの3分間ではそれが全く除かれていて警官が若者を強制的に立ち退かせていたところしか見えない。しかし良く見れば、彼らは若者のCDプレイヤーとスピーカーだけ没収している。要するに大音響で音楽を流していることで、夜間の騒音妨害のために彼らを説得していたが、収まる気配が見えないから、強制的に音響機器のスピーカーなどを没収したということらしい。あの場所が公共の場所なのか、アートフェアが借りているいわば個人の場所なのか、公共とプライベート空間での自由についてなどの問題ではいっさいない。単純に騒音妨害を撤去したということだろう。ただ確かにポリスの対応は度を超しているように見える。催涙弾を使うほどのことでもないだろう。しかしメディアによっていろんな方向に話題が膨らみ、バーゼルの町は、一時毎日のように新聞でこのことが論争されていた。パリまで新聞記者が私にインタビューを取りにやってきたほどだ。とにかくそんなこんなで今年のバーゼルでの仕事は、一悶着が起きた。まだ自分なりに整理できていないのが今の心境だ。


EL313
2013.06.09
Paris

そして次の日にパリに戻った。アートフェアが始まる前にオープンし、あとはギャラリストのビジネスの場であるわけだから、アーティストがうろうろするのはみっともないと思い、制作に関わってくれたみんなにお礼を言い、電車に乗った。アートフェアは100パーセントビジネスのための商品展示会である。
一般オープン前の2日間、VIPのコレクターのために会場はオープンされる。このために世界中からプライベートジェットが120機ほどバーゼルの空港に着き、黒塗りのリムジンが絶え間なく行き交う。そして、ほぼこの2日間でギャラリーの商売は終わるらしい。その後、一般にオープンされるが、それこそ一般客は残りものを見に来ることになる。世界最大で最も権威があるアートフェアならではの話である。


EL312
2013.06.07
Basel

日差しが強く、周りで子供達がワイワイ木道のところで遊んでいる前で、私が作ったカフェだと知らずにみんなここで勝手にビールやコーヒーを飲んでいる光景をみると、してやったりと思う。


EL311
2013.06.05
Basel

バーゼルのアートフェアでカフェをつくった。アートフェアのオフィスから直接オーダーがあり、会場の前に15棟ほどの小屋を組み立て、それをカフェにした。小屋は、木道でつながって各小屋にテーブルと椅子を並べた。すべての材料は、バーゼルの港から集められた廃材と家具だ。アートフェアではこれで4回目のプロジェクトになる。ここでもクリストフがほぼすべてアレンジしてくれて、自分は、実際の作業で数日バーゼルを訪れることで出来上がった。何よりもバーゼルの若い学生がボランティアで毎日参加してくれた。これは地元ならではのネットワークで、カフェやキッチンの運営にしても地元のグループがすべてをオーガナイズしてくれた。アートフェアが始まる数日前にプレオープンをして、会場設営のためにきていた多くのギャラリストや制作スタッフが来てくれた。ただ今回、久しぶりに日本のギャラリストの一人と話をすることができた。もちろん以前から知っていたがあまり関係を持ったことがなく、地道にやっている日本の画廊としか思っていなかったが、私のマケットをコレクターから預かってその鑑定を依頼してきた事から、たまたまバーゼルの会場いにいた彼と話をするとになり、そのままカフェのカウンターの前で長話をすることになった。アートの世界や日本の現状などを酔いにまかせて話した。


EL310
2013.05.26
Basel

今は、パリへ帰るTGVの電車の中で、この文書を書いている。昨日朝早く、パリを出てスイスのバーゼルまで3時間かけて来た。ここで6月に行われるバーゼルアートフェアに特別展示として、私のプロジェクトが行われることになり、その作業をするためだった。すでに作業スタッフは、スイスのコーディネーターであるクリストフが、アレンジしてくれていて、材料も現場にあり、すでに作業が始まっているところだった。10時に現場に着き、そのままミーティングをする。ここで廃材を使って小屋を組み立て、それをカフェとして運用しようと言うアイデアが決まり、3メートル四方の小屋を15棟ほど会場前の広場に設置する作業だ。あいにく天気が悪く、小雨の中、材料を担いで作業する。5月の天気はヨーロッパのどこでも、晴れ後雨のような落ち着かない天気だ。空とにらめっこをしながら、黙々と作業をする。


EL309
2013.05.23
Paris

今日は、朝から雨。しかしラ・ヴィレット公園の現場には、相変わらず高校生の一団が午前と午後に2グループ来る。雨の中でどのようなワークショップをすれば良いか、メトロの中で考える。


EL308
2013.05.21
Paris

またこの時期が来ると、美術学校の学生は、そわそわする。大学のディプロム(卒業試験、卒業制作展示)の時期だからだ。3年生と5年生がこれにあたる。
今年は5月で、通年より1か月早く実施することになった。4人の試験監督は外から呼ばれた人たちで、作品もそれを制作した学生も初めて試験の対象となる展示会場で会うことになる。何を聞かれるか全く解らないし、はたして興味が持たれるかどうかも解らない。時間が来て審査員が会場に入り、一通り無言で作品を見る。それを後ろからその学生と自分とが見ている。学生の緊張しているのが良く解る。20分ぐらいして、学生に作品の説明を求め、そこからいろいろな意見が出てくる。その後学生を会場から退出してもらい、教官と私とで話をする。どんな生徒だったかを指導教官から聞き出すわけである。そんな緊張した会話が終わり、出口で挨拶すると、いきなり一人の試験監督から「久しぶりだね。私を覚えている?」などと話しかけてくる。聞けば10年前にルクセンブルグの展覧会で、私を招待してくれたキュレイターだった。自分は全く解らなかったが、話していくうちに思い出してきた。しかしこんなところで会うとは。ただ彼はすでにこの美術学校で私が教えていることは知っていたようだった。学生の試験内容など、ほっぽって、いろいろ昔話を彼とひとしきりした。美術界は狭いものだとあらためて思った。


EL307
2013.05.17
Paris

引き続き、ラビレット公園でのワークショップ。
時折作業現場のフェンス越しに、見ず知らずの人が日本語で「頑張ってください!」などと声がかかり、びっくりした。先日、テレビのインタビューを受けたので、そのニュースを見て訪ねてきたようだ。日本人としての同胞意識なのだろうか。自分にはこのような気持ちは、あまりないような気がする。


EL306
2013.05.08
Marollca

久しぶりのスペイン、マヨルカ島に来る。
毎週行なっているラ・ヴィレットとの作業日程の間の5日間を、今回は家族旅行に使った。息子の春バカンスの間、どこにも連れて行くことができなかったので、この時ばかりは、家族で短いが小旅行をしようと考え、以前よく訪れていたマヨルカに決めた。7年ぶりのマヨルカは、相変わらずのんびり、気持ちがよい天気に恵まれた。ただ荷物が飛行機の関係で、1日遅れたりして飛行場でドタバタしたが、ホテルについて青い空の下、プールを見ながらテラスにくつろぎ、そばで子供たちのはしゃぐ姿を見て、まずは来てよかったと思った。


EL305
2013.05.03
Paris

ラ・ヴィレット公園でのワークショップは、まだ続いている。毎週木曜日、金曜日の2日は、朝から夕方まで現場にいて、学生相手にワークショップを開いている。かれこれすでに通算すると300人ほどの学生がこのワークショップに参加していることになる。20メートルほどある構造タワーもかなり埋まってきた。参加者が思い思いにタワーに貼付けたり、組み立てたり、加えたりしている。私のボザールの学生も毎回数人参加している。彼らは作業日当をもらい、ワークショップの学生たちの面倒を見る。時にはタワーのてっぺんでロープを使ってぶら下がり、学生の組み立てた構造物をタワーに取り付け作業なども行う。彼らにはすでに専門のインストラクターに頼んでワークショップ開始数日前に特別なトレーニングをしてもらった。まるでロッククライミングのようなロープさばきを学び、それを使うことが今回の作業の目的でもあった。ちなみにこのインストラクターは、エッフェル塔のすべての塗装工事を請け負っているプロの人たちだ。彼らの着ている作業着に特殊な色のペンキがついている。まるでエンブレムのようなものだ。(エッフェル塔の外観の色は、特別に作られる色のようだ。)作業が終わり、ひととき彼らとビールを飲みながらいろんな興味深い話を語ってもらう。このようなことが、現場作業での面白いところでもある。


EL304
2013.04.30
Arles

引き続きカマルグからパリに戻る電車の中で書いている。
やっと現地作業で2つの作品を制作してきて、パブリックプレゼンテーションもしてきた。ただ、これから夏にかけて、アルル市内でボートを組み立て、ローヌ川を河口まで下るというプロジェクトの企画がある。もう一度、夏にここに来て作業をすることになる。なかなか終わらないプロジェクトである。すでに最初の現場のスタデイから始まって4年間かけている。今年は2度現地入りして学生らと作品を仕上げた。今までの作業記録と今回の新しい企画の説明をアルル市長と住民がいる中で紹介し、その後、アルルの町のレストランで作業に関わった学生らと打ち上げをして、夜遅くまで騒いでいた。何せ宿泊しているところがカマルグの田舎の家なので、毎日現場と家の往復で、久しぶりに町に出てきた田舎者のような感じで、お酒の勢いも加わり、大きな声を出して夜中のアルルの町を喝歩していた。


EL303
2013.04.26 Paris

パリのラ・ヴィレット公園でのワークショップが始まった。
毎日2つのグループが来て作業をする。一つのグループに15人ほどの学生が参加する。ほとんどが高校生だ。このワークショップを毎週2日、8月下旬まで続けることになっている。何でこんなスケジュールで毎週することになったのかは、少しパリにいて家から通うことができるようなプロジェクトがしたくなったからだ。昨年までほとんど海外、時に日本での作業が多く、ゆっくり家族といる時間が持てなかったので、少しゆっくり家族と過ごしたいということが背景にあった。たまたまパリの公園からの依頼だったので、このような作業とスケジュールを申し出たらこの案が通った。ただ、本当に毎週パリにいて作業ができるかというと、まだ不安なところもある。今年はスイスやトルコ、カナダでプロジェクトが決まっている。先日はシンガポールの大学でのワークショップをするとになった。毎週2日パリで作業があるとすると、残り5日でやらなければならない。シンガポールは3泊5日(2日機内泊、3日現地泊)というスケジュールだ。ましてや家族連れで行くことを考えている。今年の夏はどうなるのか今から頭が痛い。自分で決め、その決めたことに自分で縛られているということ。それは、やはり何か面白いことができそうだと思ったのと、今までやったことのない事をしたいというこの2点に尽きる。このことで今までやってきた。作家というものはどこかで自虐的なところがあるものだと思う。


EL302
2013.04.23.
Arles

カマルグからパリに戻る電車の中。
今回のワークショップは、3月にカマルグの美術館まえにつくった作品のアペンデックスみたいなかたちで行われている。カマルグノプロジェクトは、6カ所のサイトを選び、それぞれ作品を設置して行くというコンセプトだったが、予算や許可の問題ですべてができているわけではない。できるところから始めてやっと治ったこの3月に、最初の作品が完成したところだった。それで次のを引き続き学生とプランを出しながら進めて行こうということ。今年度で予算もなくなるということでできる時にどんどんやって行こうということで、急きょ決まった。ただ同じ時期にパリのラ・ヴィレツト公園での作品制作があり、頻繁にパリとカマルグを行ったり来たりしなければならない。そんなスケジュールの始まりだ。今回も先回のワークショップとほぼ同じ学生のメンバーが参加してくれていて、やりやすい。何より気がしれたオリビエが毎日食事を作ってくれている。これは確かにリッチなワークショップであることは間違いない。


EL301
2013.04.12
Nice

昨日まで南フランスのニースに3日家族と滞在した。単なるバカンスではなく、相変わらずこれからのプロジェクトの打ち合わせと現場調査が目的だ。雨のパリを出てニースに着く頃には快晴の空の中、滞在場所となる友人宅へ向かう。



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