「よーろっぱ日記」から「ヨーロッパだより」へ
インターローカルノートと題して日々の制作の変遷を載せていたが、横浜トリエンナーレ2005のディレクターズダイアリーとしてかたちを変え、会期終了まで引き続き身辺記事を載せていた。しかしその後、忙しさのあまり継続していなかった。
今回フィルムアート社のウェッブ上で連載されていた「よーろっぱ日記」を引き続き私のウェッブで紹介することにし、その引き続きを「ヨーロッパだより」というタイトルで、ここに載せることにした。

 updated 2012.05.27

2008.11.(001)〜(100)
2010.09,(101)〜(200)
2011.04,(301)〜(400)
2013.04,(400)〜(500)

2007.04.09-2008.03.10 フィルムアート社川俣正「よーろっぱ日記」
2003.01.29-2005.12.31 川俣正「インターローカルノート」

EL300
2013.04.09
Paris

 

今日、滞在許可書(カルトセジュール)の更新で、パリの市役所に行き、10年のフランス滞在許可書をもらってきた。これで毎年更新していた申請も、10年間行わなくてよい。ここに至るまで、毎年暮れになると、いろんな書類をかき集め、市役所の長い列に朝から並び、1日かけてランデブーの書類をもらう。そして初めてランデブーの日に書類を提出し、次のランデブーで更新した許可書を手にする。そんなことを毎年やっていた。「フランスは書類の国だ」と言われるのは確かに解る。一つでも書類に不備があると、また最初からやり直して新たなランデブーを取らなければならない。いい加減もっとスムーズに出来ないものかと何度思ったことか。これで少しは肩の荷が下りたような気がする。この国でサラリーをもらっている国家公務員でありながら、毎年、このような許可書の申請をいなければならなかった。要するに、それほど今まで信用されていなかった(数年したら本国に戻るだろうなどと思っていたに違いない)ということなのだろう。ヤレヤレである。外国に住むということは、それほど簡単ではないと言うこと。それを身にしみて感じた今日この頃。


EL299
2013.03.18
Lyon

カマルグから戻って、まだ作業着や作業靴をスーツケースから出していないところでリヨンの作業が始まった。そのまま取り出し詰め直してTGVに乗り込む。


EL298
2013.03. 15
Paris

日本の文化庁からメールがあった。メールでは説明できないので直接電話で話したいというメールだ。こんなメールは初めてでなんだろうと思い電話を待っていて、かかってきた電話で伝えられたことは、あなたは今年度芸術選奨の文部科学大臣賞に選ばれたと言う。ずいぶん唐突だなと思ったが、あまり賞とかに縁がない自分なので、ゆっくり考えますと伝えると、受け取るのかどうかだけでも決めてくれというので、とりあえずありがたく受け取りますと伝えると、事務的にありがとうございましたと言う。電話の後で、とりあえずネットで芸術選奨なるものを調べたら、受賞者は、なかなかのメンバーが名を連ねていて、それなりに価値があることが分かった。しかしこれだったら今までずいぶん日本で作品展示を行ってきたし、評判になったプロジェクトも数多くあるのに、今回に限ってこのような賞をくれるなんて、もっと早くもらっていても良かったのでは、と少し思った。これは自分のおごりだろうか。


EL297
2013.03.05
Paris

マケット制作のための材料集めを近くのマルシェで行う。素材は、野菜や果物をいれている木の箱である。マルシェが終わると膨大な数の箱が捨てられている。綺麗な木箱だけ集めてアトリエまで運ぶ。これがマケット制作になくてはならない材料になる。


EL296
2013.02.22
Arles

今、カマルグからパリに戻る電車の中。夕方まで現場で作業をしてそのままニームの駅からサンドイッチを買い、TGVに乗り込んだところ。現場の作業はカーペンターがほぼ大きな構造を組み立ててくれているので、学生と共にやる作業は、それほど多くない。それでも20名の学生が今回の作業に参加している。毎日の食事は気の知れたオリビエが作ってくれている。彼ともずいぶん長い付き合いになる。毎回ワークショップのシェフとして来てくれて、毎日美味しい食事を作ってくれる。それ以上に彼の存在は、学生のいろいろな相談事を聞いてくれるワークショップのお母さん的な立場にある。作業を円滑にしてくれる彼の参加は、何より頼もしい。来週末にここのオープニングをして、その後もう一度4月にアルルの町でワークショップを行う。


EL295
2013.02.20
Paris

今日はパリのギャラリーの倉庫で一日中作品を制作していた。ポンピドーへ納品する作品を仕上げるためで、夕方までになんとか仕上げた。これがそのうちコレクションとして展示されるだろう。その時は子供も連れて見に行きたいものだ。他の作品の中でどのように見えるのか、楽しみである。そんな記念すべき日なのに、奥さんにとっては家のインターホンがやっと治ったことの方がよほど嬉しいみたいで夜はそのことで持ちきりだった。


EL294
2013.02.18
Vienna

オーストリアのウイーンに日帰りで現場打ち合わせに行く。MAKでのインスタレーションの依頼があったからである。私の作品そのものの展示ではなく、そこにコレクションされている多くのアジアのコレクション、特に陶器や掛け軸、仏像などを展示する会場構成を依頼してきたのである。すでに何人かの現代アーティストが、部屋ごとに世界のいろいろなコレクションの会場構成をしているのを見た。面白い企画だと思い、来年2月頃までに展示プランを作り、実際に会場構成をすることにした。あと数回、ウイーンに足を運ばなければならないだろう。


EL293
2013. 01.26
Paris

昨日はユネスコ大使の晩餐会に呼ばれた。富士山を世界遺産にノミネートさせようということで、いろいろなイベントを日本から持ってきて日本文化会館で展覧会が開催されている。そのために森山元文科相がパリに来ていた。そこで大使に日本人の文化的なことをここで行っている日本人に会いたいということを伝えたらしく、なぜか僕を指名してきた。以前から東京芸大の審議委員であることは知っていたが、まさかこんなところで会い、直接話しをする機会がくるとは思わなかった。パリの大学で教えている日本人などたくさんいるだろうに、あえて自分を指名してきたのは、やはり芸術系では珍しいのかしらと一人で思いながらいろいろな質問に答えた。まず、最初の質問は、どんな成り立ちでパリのボザールの教授職を得ることができたのかと言うこと。多分誰もが不思議がることだろうし、聞きたいことなのかもしれないが、あまりにも簡単に
職に就けたことを話すと、そばにいた人たちは、あっけにとられていた。ただ、事実だからしょうがない。それ以上の何もないのだから。あとは日本とフランスの比較の話。パリの大学のこととか日本の学生のこととかをそれなりに話してきた。こんなところにも呼ばれるようになったかと帰り道に、とぼとぼ歩きながら思った。


EL292
2013.01.15
Paris

パリの今日は.この冬一番の寒さだ。割合正月明けてからもアトリエにいて、いろいろな雑用をしている。毎日子供達といっしょにいるが、なかなか一人の時間が持てない。まあ今まで家にいなかったこともあり、少しは家族サービスをしなければならない頃だろう。


EL291
2013.01.05
Paris

奥さんと子供は、朝からヘアーカットのため外出している。
一人アトリエで黙々と仕事をする。一息ついてボーッとアトリエに入る日差しを見ている。アトリエの片面が全面ガラス窓なので日差しがよく入る。パリの中心地にいながら、この静けさはここを訪れる皆が驚くだろう。いろんな雑用はとりあえず置いておいて、静かな日差しの入る部屋に一人でいるこの時間を楽しむ。あと数時間で2人の子供が帰ってくる。そうしたらまた相変わらずのせわしない騒音の中でいろいろ日々のことをしなければならない。ひとときの静かな時間をアトリエで満喫する。


EL290
2012.12.31
Paris

年末恒例の新しいスケジュール帳に来年のスケジュールを書き込んでいく。
いつもおなじメーカーのものを使う。いつも年間、月間、週間と細かく書き込む。そしてどんどん日程が込み入ってくると、修正ペンで変更になった項目を白く塗り、修正していく。毎年最後になると膨大な数の修正箇所がスケジュール帳に刻まれていく。それはプランと現実の落差なのかもしれない。さて来年はどうなるだろうか。あいかわらず修正箇所が増えていくような気がする。まあ、最初からあまり日程を決めないでいこうと思うが、いつしか予定がページにたくさん詰め込まれていく。自分の時間をコントロールしていくことを来年は心がけようと思う。


EL289
2012.12.30
Paris

クリスマスと正月の間のこの時期が一番時間的に余裕を持つことができる。なぜならみんな休暇しているからだ。ただ正月は、1月2日からこちらはすでに普通の仕事日になる。日本より正月をゆっくり過ごすという習慣は無い。そのためのんびりしていたら、正月があけてすぐ打ち合わせが舞い込んでくる。そんなことで今日も最後までいろいろと雑仕事に追われる。


EL288
2012.12.28
Paris

新しい住居にまだいろいろ手を加えなければならないことがたくさんある。
今日は、リビングの照明を新しく取り付ける。しかし思っていたよりも室内が暗く感じ、急遽新しい照明を買いに出る。また1階のシャワーの排水がうまく流れないため、業者に来てもらったりして、そんなことで1日が終わる。細かい工事が多々ある。やはり、リノベーションが完成するのには時間がかかる。焦ってもしょうがないが、直さないとどうにも落ち着かない。まあいつも何かやりきれていないことを気にしながら、何かをやっていくことでしかないのだろう。


EL287
2012.12.26
Paris

最近、やたらめったらレクチャーの依頼が多い。それにいちいち答えていたら身が持たないし、肝心のパリのボザールでさえ行けなくなってしまう。自分の教えている大学以外の大学でのレクチャーが多いのは、今始まったことではないが、それにしても少し自分の学生に気を使った方が良いかもしれない。それであまりメールを返信しないでほっとこうと思う。そのうち時期が来て、あきらめるだろうから。そんなことであまりメールを生真面目に返信しない癖がついてしまって、重要な案件もそれに混じって、つい忘れてしまっていることもたびたびある。それはちょっと問題かもしれない。


EL286
2012.12.24
Paris

オーストリア、ウイーンのMAK-Austrian Museum of Applied Arts / Contemporary Artからインスタレーションの依頼がきている。年明け早々した見に行かなければならない。そういえば、いろいろ下見に出かけなければならないところがいくつか溜まってきた。スイスのバーゼル、トルコのイスタンブール、フランスのいくつかの地方都市まで合わせると、年明けにほとんど毎週、何処かに行かなければならない状態だ。家でのんびりできるのも今週ぐらいだろうか。


EL285
2012.12.22
Paris

パリのポンピドゥーセンターで、作品の購入が決まり、新しく作品を作らなければならない。一昨年ポンピドゥーの建物に取り付けたツリーハットの一つを再構築したものをコレクションしたいということらしい。この年末にアトリエで組み立てなければならない。素材として使う木材も防腐剤を施したものを使うことを指摘されたために、パリのギャラリーに頼んで購入してきてもらった。山と積まれた木材で、アトリエの一部は占有されている。さてさて、いつからやり始めるか。タバコを燻らせながら毎日、木材の山を見ている。


EL284
2012.12.20
Paris

新しい家で迎える初めてのクリスマス。もみの木を近くのスーパーで買い、子供に思い思いに飾り付けをしてもらう。そういえば、僕の学生の一人が、年明けに要らなくなったもみの木を町中から集めて、大学に森を作るプロジェクトをしたいというプランを、ずいぶん前に聞いた。確かに1月早々、要らなくなったクリスマスツリーは、通りに出されて粗大ゴミになって処分される。この時期ならではの材料として、ぜひこのプロジェクトを実現してもらいたいものだ。


EL283
2012.12.15
Paris

クリスマス商戦で町はにぎわっている。夕暮れの地下鉄もラッシュアワーのようだ。しかし日本のそれとは違う。車内でいろいろな言語が飛び交う。いろんな人種が同じ町に暮らしている。しかし面白いのは、みんなクリスマスのために手で持てないくらい、いろんなプレゼントを買っているので、同じデパートの袋が車内の至る所で見る。言葉は違うが生活習慣はあまり違わないことに何処かホッとする。


EL282
2012.12.14
Paris

久しぶりに子供たちと、近くの公園に出かける。どんよりとした曇り空の下、子供たちと手をつないで歩く。風は冷たいが、時より日がさす典型的なパリの冬の日だ。公園には同じように子供にせがまれて連れられてきた親が、何をすることもなくベンチに座って煙草を吸っている。その隣に腰を下ろし、子供が走り回っているのを横目で見ながら、ボーッと曇り空を仰ぐ。「今年もずいぶん仕事をしたな」などと今年を振り返りながら、タバコに火をつけて一服する。
こんな時間を持つこともあまりなかった今年だったかもしれない。今日は子供に自分を公園に連れてきてもらったような感じがした。


EL281
2012.12.12
Paris

久しぶりに自宅のアトリエにいる。新しい住居は1階が自分のアトリエで、2階が住居になっている。下でのんびりしていると2階で子供の泣き声がする。階段を上がり、住居のドアを開き子供の様子を見る。これを1日に何度となく繰り返す。アトリエにいる時間がまとまった形で取れるのは唯一、子供たちが寝静まってからだ。夜、子供たちをお風呂に入れて、寝室に連れて行き、寝るのを見届けてからが自分の時間になる。夜の寝静まった頃の時間帯が、自分にとっての唯一の自由な時間だ。ただ最近は子供と一緒にお風呂に入り、そのまま子供たちと一緒に寝てしまうことが多い。まあそういう時間の過ごし方もありなのかもしれない。ただ夜にやろうとしていた仕事がどんどん溜まってしまうのが、気になるが。


EL280
2012.12.10
Paris

今回の日本滞在は、東京インプログレスと 横浜のBankARTの展覧会とがほぼ同時期に重なったために本当に長かった。気分的にも体力的にもこの年齢ではしんどかった。しかし作業が始まると体力や気力よりも作業の面白さが優って、ついつい無理をしてしまう。今回だけで4キロ体重が減った。これはこれでオーバーウエイトだったから良かったかもしれないが、、、。さてこんな感じの仕事はいつまで続くのだろうか。


EL279
2012.12.08
Paris

横浜の仕事を終えてパリに戻ったら、パリの家ではいろんなことが起こっていたようだった。まず子供がいろいろな病気にかかっていて、いろんな人に助けられながらなんとか過ごしていた。あまり仕事中にいろいろ伝えなかったことがあったようだ。気をきかせたのかもしれないが、とにかく大変だったようだった。話を聞きながらぼーっとしてしまった。


EL278
2012.12.01
横浜

タバコの量が半端なく増えてきた。特に作業が始まると必ずくわえタバコになっている自分に気がつく。そして今回の横浜でのカタログ表紙の写真は、20年前のオランダでの作業写真を使っているのだが、ここでも相変わらずくわえタバコだ。なんだか自分の健康のことなど気にしていない、あるいはそれに関わっていたら仕事にならないなどと思っているのだろうか。全く変わっていない自分を見た。


EL277
2012.11.23
横浜

昨日、Parisを出発して今日の午後に成田に到着する。夕方からBankARTのオープニングレセプションが始まるため、とにかく池田君に電話を入れる。7時のレセプションに遅れないためにはバスより電車の方が確実だという判断から成田エキスプレスで横浜まで直行することにした。
まだ頭の中は、機内で見ていた映画のことでいっぱいだった。まずは頭を切り替えることだ。横浜の現場は思っていたより作業が進んでいた。気を良くしてレセプションのスピーチでは、副市長のいる前で思わず横浜の新たな文化政策のことを厳しく批判してしまった。


EL276
2012.11.10
横浜

毎日の作業は、たんたんと進められて行く。すでに展覧会はオープンになっていて、観客が僕らの作業を横から見ている。しかしそれ自体はあまり気にならない。いろんなパブリックスペースでの作業の経験からだろうか、人目を気にしていたら作業にならないことは確かだからである。しかし面倒なのは知り合いに合うことだった。昔から知っている人、名刺交換だけしたことのある人、それらの人に声をかけられたら作業を中断しなければならない。しかしそれにもまして面倒なのは、向こうはこちらを覚えているがこちらはどうも記憶にない人の時だ。どのように対応して良いか戸惑う。


EL275
2012.11.01
横浜

BankART での展覧会の準備で今日から横浜に入る。昨日まで東京でのプロジェクト(東京インプログレス2012)のセレモニーが続いていたので、 なんだかそのままの流れで横浜に移動している状態だ。体が確かに疲労しているのがわかる。疲れがたまって、体の節々が痛い。まあしばし、横浜の健康ランドに通って疲れを取る事にするか。、、と言う間もなくBank ARTで早々の打ち合せが始まる。制作スケジュール、材料調達、そしてなによりも急いでいるのが3回配本のうちの第1回目カタログの編集作業だった。


EL274
2012.10.27
豊洲

豊洲での作業は、それなりに自由にできた感じだ。周りに住民が いないという場所の条件が他の場所より気持ちがのびのびしたのかもしれない。作業は単純なものだったが、雨や気候の変化でその日の進行が変わってしまった。東京インプログレスの最終回にふさわしい内容のプロジェクトだったのかもしれない。


EL273
2012.10.17.
成田
引っ越しもそのままに、家族の白い目を横目に見ながら、パリを出発して東京に来る。「東京インプログレス」の最後の構築物となる「豊洲ドーム」の設置に入る。すでに現場は、材料も作業スタッフも待機して、すぐにでも取りかかれる状態になっていた。


EL272
2012.10.05
Montreal

モントリオールに着いて3日目。ここで滞在している学生に会いに行き、夕食をともにし、その後ホテルに戻る。どうも風邪はまだ直っていないようだ。まあビールやらワインを飲んでいたら、薬も効かないだろうけど。


EL271
2012.10.02
Montreal

ボザールの学生10名がアトリエ・トリップとしてカナダのモントリオールに9月中旬から来ている。すでに3週間が経ち、今日がそこでの発表会なので、パリからモントリオール行きの飛行機に乗る。飛行機の中で寒気がして、もしやと思ったらやはり風邪を引いてしまったらしい。ここ数日、移動やら仕事やらで体を休める時間がなかった。ここでの学生の展示は、それなりに良かった。ほかのレジデンスアーティストと引けを取らない内容だった。オープニングの観客からもそれなりに好評だった。しかし自分は風邪で鼻水が止まらなく、オープニングの中盤でホテルに戻ってくる。この機会にここで数日少し体を休めよう。


EL270
2012.09.29
Bonn

ボンの仕事を終えてパリに戻る電車の中。コミションの仕事もすでに何回か行っているので要領は得ている。2人で作業をして昼ご飯を近くのキオスクで食べ、夜は近くのホテルで食べる。全く作業だけのために滞在している感じだ。いろいろな興味が薄れてきて自分の行っていることだけに集中していればいいという気分なのだろうか。ただ今は作業疲れで腰が痛い。ホテルのバスタブにお湯を張りゆっくり浸かる。ボンの町の見物も、おいしいものを食べに外出する気もなく、これで十分満足している自分がいた。


EL269
2012.09.11
Montreal

7時間ほどでカナダモントリオール空港に着く。そのままタクシーでダウンタウンにある、オルタネイティブスペースに向かう。ここが今回の受け入れ先になる。以前の製鉄場をアートスペースとレジデンスに改造したところだ。ディレクターにあいさつして、とりあえず彼らが制作滞在できる場所を確保してもらった。割合居心地が良さそうだ。


EL268
2012.09.10
Paris

今日から4週間の日程でボザールの僕のアトリエ学生10名が、カナダのモントリオールに行く。それに随行する形で自分も着いて行くが、4週間も現地に入れないので、現地の受け入れ先にあいさつして3日間ぐらいでパリに戻ってこようと思っている。まずは飛行場の待ち合わせ場所で全員と会い、飛行機に乗り込む。みんな旅行気分だ。自分はまだ家のリノベーションもままならない状態で出てきているので、いろいろ気になるが、ボザールからパリとカナダ、モントリオール間の往復チケットをアレンジしてもらったこともあり、仕方なく同行する事になった。


EL267
2012.08.19
Paris

今日、荷物を新居に入れる。かなりの数の段ボールやらプラスチックケースが運び出され、トラックに積まれる。そして新しい家に着き、家の中の部屋に所狭しと段ボールが積み重ねられる。当分はこのような状態で生活しなければならないのかと、途方に暮れる。


EL266
2012.08.05
大邱

韓国の大邱という町の美術館からの依頼で、インスタレーションを行うため、韓国に向かう。大きな美術館の一番大きな展示室でインスタレーションをする。古いリンゴの木箱を約8000個集めてもらい、それを使って会場全体を覆うような形のインスタレーションをする。20名ほどの学生が毎日手伝いにきてくれる。しかしかなり肉体的に大変な作業だ。それに暑い。


EL265
2012.07,27
Middelberg

オランダ、ミデルバーグの町で風車を組み立てるプロジェクトが始まる。
この町で数名の作家を招聘し、作品を展示する「Fasade」という展覧会が開催されるからだ。以前この町にあった木造の風車を、以前あった場所にあらためて組み立てるというプロジェクトを提案して、思ったより予算がかからないようで、プランが通ったのだった。


EL264
2012.07.24
Paris

成田からパリに向かう機内で、今年も誕生日を迎える。昨年もそうだった。
なぜか自分の誕生日に飛行機に乗ってその日を過ごす。仕事の疲れと機内で飲んだアルコールのせいで、フランスに向かう飛行機の中で気がハイになっている。そしてなぜか急に学生時代によんだロラン・バルトの文章を思い出す。パリについて本を引っ張りだし、あらためて読んでみる。本当にフランス的な思想を具現化した人だと、今になって思う。
「体系化とはつまるところ「完成」に向けて諸要素を階層化し構造化することに他ならず、そのためには一定の価値観のもとに対象の適切な取捨選択や整合的な配置を行うことが不可欠であるからだ。そのプロセスにおいては、目標とされる構造に適合しない要素を排除したり、互いに矛盾する異質な観念同士を無理やり序列化したりすることがどうしても必要になる。それはフランス的思考が脈々と継承してきた合理主義の伝統そのものである。
自らの言説が知らず知らずのうちに階層性を帯び、その結果とし、抑圧や排除のメカニズムを作動させる一種のイデオロギー装置として機能してしまうことに対して、過剰なまでの警戒心を抱く。」
この言説は、何処かに自分の思考の根底にあり、そしてそれを長年自覚しないまま、あるいは本能的にこのような思考の中で作品を作ってきたような気がする。フランスかぶれではないが、フランスの上質な思考を感じざるをえない。
そして「「小説の準備」という項目で、「小説を書く意思は持ち続けながらも、実際にはいつまでも準備の段階にとどまるからこそ、現在の快楽を持続させることが可能になる」。例えばマルセル・プルースト。
気の遠くなるような長い準備が終わった段階で、同時に小説それ自体もすでに書き終えていた。これから書くべき作品の始まりが、すでに書き終えた文章の終わりと同時に生起するということを実現させたプルーストの『失われた時を求めて』。いくつもの問いを発しながら、なんの答えも見いだすことなく、ただあてもなく森をさまようだけの思考。 九州、田川で10年間行ったコールマインプロジェクトは、まさにこれだった。


EL263
2012.07.18
松代

新潟の作業に入って数日がたった。中原さんのことをいろいろ思い出しながら、彼の美術評論や作家との付き合い方を考える。作業中についつい彼の蔵書を手に取り読んでしまう。「芸術と政治と生活」が一瞬でも交わるエネルギーを持つかもしれないという幸福なユートピアを夢見たロシア・アヴァンギャルドの原書を数多く見つけた。中原さんにとっても、これは一つの夢を見させてくれる歴史的な事件のように思っていたのだろうか。社会とのかかわりをこの時期過激なまでに突き詰めたロシアのアーティスト達に思いを巡らす。


EL262
2012.07.14
三笠

オープニングパーティー。なんとか作業は、一段落した。以前、北海道でプロジェクトを行なったときに学生で手伝ってくれた人がヒョッコリここの現場に顔を出してくれたり、友人、知人などいろんな人が手伝いにきてくれて、久しぶりに昔のことを思い出しながら、作業をした。夕方から「三笠ふれんず」の面々が集まり音楽家を招いてチェロの演奏会が行われた。夏の夕暮れの日差しがゆっくりと会場内で変化していく中で、静かにチェロの演奏を聴く。最後にここでのプロジェクトの至福の時間をみんなで分かち合えたことは良かった。


EL261
2012.07.06
三笠

「三笠ふれんず」の初会合が、岩見沢のホテルの宴会場で行われる。ほとんどが、高校時代の同級生か、そこから声をかけられた人たちだった。ほぼいつも北海道に来るたびに合う連中と同じだが、プロジェクトの発起人のような形でみんな集まってくれているので、なぜかこちらも明日からの作業に対して身がしまる思いだ。


EL260
2012.07.02
成田

夏休みを待ち構えたように、日本に家族とともに帰国する。これから9月まで日本だ。ひとまず東京に2、3日滞在してそれから北海道に向けて旅立つ。東京に来るといつも定宿にしているホテルに荷物を運び、晩ご飯をみんなで食べる。ひさしぶりの日本での日本食を子供たちと一緒に食べる。


EL259
2012.06.30
Paris

ボザールのアトリエ・オープンの日。今日で前期日程が終わり明日から10月まで夏休み。学生はすでに何人かは、帰省してしまっている。残った連中だけで一つの作品を共同で作り、アトリエ内に展示する。今回は、アトリエ前の砂利をそのままアトリエの中に山のように積み上げるという作品だった。いわゆるディスプレイスメントという手法。しかしかなりの重労働で思ったほど量がなく、あまり変化が感じられない。部屋に敷きつめられた砂利が、外とつながっているだけにしか見えない。このような作品は、完璧にすべて運び込み、外と中が反転しているように見せなければならない。どうも今回は、中途半端な形で終わってしまった。やれやれ疲労感だけが残った。


EL258
2012.06.25
Paris

韓国から戻り、パリで引き続き卒業ディプロムの試験に立ち会う。今年は全員で7名ほどいるが、6月は4名で11月に残りの学生3名が試験に臨む。日程を作業の手順が多い学生から決める。その日、一日しかアトリエを自由に使いインスタレーションをすることが出来ないからだ。各自ベストな状態で作品を見せたいこともあり、準備をして一気に作業をする。ただそれにしても毎回試験の始まるほんの数分まで作品を作っている学生がほとんどだ。


EL257
2012.06.23
大邱

いろいろ美術館内を見ながらインスタレーションを考える。2008年に出来た美術館で、かなり大きな建物だ。展示空間もかなり広いところを任せられたので、材料やら作業工程やら、スタッフなどいろいろ考えなければならないことが多い。とにかくいろいろ美術館に注文してプランを決める。


EL256
2012.06.22
大邱

昨日、大学で学生の卒業ディプロムの審査に立ち会い、問題なくパスしたことを確認して、これから行う韓国大邱の新しく出来た美術館での展覧会下見のため空港に向かう。搭乗時間は日本とあまり変わらない。眠いまま空港からバスで美術館へ向かう。


EL245
2012.06.06
Paris

バスルームのバスタブを注文する。イタリア製の特別なものだ。デザインを見て気に入ったが、納品が夏のバカンスがあるので3ヶ月後になる。イタリア人は、夏は仕事をしないということを勘定に入れてなかった。9月下旬の納品では、家族も帰ってくるのでその間まで、家の1階のアトリエにシャワーでもつけて急場をしのいでもらうしかない。急いでシャワー用の温水器を買いにいく。


EL244
2012.05.30
Paris

学生のディプロムの時期になった。まずは3年生の作品審査が今日から始まる。
今年は4人の学生がそれぞれ日を変えてアトリエに作品を展示し、そこに外部からの審査員4名が進級審査を行う。それに私もつき合う。毎年のことだがいつも緊張する。


EL243
2012.05.25
Paris

家の電気、トイレ、バスルームの改装打ち合わせ。かなり、大掛かりな改装になりそうだ。以前あった電気の配線を部屋の配置換えですべて取り外したからだ。


EL 242
2012.05.24
Lyon

来年から始まるリヨンのプロジェクトの記者発表の日。朝からリヨンに向かう。
記者発表の会場は、現場近くの川沿いに建てられたパビリオンだ。そこに美術関係のジャーナリストがたくさんきていた。その後、現場を船で回ることになる。川沿いにいくつもの作品が設置されるからだ。6カ所の現場を任されたものとしては、その都度現場近くになるとマイクを持たされ説明を頼まれる。休む間もなく解説をせがまれ、自分でもどこのどのプロジェクトを説明しているのか、わからなくなるくらいだった。


EL241
2012.05.14
Paris

15区の新しい家の内装工事が始まる。まずは、学生数名と壁を取り壊す作業をする。これは意外に手早く出来た。壁の残骸がどんどん積まれていく。それと平行して家の中がどんどん広くなる気がした。しかしものすごいホコリが部屋中に充満している。みんな体中真っ白になりながら作業をしていた。


EL240
2012.05.11
Paris

15区の新しい家の内装を考えるために、そこに椅子とテーブルを準備する。水回り、キッチン、トイレなどいろいろ改装しなければならず、どこからどのように手を付けるかをこの家に毎日通って一人で考えることにした。アパートの中庭に建てられた木造2階建ての家。以前は小さな個人幼稚園だった。しかし150年前、一人の女性アーティストがここをアトリエとして建てたらしい。 木の大きな梁が建物を支えている。構造は問題ないが、内装をかなり変えなければならない。キッチンもバスルームもない。床はどうだろう。電気の配線や壁のはがれたところの補修など、7月の日本帰国前まで出来るのだろうか? いろんな人に声をかけて工事を6月までにやるしかない。パリでは夏は誰も仕事をしないだろうから。静かな部屋で一人武者震いをする。


EL239
2012.05.10
Paris

パリのラ・ヴィレット公園で来春始めるワークショップの打ち合わせに行く。すでに最初のプロポーサルは提出しており、それに対しての意見交換と確認だ。広大な公園内に木造の塔をみんなで組み立てていく。その過程を展覧会とするということを説明するが、なかなか理解してもらえない。まずセキュリティーの問題、公園と言うパブリックな場の問題などいろいろクリアしていかなければならないことばかりだ。しかしこんなミーティングを何十回、何百回やってきたのだろうか。言われること、聞かれることはいつも同じで、同じ心配ごとで、同じ理解のされ方だ。相変わらずだなと思うが、自分が作ったプランだから、どんなにくだらない心配事でも内容でも、責任もって最後まで説明するしかない。やれやれだなと打ち合わせを終えて外に出てタバコに火をつけ、公園で遊んでいる子供たちを見る。


EL238
2012.05.09
Paris

夕方、グラン・パレで行われるダニエル・ビュランの展覧会のプレビューに参加する。自分が他の作家の展覧会プレビューに行くのは珍しい。しかし、そこはダニエル・ビュランだから仕方がない。相変わらずの壮大なバリエーションの作品だ。ここまで長年ビュランスタイルを続けてきたら、誰も文句は言えないだろう。一つ一つの作品の意味ではなく、継続と豊富なバリエーションにみんな驚くのだろう。だから会場には、多くの美術関係者やコレクター、ビュランを嫌う若い作家たちもなぜか来ている。多くの人で込み合うバーカウンターで振る舞われるシャンパンを待ち続けていたら、いい加減うんざりしてきたので会場を抜け出し、次の夕食会場に行き、そこで何杯もシャンパンを飲んだ。何せここの夕食会場の門番は、カメルメノウ・ギャラリーのスタッフたちだから、簡単に入れたのだった。そしてパリのこのギャラリーを私に紹介してくれたのは、そういえばダニエル・ビュランだったなと、シャンパンを飲みながらあらためて思い出した。


EL237
2012.05.07
Paris

久しぶりにボザールの教室に行く。5年生がディプロム(卒業)試験の制作に忙しくしていた。6月にここのアトリエから6名が試験に臨むことになる。失敗すれば、留年か他の大学への転校を促される。そしてこれにパスしなければ、ボザールの学歴は存在しない。5年もここの大学にいたのに試験に通らなければ、最終学歴は高校卒業で止まってしまう。だからみんな必死である。こちらは制作に対して助言はしてあげられるけれど、最後は学生個人の力量で乗り越えていくしかない。試験の採点は、学校外の人が数名で決めることになっているからだ。アートの厳しさを肌で感じるときでもある。


EL236
2012.05 .05
Gent

ゲントでの作業も終了した。久しぶりのファベーラ制作でそれなりに気に入った形で収まった。時間も作業スタッフもまずまずか。かなりラフな感じで組み立てたが、さてどんな反応があるか。スクラップの材料で組み立てたファベーラは、1992年のカッセルとルーズベルト以来になるのだろうか。15年ぶりという感じ。時間は経っても組み立てる感覚は、相変わらずキープしていると自分なりに再認識した今回の仕事だった。


EL235
2012.05.02
Paris

夕方、パリのカメルメノウ・ギャラリーでコレクターの会に招かれる。これはポンピドゥー美術館の作品購入委員でもある彼らの個人的な作家との接触のようだ。パーマネントコレクションの可能性、どんな形の作品が収蔵可能かなど質問してきた。何人かのメンバーはすでに顔なじみであるが、ほかのメンバーから相変わらずいつもの質問。作品の木材はどのくらい恒久性があるのか?どんな種類の材木なのか?などなど。コレクションに対しての新たな提案でも出してやろうかなどと思うが、ギャラリーのビジネスが絡んでいるので、早々にギャラリースタッフからコメントが出て、そこはうまく話をつないで向こうも納得する。まあこちらからいろいろ説明するより、ギャラリーに任せておけば良いのかもしれない。作家はこのようなときは、お飾りのようなものだ。


EL234
2012.05.01
Gent

今日の夕方パリを出て、ゲントの定宿であるノボテルに着く。明日からまた始まる作業のため、今晩から現地入りした。このホテルは今回のゲントでの展覧会「トラックTRACK 」のスポンサーのようで、関係者や作家が多く泊まっていた。しかしあまり彼らと交流もなく、淡々と朝から現場へ行き、夕方戻り、シャワーを浴びて、一人で近くのレストランで夕食を済ませ、部屋に戻る。その繰り返しである。別段誰に会いたい訳でもない。もしくはあまり会いたくないという気分でもある。作業中は、ひっそり夜の時間を一人で過ごすのが一番良い。パーティとかに呼ばれるが、ただ疲れるだけで次の日の仕事に影響する。 最近は、ただ仕事だけして滞在しているのが一番気楽だ。


EL233
2012.04.29
Paris

昨日夜遅く、パリに戻ってきた。今日からヨーロッパでも29日から1日まで連休になる。久しぶりに家に戻り次の朝、子供たちの顔を見て、奥さんの近況報告を聞き、ソファーに横になる。体に疲れが溜まっているのがわかる。ただこれから数日のんびりできるということで少しは気持ちが晴れる。


EL232
2012.04.28
Gent

今日も小雨の中を終日船に乗って作業する。現場へのアクセスは船でしか行けない。そこに材料を積んだ大きなポンツン(浮き舟)を横たえての作業。これがなかなか思うようにいかない。水の上での作業というのは本当に難しい。すでに今日、一人のアシスタントが、水の中へ電動ドリルを落としてしまった。また一人は、足を滑らして、水の中にはいってしまって、全身水浸しになった。やれやれ、注意して作業していかないと、いろんなアクシデントが起こる。


EL231
2012.04.25
Gent

最初の基本的な家の構造を運河の壁沿いに取り付ける。水深は3m近くあるので、杭は打てなく、直接レンガ壁に穴をあけて木材を止めていく。穴はそれほど難しくなくドリルであけられた。何しろ100年前のレンガで出来た運河だ。
そこにボルトを一本ずつ差し込んで木材を止めていく。


EL230
2012.04.23
Gent

作業第一日目。ゲントの北にある駅の周辺に運河があり、船がここで方向を変えるための大きな丸いプールのようなところが今回の制作場所になる。ここは、丸い形がそのまま車のロータリーになっていて頻繁にものすごいスピードで車が回っていて道を横断するにはきわめて危険なところだ。そのためこのロータリーから下をのぞくことはあまりない。ましてやその丸い運河の壁沿いに小屋を組み立て、ファベーラのような集合住居が突然出現するなんて誰も思わないだろう。ただロータリーから少しはなれたところからこの運河をのぞくと、水辺に映る小屋郡がアジアや南アメリカにありそうなスクラップでできた住居郡に見える。そんなイメージで小屋を30個ほど設置するのが今回の作業だ。


EL229
2012.04.22
Gent

今晩からベルギー、ゲントでの制作のため、現地へ向かう。ゲントの美術館が主催する町の中での展覧会だ、30名ほどの作家のほとんどが町中に作品を設置する。ゲントはヤン・フットが美術館の館長時代、「シャンブルダミ (1986年)」と「オーバー・ザ・エッジ(2002年)」というヨーロッパの展覧会歴に残る記念碑的な展覧会を企画した。約10年ごとにこの町では独自にこのような展覧会の企画をしている。今回がその次の展覧会としてかたちづくられている。「トラックTRACK(2012年)」というタイトルで、ゲントの町を縦横に北の駅から南の駅にかけて線的に地域をつなげてそこにアート作品を設置していくというコンセプトである。企画はゲントの美術館だが、ヤン・フットよりもっと若い世代の館長は、確かに若手のアーティストを多く今回は起用している。私とローレンス・ウェイナーなどは、古株とでもいうような感じだ。ただここでも西野達郎と一緒になった。フランスのナントでの展覧会以来だ。ゲントの駅の時計塔を大々的に囲み、部屋を作るという発想は、お馴染みのものである。さてどのようなものになるか楽しみだ。天候があまり良くないので、当分雨空の中での作業になりそうだ。


EL228
2012.04.16
Bruxelle

ブリッセルに日帰りで行く。来年度のプロジェクトの打ち合わせと現場下見のためだ。朝早く北駅から電車に乗り1時間半で現地に着く。町の中央にある商店街の100メートルの長さの大きな目抜き通りに、両側の商店を自由に人がアクセスできるような通路か、橋のようなものを作ってもらいたいという要望だ。以前作ったボルドーやエブリュの橋のようなイメージがあるのだろうか。
とりあえず申し出を受けて、帰りの電車の中でいろいろと考える。


EL227
2012.04.10
Paris

久しぶりにアトリエの隅にうずたかく積まれている未読の書籍の中から一冊選んで、ぺラペラとページをめくってみた。パリに住むことを決めて常に頭の中からはなれなかった本。森有正の「バビロンの流れのほとりにて」だ。これを久しぶりに読み返す。そうするとここ数日、子供たちと過ごしていた毎日の雑用の日々からすっと感覚的な、そしてパリの町に対する感情的な言葉からくる繊細な表現が、体の中に染み入ってくるのがわかる。子供たちとの毎日の生活は、もちろん単調だが日々驚きに満ちていて、確かに楽しい。しかしこの本の中の作者は、パリでの孤独な日々の感情が思索の中ににじみ出ている。ここにある種の豊かさを感じる。実利的で現実的な生活感覚から少し離れて、彼のような思索的な生活をもう少しするべきなのかもしれない。あるいはある種のあこがれがあるのかもしれない。現在パリで何不自由なく生活し、仕事をしている自分を改めて見なおすような気持ちが起こる。静まり返ったパリの町の片隅で、子供たちが寝静まったこの時間に、このような本を読める幸せを今、感じている。


EL226
2012.04.03 Paris

アトリエでのんびりしていたら時間がどんどん過ぎていく。タバコも少しずつ戻ってきている。3度もメディカルチエックを行って、もういい加減良いだろうという気持ちだ。しかしこの時期の花粉症とタバコの影響でどうも咳が出る。アトリエの窓を開け、夜の町に向かって咳をしながら煙草を吸っている自分が悲しい。


EL225
2012.03.26
Paris

今日から3日間、ボザールの入学試験の面接に立ち会う。審査の基準は、いろいろあるがまずは人を見て、作品を見て決める。一日30名ほどの学生を面接すると確かに疲れる。何枚ものタブロー、スケッチブック、デッサン、オブジェなどなど。一人一人が審査委員に向かって真剣に作品を解説する。彼らの将来がこの面接にかかっているからだ。面接が終わり、カフェで一息することもなく、そのまま家に帰ってソファーにぐったり横になる。


EL224
2012.03.25 Paris

昨晩、自分の書いた本をペラペラとめくってみた。自分のスタンディングポジションを明記したものである。そして今の自分の思考と活動を振り返ってみる。どうなんだろう? 何を考えて何をしているのか?もちろん、東京で作業して作品を組立てたり、韓国釜山でインスタレーションの個展などを行ってきた。引き続きアクティブに過ごしてはいるはずだが、新しい住居のことが頭から離れない。ここを9月には出て、新たな生活環境の中で過ごさなければならない。そのための準備と作業を考えると、気が遠くなりそうだ。


EL223
2012.03.20
東京

「東京インプログレス」佃テラス竣工式の日。肌寒いが晴れ間が出て、まだ真新しい木材に日が当たっている。テラスはきれいな形に組み上がっている。
なんとか期日に間に合った形だ。中央区長や東京都の財団関係者、主催者が集まる。ドイツのウルリッヒも京都から駆けつけてくれた。晴れ間の中、みんなでテープカットをする。まだ住民の中にはこの場所の作品設置に対して不満がある人たちもいる。いろんな思いの中、近くの子供たちだけは楽しそうにテラスのスロープを何度も駆け上がっていた。延々と昨年暮れから住民とのやり取りの中で何度もここでの作品制作設置の取りやめを考えた。あまりにも住民の意識に幅がありすぎたからだ。確かに何千世帯という数の人たちがこの高層マンションに住んでいる。そこでは管理組合が住民を仕切るところまでまとまっていない。そんなこともあり、どのようになるか最後までわからなかった。しかし、設置をすることに決まり作業が進むとそれ以降あまり住民から反対の意見は聞かれなくなった。それより直に接する人たちからの反応は、悪くなかったし、この作業をサポートしてくれる声もあった。そんな成り行きで今日の日を迎えたので、感慨深いものがある。


EL222
2012.03.17
釜山

ここのギャラリーのオープニングの日。昼過ぎからいろんな人たちが画廊に集まってくる。あまり知らない人たち。多分にここの画廊の関係者なのだろう。作家、コレクター、美術関係者などなど。韓国の人とのつながりは、非常に重要であり強い。どのくらい自分が信頼されているかはまだわからないが、ここにこの町の重要な人たちが集まっているのは確かだ。なぜなら国民的歌手の人が、韓国の昔の歌謡曲を披露してくれたからだ。自分の個展のオープニングに歌を歌って歓迎されたのは生まれて初めてだった。なかなかいいものだと思った。それと同時にこの人たちを裏切るようなことはできないと思った。この情緒的なつながりが、韓国独特のものなのだと思った。そしてレストランの部屋を借り切っての宴会が始まった。肉、魚、野菜、キムチ、何でもおいしかった。本当に接待は万全だった。彼らが日本やパリに来てもこれだけのことを自分はできないどろうと思うほどの接待だった。この接待ポトラッチの繰り返しにはどのように対応していけば良いのかまだわからない。今日はとにかく食べて飲むことだけが彼らに対する報いと思って、最後までつき合った。そしてかなり酔った。


EL221
2012.03.15
釜山

久しぶりの画廊内でのインスタレーション作業。やはりパブリックな場所より全然楽だ。木箱をビスや針金で止めていく。ほとんど感覚的に会場を見渡しながら組み立てていく。ホテルに戻り、ベッドに横になりながらゆっくり今日の作業を反芻する。そして明日何をどのようにしていくかを考える。


EL220
2012.03.12
釜山

今日からここの画廊での作業が始まる。2月に来ていろいろ作業の段取りをしていたせいもあり、組み立て部品がたくさん作られていた。これなら割合スムーズに組み立てられる。作業スタッフとの英語での会話は、なかなかうまく通じないところもあったが、作業はどんどん進んでいった。


EL219
2012.02.24
東京

久しぶりに東京に戻り、いろんな人に会い、話をする中で自分にいろいろな思考のストックが現在あまりないことを知る。トークやシンポジゥムに参加する機会は、相変わらず多いのに、話す内容についてあまり勉強していない気がする。そもそも、今のこの時期に勉強をしていこうという気持ちがわかない。
昨年の3、11以降、どこかで脱力感が自分の中にある。それはある意味、大きなショックであったことは確かなのかもしれない。またそれが今頃出てきているということ。前を向いて進んでいこうという気がまだ足りない。だるい倦怠感の中で毎日を過ごしているように思える。


EL218
2012.02.16
Paris 

銀行の融資のため、メディカルチェックを受ける。朝、何も食べないでメトロに乗り、指定されたクリニックへ出向く。いろいろ質問されチックされて1時間ほどで終わる。その後に結果報告書が送られてきたが、まず赤ペンで書かれたのがタバコの喫煙だった。数日前から止めていたが、医者からの質問には2年前に止めたと伝えた。まあ多分どうせ報告書に出てくる数字でわかるものだろうと思ったらしっかり反応が出ていた。現代の医学を軽く見ていたのかもしれない。そしてその報告書には、再検査の必要性があることを伝えてきた。やれやれもう一度やらなければならない。少々うんざりしながら、銀行指定のクリニックに予約を取った。まあそれまでは禁煙、、、、。


EL217
2012.02,10
Paris

夜の時間、一人でアトリエにいるこの時間を大切にしなければならない。ここですべてのことが、明日のことから、将来のことなどが決定される訳だから。自分のこれからそして様々なアレンジが、スケジュールが決められる。夜のみんな寝静まった時間に、ごとごとと何かをしている。ほとんど企画書か模型を作っているか、あとはネットでメールを読んだり、書いたりして時間を費やしている。日本の新聞を取っているので、毎日欠かさず新聞に目を通す。ネットでもいろんな情報は見るが、椅子に足を伸ばして新聞を広げ、タバコを燻らせながら読むのは、何とも言えない至福の時間でもある。パリでもすでに毎日の習慣になっている。


EL216
2012.01.29
Paris

パリのカメルメノウ・ギャラリーでのインスタレーションの解体日。期間中いろいろ不安があったインスタレーションの構造も結果的に問題なく、無事に最後の日を迎えられた。雪でも降られたら、中庭に設置された構造に加重がかかり、スクラップの板が落ちるのではという不安があったが、運良く雪も降らず一枚の板も落下することなく終わった。制作当初、ギャラリーの方からいろいろ言われ続けていたが、自分の制作経験から逆算した構造設計に自信があった。「どんなもんだい」という感じだ。ギャラリー専属の制作スタッフたちは、私を少しは見直したようだ。 、、、と言うよりも根本的に作家の作品をあまり良く知らないのだということなのかもしれない。若いからしょうがないと言えばそれまでだが、ギャラリーのスタッフならそこのアーティストのことを、もう少し勉強してほしいと思う。


EL215
2012.01.15
Paris

それにしてもパリで生活していく中で、今年は大きく変化する年になるだろう。もっとも思えば毎年何か大きな変化を体験しているのは事実だろう。毎年いろんなことが起きている。今年はパリ15区に引っ越しをし、カナルの学校を変えるという一大事業が待っている。秋からは、15区のアトリエ兼住居で制作しているのだろうか。それまでにいろんなプロジェクトをこなさなければならないはずだ。


EL214
2012.01.06
Camargue

カマルグの打ち合わせ。今年のカマルグ・プロジェクトは何としてでも制作に入らなければならない。学生を集めてのワークショップでプランは決まっても実際に作業に入るための現場の許可がなかなか下りない。このままではただの空論のプロジェクトになってしまう。すでに2度のワークショップでプランが決められたが、どちらもまだ正式な許可が下りていない。さて今後どのような展開になるのか、まだ誰も予想つかない、しかし前に進まなくては行けない。
こんな時期が一番うっとうしいときだ。出来るか出来ないかはっきりすれば今後の方向性も見えるのだが、まずは待つしかないか。


EL213
2012.01.01
Paris

いろいろ整理しなくてはと思いながらアトリエでうだうだしていたら、外で
騒音がしてきた。あわてて時計を見ると夜の12時をちょうど回ったところだった。2011年が終わり2012年になった。窓を開けるとうっすら小雨が降っていた。さて今年はどのような年になるのだろうか。


EL212
2011.12.31
Paris

今年も今日で最後だ。今年はいろんなことがあった。こんな簡単な言葉で締めくくれないほどのことが起こった年である。しかし自分は、引き続き仕事をして、家族を養い、パリで暮らすことになるだろう。来年も引き続き忙しく仕事をこなしていることだろう。


EL211
2011.12.26
Paris

「三笠ふれんず」のスケッチを描き始める。約100枚を手書きで書くことにして、今日と明日で50枚ほど仕上げようと思っている。気持ちが乗ってきたら、それほど難しいことではないが、描くまでにいろいろと時間がかる。気持ちを整えたりとかで、結構うだうだした時間を過ごす。これも描いている時間のうちなのかもしれないが、ワインを飲み煙草を吸いながら描き始める時を待つ。この一瞬の時間がものを作る人の何とも言えない時間なのだ。 、、、と言いながらすでにグラスに注がれたワインは3杯目になっている。


EL210
2011.12.22
成田

 

昨日の住民説明会では、今回制作を予定している現場の作品模型をもとに細かく説明した。そのこともあって、なんとかやっと住民からの了解を得ることが出来た。ちょうど成田の空港で飛行機を待っていたところに携帯電話が鳴り、その知らせを受け取った。今年最後にもらったクリスマスプレゼントのような感じだろうか。とにかく良かった。これで来年早々動けることになった。


EL209
2011.12.15
Luzern
スイス、ルツェルンの建築学校でのレクチャーとワークショップのため、昨日からパリを出てルツェルン市内のホテルに宿泊する。今回は家族旅行もかねている。パリのギャラリーでの個展の作業も終わり、家族サービスもかねての旅行だ。今年生まれて4ヶ月目のサワは、初めての海外旅行で飛行機に乗る。それも雪の降るスイス、ルツェルンの町だ。ホテルの部屋の窓からあの有名な木造の橋が見える。
EL208
2011.12.10
Paris

 

ギャリーのオープニングの日。パリのこのギャラリーでは2回目の個展だ。夕暮れから続々人が訪れてくる。制作を手伝った学生たちに、ちゃんとした格好で来るように指示した。少なくとも学生に見えないように。そんな苦言も聞いたのか、彼らは背広姿でカチッとした格好で現れた。女子も何やらパーティー気分の装いで、振る舞われるシャンペンをがぶがぶ飲んでいた。うちの子供もすでに学生とは顔見知りの中で、一緒にギャラリーの人ごみの中を走り回っていた。いろんな人が来て、そして去っていった。展覧会のオープニングの最後は、高揚感と疲労感が入り交じった気分でスタッフに挨拶し、ギャリーを出て近くのカフェで一人、パーティーの余韻にふける。

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2011.12.03
Paris

 

ギャラリーでのインスタレーション作業も慣れてきたところ。毎日学生が数名手伝いに来てくれる。美術学校がこのギャラリーのすぐ近くにあるので、気軽に僕のアトリエの学生が顔を出してくれる。最も教師が学校に来ないで自分の展覧会の作品制作に忙しいということを知ってのことで、昼食時にいろいろ学校の実務的なことを話して相談する。もちろん彼らの手伝いの報酬は、ギャラリーからちゃんと出る。彼らにとってもちょっとした小使い稼ぎではある。

EL206
2011.11.31
Paris

寒さが身にしみてきて、冬物の衣類を慌てて引っ張り出して着始める。11月も終わり12月は、パリのギャラリーでのインスタレーションがある。そろそろ来年度のスケジュールを決めなくてはならない時期にもきている。子供が増えても相変わらず仕事は減らない。


EL205
2011.11.28
成田

 

4泊3日のスケジュールで東京の打ち合わせを終え、パリへ向う飛行機の中にいる。東京インプログレスで進めている都内の作品制作場所について、地域住民から反対の声か出ていて、どうにも前に進まない。それでも進めるのかというところまできている。今回は先回提出したプランが一方的だという事で、それを白紙にして住民の意見を聞きながら新たなプランを作りますということで、打ち合わせに望んだのだが、内容以前に作品そのものの存在を相変わらず議論することに終始した。要するに話が前に進まず同じところに戻ってきてしまう。その上で今後引き続き交渉を続けて行くのかどうか、次回に持ち越しになった。プロジェクトの閉塞感と徒労感を思い返しながら機内の天井をボンヤリながめる。
EL204
2011.11.24
Paris
今、日本ヘ向う飛行機の中で記している。いつもは、エコノミークラスで搭乗するのだが、アップグレードしてビジネスクラスにしてもらった。座席をのばしてフラットにしベッドのようにして横になるのだが、いかんせん寝られない。たしかに快適ではあるが騒音や椅子の硬さはどうにもならない。食事やサービスはエコノミーより良いが、やはり同じ飛行機の中であればそれほど変わりがないのだろう。要するに私の場合、どの位寝て行けるのかという事につきる。
EL203
2011.11.15
Paris

 

ボザールの僕のアトリエにいる学生のディプロム試験週間が始まる。春と秋に行われる卒業試験だ。学生は卒業制作をギャラリーや自分の所属しているアトリエで展示し、外部の試験監督が審査する。もちろん担当教官も立ち会うが、最終決定は外部の人が決める事になっている。今回の外部審査官は4名で、2名の他の美術大学教官と、ソルボンヌの美術史専攻教師、そして現役美術館学芸員である。美術大学の教官と言ってもこちらと同じ作家なわけで、作品に対するコメントもシリアスだ。審査が終わりホッとしていたら、外部審査委員から昼ご飯に誘われ、一緒に食事をすることになった。話題は、審査している学生のことだと思ったら、こちらのことを根ほり葉ほり聞いてくる。審査委員と言っても自分より若いので、なんだかどこかの雑誌のインタビューを受けているようだった。

EL202
2011.11.13
Camargue

 

カマルグのワークショップが始まる。ただ今回は1週間と短い。オーガナイズしているところに予定通りに予算が振り込まれていないようで、なかなか思うように行かないらしい。このプロジェクトは2013年のマルセイユ文化都市指定年(Europe cultural capital city 2013 )に関連した多くの文化プログラムの中の一つで、どうやらかなり運営がゴタゴタしているようだ。多分いろいろなところの予算の取り合いなのだろうと思うが、そんなところに首を入れたくもないので彼らに任せているのだが、うまくいってないようだ。マルセイユは、メディトラニアン(地中海)メンタリテイと言って、のんびりしてルーズで決まることもすぐに決まらないらしい。そしていつも決定がコロコロ変わるのだそうだ。観光でこの地域を訪れる分には良いのかもしれないが、仕事をする方としては、たまったもんじゃない。何だかうんざりしながら彼らの話を聞いている自分に腹も立ってくる。「こんなオーガナイズの悪い連中となんか一緒に仕事をしないで、このプロジェクトを今すぐ辞めちまえばいい」と何度思ったことか。その度にうんざりしているのは自分だけじゃなく、オーガナイズしている方もかなり疲労していること。しかしそれでもこのプロジェクトを実現しようと頑張っていることを考えると、自分一人のことではないなと思う。「プロジェクトを止めるのは簡単」ただもう少しつき合うと、先が見えてくるかもしれない。ただその一点で、これからも進めていくことにする。

EL201
2011.10.16
宮古
岩手県宮古の仮設住宅でベンチとテーブルを20台ほど組み立てた。仮設住宅の共有広場に車で到着するなり、東京から来たスタッフ6名でいきなりブルーシートを敷いて購入してきた材木を切り始める。住民の人たちは、何が始まったのやらという顔で見つめている間に次から次にベンチが出来上がる。それを住民の人たちに聞いて、いろんなところに設置して歩く。作業していく中で、だんだんと人が参加し始めた。最初は近所の子供がドリルを持ってビスを打ち始めたら、近くにいた親父さんが「どれ貸してみろ」といいながらベンチに板を打ち付けていく。ベンチの次にテーブルを作る。大きなテーブルをドカドカと一気に組み立てた。そうこうしているうちに夕暮れになり、スタッフの晩飯のことが気がかりになった。「テーブルもベンチもあるからここで鍋でもしょう」ということで、共有広場で鍋パーティーが始まった。少しずつ人が集まってきた。仮設住宅の住人たちは、ベンチを作ってくれたお返しということで、いろんな惣菜を持ってきてくれた。わいわい言いながら夜暗くなるまで飲み食いした。鍋パーティーの間、みんな近所の人の悪口やら、仮設住宅の立て付けの悪さ、政府のだめさなど怒りながら話していた。災害のことも、津波のことも全く誰も話さなかった。宮古に来るまでに自分の中で決めたことが一つあった。それは現場で絶対に災害のことや被災した人たちのことを聞くまい、話すまいと言うことであった。なぜなら、すでにそのような言説にうんざりしているのだろうと思ったから。確かにまだいろいろなメディアの人たちから取材を受けているようで、住民のある人が言ったのが印象的だった。「彼らの記事にしたいように、こちらも話すんだ」。自分たちはとにかくベンチとテーブルを組み立てて帰ってこようと思っていた。しかし鍋は、予想外に良かった。仮設の住民から、「こんな鍋パーティーを外で夜遅くまでしたのは、仮設に移り住んで初めてのことだ」と言われた。次の日の帰りの車で海岸線を見て回った。昨日一緒に鍋をつついて話していた人たちの村は、すべての住居の土台だけ残して全く何も残ってなかった。胸が苦しくなった。


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