「よーろっぱ日記」から「ヨーロッパだより」へ
インターローカルノートと題して日々の制作の変遷を載せていたが、横浜トリエンナーレ2005のディレクターズダイアリーとしてかたちを変え、会期終了まで引き続き身辺記事を載せていた。しかしその後、忙しさのあまり継続していなかった。
今回フィルムアート社のウェッブ上で連載されていた「よーろっぱ日記」を引き続き私のウェッブで紹介することにし、その引き続きを「ヨーロッパだより」というタイトルで、ここに載せることにした。

 updated 2009.05.19

2008.11.(001)〜(100)
2010.09,(101)〜(200)
2011.10(201)〜 (300)
2013.04,(301)〜(400)


2007.04.09-2008.03.10 フィルムアート社川俣正「よーろっぱ日記」
2003.01.29-2005.12.31 川俣正「インターローカルノート」


EL200
2011. 10.14
両国

パリから東京に着き、両国での打ち合わせに参加する。明日から岩手の被災地に2泊3日の予定で行くことになる。あちらでのワークショップとがれきの調査がメインの目的だ。

EL199
2011.09.17
Paris

ワークショップの週末休暇。ベルギーから昨夜遅くパリの自宅に戻る。今日はカナルが毎週水曜日に通っている日本人学校での運動会の日だ。奥さんが赤ん坊の面倒を家で見なければならないため、代わりに私が運動会につき合うということになった。運動会に参加するということは、はたして何年ぶりのことだろうか。もしかして高校生の時以来かもしれない。ましてや自分の子供の運動会など、思いもよらなかった。若い親に混じってバスでパリ郊外にある日本人学校に行く。弁当と敷物を用意してグランドの芝生の脇に腰を下ろす。どうも居心地が悪いが、しかし結局すべての親は、自分の子供しか見ていないということがわかり、カナルを応援すれば良いということで、いろんな種目に参加する自分の息子を外から応援することにした。しかし実際に他の子供と競って、走ってきて1番になったら、やはり興奮するものであるということがわかった。


EL198
2011. 09.12
Borgloon

 

ベルギーの小さな町で行われるワークショップの初日。建築系、美術系の学生あわせて25名が参加する。昨日から現地に入り、宿舎となる学校でこれから学生とともに寝食をともにする生活が始まる。今朝からワークショップ会場となるテントをみんなで組み立てる。2週間の短いスケジュール内で、プランから模型、そして実際の構造物を現地で組み立てるところまでやる。はたして出来るのだろうか。すでに大量の材木は購入されていて、テントの横に積まれてある。さてさてどうなることか。

EL197
2011.09.05
Paris

 

カナルは夏休みも終わり今日から幼稚園の中級に進む。今までは半日だった学校生活が、丸一日になる。特に学校で出る給食と昼寝の時間がどうなるかだ。 食事は、かなり偏食がある方だが、ここは学校から提供されたものに慣れてもらわないといけない。こうやって少しずつ大人になっていくのだろう。
EL196
2011. 09.02
Paris

 

第2子出産ということでメールを出したら、多くの人から祝福のメールが届いた。単純にうれしい。友人、知人、仕事関係、いろんな人から来た。こんなにパソコンをあけて心待ちに読むメールも珍しい。もちろんその間にいろんなところから仕事関係のメールも入っている。おめでとうというメールに挟まれて仕事のメールが入っている。面白いのは、仕事関係のメールでいろいろ早急に決めなければならないことを伝えて来たが、おめでとうという文字でその早急さが、何処か和らいだ感じのメールになっている。ビジネスだが、めでたいことは率直に祝福してくれる。人間的とでもいうのだろうか。そんな人たちと仕事をしている今の自分に満足感を感じる。

EL195
2011.08.30
Paris

 

家族がもう一人増えた。先週までおなかの中にいたのに、今は家の小さなベッドで寝ている。まだ生まれて1週間も経っていない。毎日表情が変わる。不思議な感じだ。ただ最初の子供のときよりもおとなしく、あまり泣かない。こちらの余裕もあるのかもしれない。最初の子供のときは、全く何も知らないで異国の地で出産に立ち会った。言葉もよくわからず、病院ではいつもパニックになっていた。今回はそういうことはない。以前にいろんなことを経験したから、気分的に落ち着いている。そのことが子供の状態にも出ているのだろうか。あるいは女の子ということもあるのだろうか。とにかく今は、いろいろやらなければならないことがあるものの、わりあいのんびり対応している。

EL194
2011.08.20
Paris

久しぶりに風邪をひいてしまった。熱と鼻水が止まらない。夏風邪は長引くが、そんなこともしていられない状態である。家族になんとしてでも、うつさないようにしなければならない。一人だけ別の部屋で寝ることにする。2m四方のこの小さな部屋は手作りで、ゲストルームかカナルの将来の部屋になるはずだ。実際寝てみるとまんざらでもない。狭い分だけ壁で守られているような感じがして、静かで気持ち良い。


EL193
2011.08.18
Paris

現在は夏のバカンスシーズンであるが、うちにとっては大変な週がこれか訪れる。そんな前触れのような今日この頃。来週の25日には第2子となる「サワ」が生まれる。それも予定帝王切開になるとのこと。この時期いろいろな準備も必要だが、気持ちの準備がなんともまだ出遅れているような気がする。まだ現実的な感じがしないのだろうか。子供が生まれて、また生活のスケジュールも変わるだろう。


EL192
2011.08.05
Paris

 

「北海道インプログレス・三笠プロジェクト」が現実的に動き出しそうだ。 北海道、三笠市の旧小学校跡を市から借り入れ、そこでアートプロジェクトを行うことが可能になってきた。学校を長期のアートプロジェクトのサイトにするためには、いろいろな設備が今後必要になってくる。そこに地元の友人たちが協力してくれそうだということで、一気に盛り上がりを見せている。これは本腰を入れて取り組まなければならないだろう。このプロジェクトに期待を寄せてくれる友人たちを裏切ることが出来ないからだ。これから毎夏、三笠で忙しくなりそうだ。

EL191
2011.08.04
Paris

妻の最後のエコグラフィーの日。一緒に数回通ったことのあるクリニックへ朝早く行く。白黒の画面に映し出された白い物体がちゃんと子供の形をしている。ここが心臓、手、ここが両足などと先生から説明されるが、半信半疑だ。しかしちゃんと横顔がくっきり見えたときは感動した。


EL190
2011.08.01
Lyon

ステージセットの制作は、作業スタッフに僕のボザールの学生に入ってもらったおかげで、スムーズに組みたてられた。天気がよいので、仕事を終えて泊まっているホテルのプールでひと泳ぎする。バカンス中ということもあり、シアターの関係者は専属の大工2名しかいない。あとは僕の学生が数名。夜はみんなで近くの安いレストランで、食べて飲んで、、、。こんな気楽な仕事も、たまには良いものだ。


EL189
2011.07.28
Lyon

明日からリヨンのシアターでステージセットの作業が始まる。数日間リヨンの現場で作業をしなければならないため、ついでに子供を連れてバカンス気分で2泊3日、リヨンのホテルに泊まることにした。子供はホテルが大好きで、うきうき部屋のベッドで飛び跳ねている。とりあえずホテルのレストランで遅い夕食を済ませ、部屋で寝る。


EL188
2011.07.24
Paris

夏だというのにパリの気温は23度。そよ風が吹いて気持ち良い。今日はツール・ド・フランスの最終日にあたる。道路が交通規制で車が動かない。日曜日の昼過ぎ、息子がそばでDVDを見ながら歌っている。その傍らのソファーで横になり窓をあけて青空を見ながら昼寝をする。そして今日が自分の58歳の誕生日でもある。パリのこんなアパートのソファーの上で58歳を迎えるとは、自分では全く想像もできなかった。

 

EL187
2011.07.22
Lyon

東京から戻り、家でゆっくりしていたのも束の間、今日も朝早くパリからリヨンの現場した見に行く。今回は、グランリョンのいくつかのサイトを視察するためである。現場ではランドスケープアーキテクトと一緒に打ち合わせをする。
彼らとのコラボレーションがここでは必要だ。

 

EL186
2011.07.19
Paris

パリの家に戻り、久しぶりに子供と共にいる。さすがに3週間の日本滞在は、長かった。そして今日、メールで連絡があり、先回のワークショップで決定したカマルグの模型から図面化したプランがマルセイユの建築家から送られてきた。かなり現実的なプランで、ちゃんと仕事をしているなという感じのものだった。それを見て、カマルグのプロジェクトも現実的になってきた。今年の11月に実際のストラクチャーを組み立てる予定だ。面白くなってきた。

 

EL185
2011.07.08
東京

「東京を語る、考える」のトークで、建築家の山本理顕さんと話をする。
東日本の被災地に仮設住宅の新たな提案をしている。それを山本さんから紹介してもらう始めの言葉が「現在、仮設住宅に移られた被災者の中で、すでに自殺者が多く出ています。なんとかしなければいけませんね。」ということだった。唐突だったが現場の生な現実を知らされた感じがした。

 

EL184
2011.07.04
東京

代官山で先日亡くなられた中原佑介氏の研究会に参加する。中原さんは、自分にとっても思い出深い人だ。まだ芸大の学生だった頃から、作品をよく見てくれた。思えば、いろんなところで一緒させていただいた。長い付き合いのあった最良の、そして尊敬していた美術批評家であった。まだ中原さんを自分の中で整理できない状態なので、あまり思い出話だけになるのを極力避けた対談だったため、少しトーンが低かったかもしれない。先日までお会いしていた人が急にいなくなった。そんなに簡単に語れない。

 

EL183
2011.07.03
Paris

今日は、親父の3回忌の日。鹿嶋の実家で内輪の親戚だけで行う。この時期、親戚一同は余震も原発もままならない茨城まで来たくないだろうということで、内輪だけで行うことにした。鹿嶋にある川俣家の墓は、以前僕たちが子供の頃に生活していた北海道の三笠市から、知人に頼んで取り寄せた丸い自然石が使われていて、以前僕がデザインしたもので、今回の地震では影響なかった。この下に眠る親父もおふくろも、さぞかし安心したことだろう。ひとまず式を終えられて一安心した。

 

EL182
2011.07.02
東京

今日は、谷川俊太郎さんとのトークの日。谷川さんとは2005年の横浜トリエンナーレ以来だ。あの時は広い展覧会場の中で詩の朗読をしてもらった。久しぶりにお会いしたが、相変わらずひょうひょうとした雰囲気は変わらない。
トークは、さすがにうまい。「汐入タワー」のこと。そして今回自分が手がける「東京スカイツリー」の絵本が我々の汐入タワーの絵本ワークショップから触発されたことなどを話した。途中、子供たちとの朗読もしてくれた。
そして会場一杯に観客が詰めかけてくれて、「汐入タワー」のオフィシャルなイベントとしては成功した。何より荒川区長が谷川さんとお会いしたことを喜んでいたようだ。客席の一番前で話を聞いていた。その後、谷川さんには打ち上げまでもつき合ってもらい、そのサービス精神に関係者は大満足だった。

 

EL181
2011.06.29
成田

だるい体で飛行機を出ると、むっとした湿気と日の光で目眩がする。日本に着いたことが体で感じる。空港の外に出て12時間ぶりのタバコを一服。白い煙を吐きながら、この空気も放射能で汚染されているのだなと思う。タバコの煙と放射能。やれやれだ。一服して東京に向かう電車に乗る。

 

EL180
2011.06.27
Paris

先日、日本から戻ってきた友人に東京の状況を聞いた。数日後には日本に向かっている予定だからだ。「みんな何処かあきらめムードだよ。すべてのことに対して、、。」という答えが返ってきた。東京においても放射能の大気汚染は、確実に増えているのだろう。8月下旬に子供が生まれる身には、やはり日本の子供たちのことが一番気にかかる。東海沖地震が10年間のうちに起きる確率が80%強だということも不安材料だ。いったい日本はどうなるのだろう。とにかく今回の帰国で、現在の日本の状況を自分の身で感じてこようと思っている。

 

EL179
2011.06.25
Lyon

今日、日帰りでリヨンに行く。リヨンの町にあるシアターからの依頼で現場を見にいく。早急な依頼で、9月に仕上げなければならない。しかしリヨンからはいろいろな仕事がくる。決して全てのオーダーが繋がった仕事ではなく、それぞれにリヨンの町でのことだ。それほどこの町が今現在活気があるということなのだろう。

 

EL178
2011.06.21
Brussels

ベルギーでこれから行われるコールマインプロジェクトのプレゼンのために朝早くパリを出る。現地で9時に打ち合わせということで朝一番のメトロで目をこすりながら北駅まで向かう。家を出るまでプロポーサルの最終チェックを行っていたため、眠い。いつも思うのだが、夜ふかしがそのまま自分の今のタイムスケジュールになっているため、毎日受験生のような生活をしているみたいだ。高校や大学受験の時のような勉強の時間配分をその後何年も続けていたら、さぞかし賢くなっているのかもしれないが、さてどうだろう。
毎日一夜づけのやっつけ仕事をやっているようなものなのだろうか。
今晩、ベルギーから戻ってきて明日の打ち合わせのために模型を作らなければいけない。その後、頼まれているマケットを数点作り、たまに子供と遊び、そのまま次の日から日本帰国、、、、。そんなスケジュールだ。
このベルギーでのプロジェクトも数年越しのものになりそうだ。あと何度、朝早く起きてブリュッセルに向かうことになるのだろうか。

 

EL177
2011.06.12
Paris

朝早く韓国のギャラリストとパレドトーキョーの前で待ち合わせ。釜山でのプロジェクトの打ち合わせと先回購入してくれたマケットの残金の支払いがあった。7月に一度現地を訪れて、細かい打ち合わせをする。東京から出発すると伝えて、飛行機の手配をお願いする。多分一泊二日の予定だろう。

 

EL176
2011.06.10
Paris

カマルグでのことを思い出しながら、そこでのプランニングや生活を振り返る。
今回10日間、学生10数名と滞在して将来のプロジェクトの道筋や計画を作ったが、いちばんの変化はまたタバコを始めたことだ。6ヶ月禁煙をしていて何の不備も感じなかったのだが、学生が吸っているのを見て、自分も少し吸い始めたのが良くなかった。確かに以前よりは吸う数は少ないが、食後のタバコの味が恋しくなり、吸い始めた。まあそのうちまた禁煙するだろうが、どうも影響されやすい。弱い自分の意志が出てきた。

 

EL175
2011.06.07
Paris

今日からボザールで、私の担当する学生の試験が続く。3年生と5年生のディプロムの審査が始まる。毎日学生の作品をチエックしなければならない。それなりにみんな緊張して進級試験を受ける。実際の審査はそれほど大変なものではないが、この試験に失敗すると進級出来なくなる。緊張しながら僕を含めて数名のプロフェッサーの質問に答える。一通り話すと学生をアトリエから出し、審査委員だけのディスカッションが始まる。学生がアトリエから出て行くと本音の話になる。だいたいが問題なく進級するが、外にいる学生は気がかりでしょうがないみたいで、僕らのディスカッションが終わるまでしびれをきらして外で待っている。



EL174
2011.06.06
Paris

カマルグのワークショップを終え、久しぶりに夜、アトリエでのんびりする。
もちろんそんなにのんびりしていられるはずもなく、明日はリヨンの打ち合わせのため、簡単なスタディ模型を作らねばならぬ。いろんなことをしなければならないのでとりあえず緊急に仕上げなければならないことをメモる。
いろいろあるが、しばし、だらだらしたこの時間を満喫したい。ワインを飲み、
音楽を聴き、そして仕事に取りかかる。

 

EL173
2011.06.01
Paris

カマルグでのワークショップが終わり、自宅に戻りゆっくりして振り返ってみる。10日間の比較的短い期間のワークショップだったが、中身が濃い内容となった。参加学生は南フランスの美術と建築の学生10数名だった。
一昨年、スタデイ期間として1年間いろいろ現地でリサーチし、プロジェクトの内容を決め、今年から始めることとなったこのプロジェクトは、2014年までに6つの現場に構築物を組み立てるものだ。各現場はアルル、アビニョンなどいろいろな歴史的意味合いのある場所で、その地に合った作品を学生と共に考えディスカッションしながら作品プランを組み立てて行く。今年の暮れにすでに一つの現場に作品が組み立てられることとなった。さてこれからどうなるだろうか。

 

EL172
2011.05.28
Camargue

ワークショップもだいぶ毎日のスケジュールに慣れてきたところだ。学生もみんなまじめに取り組んでいる。夕食が終わるとホテルの部屋に戻り、パソコンを開いてほかのことをしている。少し彼らの夜の飲み会にでも参加してあげようか。

 

EL171
2011.05.23
Camargue

今日からカマルグ(南フランスの地中海へ流れるローヌ川沿いの広大なデルタ地帯を総称して呼ぶ)でのワークショップが始まる。この一帯は自然保護区域で、人は湿地帯の道路側からでしか見ることが出来ない。観光客はそれなりに来るところでもあるので、それなりのサービスを地域では考えなければならない。「自然保護と観光」、「人がカマルグに入れないとここの認知度が落ちる。しかし人が来ると自然破壊が起こる」と言うジレンマの中でこの地域をどうしたら良いかを学生とともに考えるワークショップだ。

 

EL170
2011.05.20
Paris

今回の日本館で自分が企画した展覧会のカタログにテキストを書く。
この「クリシェを超えて」という意味は、ステレオタイプなイメージが現実を超えてしまうことで今までのイメージが、いかに固定観念的に形づくられてきたかが見えてくる。そのことをクリシェと呼ぶのだろう。そうであるなら昨今の日本での津波の予想を超えた被害は、誰も想像しえなかったわけで、ある意味で防災の固定観念を遥かに超えたスケールに、日本人のイメージを超えた自然の脅威があったのだろう。これも一つのクリシェだったのかもしれないと思う。イマジネーションの固定化。観念的な防災イメージを、現実が遥かに超えてしまった一瞬を私たちは見た。イマジネーションの貧困さが、安全神話を生み、そのことによって起きた現実の脅威に、町も人も国全体もうろたえた。それが今回の災害なのかもしれない。

 

EL169
2011.05.16
Cergy

セルジーでの作業も佳境に入ってきた。外部壁面もすべて設置し、細かなところだけが残った。今回は地元の16歳から20歳まで8名ほどの社会人が参加した。学校に行かず、仕事もしない状態の人を市がサポートする形で仕事を斡旋する。あまり仕事に対しての責任はないものの作業を面白がり、毎日ちゃんと来る。昼は現場でバーベキュー。いい意味でのピクニック気分なのだろう。

 

EL168
2011.05.14
Paris

韓国のギャラリストがアトリエに来る。今回はより具体的なプロジェクトの話になった。7月、9月に韓国釜山を訪れ、来年3月頃に行うプロジェクトの話を付ける。
とりあえず、ツリーハットのマケット3点をその場で購入してくれる。まずは、釜山でのプロジェクトに対して僕がアクセプトしたからなのかもしれない。

 

EL167
2011.05.09
Cergy

今日からセルジーポントワーズでの作業が始まる。2008年のコンペで選ばれ、2011年の今回が実際に構築することになる。やはりこのような公共的なコンペは時間がかかる。単純に関係者のポジションの移行や市長選などがあったため、延期せざるをえなかった。

 

EL166
2011.04.22
Paris

ゆっくり自分の身辺のことを考える時間が欲しいと思う。
何だろう。最近あまり静かに自分を振り返る時間がなかった反動だろうか。
いろんなことが、そして今自分が行っていることが何処か空々しく見えてくる。
昨今の日本の出来事が頭から離れない。何処かトラウマのようになっているところがあるのかもしれない。7月に一時帰国をして、もっと情報を仕入れて、少し自分の気持ちを整理したいと思う。

 

EL165
2011.04.19
Paris

アトリエにいて仕事をしていても、重い気持ちでなかなか仕事が手につかない。今日もひたすら日本のことを思う。朝からワインを飲み、子供と居間でゴロゴロしてそのままソファーで寝息をたてている。その時電話があり、先日友人の作家が日本の震災関連で企画したパリの画廊でのチャリティーオークションで、私が出品した作品が売れたとのこと。このような企画に対しては、迷いなく参加している。ただ自分のスタンスとしてはっきりしているのは、すぐに誰でもがやっている直接的なケア(例えば震災の現地でのボランティア活動など)を自分はしないということ。もちろん遠くはなれているということもあるが、善意というものに社会的風潮がなびくばっかりに、それをしないことに後ろめたさを感じてしまうような現在の状況に自分をおくことはないということ。「現地の状況はもっと緊急の援助を求めている」というのもわかるし、手助けが何よりの連帯感に繋がるのもわかる。ただ「どうして直接的な支援をしないのか?」すでに強迫観念的に、それも自己検閲の中での善意を問われてしまう昨今の風評が怖いのである。9.11のニューヨークでのアクションに対してのアーティストの社会的行動。このときも結局自分は何もしなかった。ファナティックな社会強制的善意の中で自分の取る態度を、明確にしなくてはならない。今、日本の中で「震災復興に、手を貸さない。自分は関わらない」と言える人がどのくらいいるだろうか?異論はあると思うが、ストレートに参加できない苦しさを自分の中に感じながら、異国の地にいる。このポジションのことを今は、もう少し時間をかけて考えたいと思う。



EL164
2011.04.13
Paris

新たなプロジェクトのミーティングを行う。パリ郊外に大きな敷地をもっているアーティストが、ここにほかのアーティストを招いて、アートセンターのようなものを建設したいと言う依頼だ。すかさず自分は作品をそこに作るより学校、研究所のようなものを作り、研究者、学生を招いてワークショップのようなものを通年できるような場所にしたいという趣旨を告げた。頭にあるのは、今回の日本での津波に関して起こった様々な防災、自然災害に対して今後どのようなことが考えられるかを、みんなでディスカッションして、最終的に一つの提案が出来るようなものを考える。そんなことを早口で語った。自分でもまだそれほど整理できてはいなかったアイデアだけど、話しているうちにまとまってきた。何かやるとすれば、将来に向けて何が自分たちで出来るかを考えることだろう。



EL163
2011.04.11
Paris

日本館の現場下見。学生の作業を視察する。ここでの展覧会のタイトルは、「クリシェを超えて」。日本とフランス内にある文化的な相違に対するステレオタイプな思い込みをどのように超えて、現在の日本やフランスについて考え、それをテーマにした作品を制作するというものだ。ボザールの僕の学生が14人ほど参加している。展覧会企画者として、彼らの提出してきた作品プランの内容がどのくらいこのコンセプトと合致しているか、あまりこだわらない方が良いかもしれない。さてどうなるか。



EL161
2011.04.06
Chaumont sur Loire

手すりが来る。業者が長いウォークウェイの先端から取り付け始める。午前中にパリから駆けつけ、この設置を見て、安心した。とりあえず問題ないということでそのままパリに引き返した。あとはオープニングまでしっかりと組み立ててもらうだけだ。


EL160
2011.04.05
Chaumont sur Loire

プレスオープンの日。パリからこちらへ向かう電車内に、幾人もジャーナリストが乗り込んでいた。同じ駅で降りて、準備していたバスに乗り、彼らとともにお城に到着する。それからいろいろなインタビューを受ける。


EL159
2011.04.02
Chaumont sur Loire

昨日でウォークウェイとテラスがほぼ出来上がり、あとはウォークウェイの鉄の手すりの取り付けが済めば、2つのインスタレーションは完成する。今日からは、もう一つのプロジェクトであるツリーハットを開始する。ちょうど大工さんも土曜日で休日ということもあり、僕らだけでのんびり始める。


EL158
2011.03.31
Chaumont sur Loire

今日から毎日、ここでの作業に参加する。2名のアートコンストラクターは、すでに現場の大工さんたちと馴染んでいるようだ。宿泊は、公園内の施設。結構良い部屋を与えてくれた。朝、昼、夜の食事付きでこんなところに泊まれるのは、面白い経験だと思う。もちろん日中は外で現場作業だが、地元大工が作業をいろいろ教えてくれるし、初めての海外制作では良い出発ではないかと個人的に思った。


EL157
2011.03.29
Paris

ジルの企画でフランステレビ「France24」の収録に行く。東京で展開しているプロジェクト「東京インプログレス」の上棟式の時のヴィデオを流し、私の最近の仕事を紹介する。そしてその後、今回の日本での震災についての質問。多分あるだろうと思っていたが、やはりあった。いろいろ喋りたいことはあったが、簡単なイントロで終わった。このような即興の会話にも慣れることだ。しかし今回の災害のことは、今の時点では簡単にまとめて話せない。


EL156
2011.03.28
Chaumont sur Loire

今日からショーモン城での作業が始まる。日本から来た2名のアートコンストラクターの出番だ。彼らとともに朝早くパリを出る。2時間かけて現地に到着。すでに地元の大工さんたち数名が、木造のテラスの構造を組み立てていた。あとはその上に板を張るだけ。案外楽な作業なので一安心する。


EL155
2011.03.26
Paris

東京からのアートコンストラクター2名がパリに到着。早々北駅の安宿に宿泊してもらう。これからいくつかのプロジェクトの制作補助を行ってもらう。なにしろ、ヨーロッパが初めてというより、パスポートを持ったのが初めてという連中。これからどうなることか。 


EL154
2011.03.24
Paris

久しぶりにボザールの自分のアトリエの学生に会う。いろんな話をするが、やはり日本のことを聞かれる。実際に3.11に現場にいた本人から話を聞く訳だから、彼らにとってはリアルである。しかしその後、学生だけでは済まなく、学校で通りすがりに出会うほかの多くの教授たちに日本のことを聞かれて、ついつい立ち話をしてしまった。


EL153
2011.03.22
成田

日本を出る。こんな言い方がこの状況で、後ろめたい感じを自分の中で起きるのは当たり前ではあるが、家族の待つところへ帰るということか。朝の早いうちに成田へ向かい、空港で朝食を取り、次の帰国のスケジュールをノートで確認しながら、日本での最後の電話をいろいろな人たちに掛けてたら、もう飛行機に乗り込む時間だ。機内でも相変わらずニュースは、地震と津波と原発だ。日本はどうなるのだろう。 


EL152
2011.03.20
汐入

小春日和で日差しがすでに暑く感じられる汐入公園。今日、予定していたオープニングセレモニーは中止。その代わりに近所、関係者を集めての内覧会のようなものを行う。それでも何か華やかな感じはある。余震やその他のセキュリティーのため、子供は結局タワー内には入れずじまいだったが、それぞれに感想を述べていった。とりあえず一つの構造物が完成した。昨年から行っていたインプログレスのハイライトが、ここで凝縮した形でタワーに収まった感じだ。今まで作ったことのない一つモニュメントが東京に完成した日だった。


EL151
2011.03.14
汐入

毎日が津波と原発の話でもちきりだ。みんな冷静に振る舞ってはいるが、心は何処かに行っている様子。現場は引き続き残りの作業を再開し、期日までは汐入タワーを完成することにした。ボランティアの方達も含めて、みんな黙々と働く。 


EL150
2011.03.12
汐入

現場に来るが、仕事が手につかない。このだるさは何だろう。昨晩見たテレビのニュース映像は、震災の規模が自分のイメージよりもはるかに大きなものであることがわかった。


EL149
2011.03.11
汐入

作業中、強い地震に見舞われた。この日を境に、日本は大きく変わることがあとでわかった。現場で作業中に大きく揺れたが建物は問題がなかった。制作場所が公園内であったことも難をまぬがれた一因であった。その後のテレビや新聞の報道で、これほどの規模の自然災害が起きたという事が信じられなかった。
それから毎日が新聞とテレビの報道番組に釘付けだった。特に海外から安否を気遣うメールが頻繁に届く。東京は他の災害地に比べて問題はなかったものの、いろいろな情報が錯綜して少々混乱気味だった。早めに現場を閉めて、ホテルに帰ったがその後も強い余震が続いていた。

EL148
2011.03.10
汐入

内部のスロープがやはり今回の意欲作だ。気持ち良いくらいになだらかに組み立ててある。大工さんの手堅い技術に裏打ちされたこのスロープは、何度か計画時にあきらめるところまできたが、その都度このスロープを押し進めてきた。そのかいあって、良く出来たものとなった。


EL147
2011.03.08
汐入

作業服を着て、昨日南千住駅近くのワークマンで購入した作業靴をはいて現場に入る。すでにタワーの構造は出来上がっているので、どんどん外壁を貼付ける。久しぶりに体が仕事モードになっているのがわかる。


EL146
2011.03.07
汐入

今日から現場に外壁材が入った。いろいろと打ち合わせをして、明日から本格的に作業が始まる。今日はとりあえず、現場下見と材料、道具の調整というところか。久しぶりに作業スタッフと夕食を一緒にとる。


EL145
2011.03.05
Paris

今日からまた日本に向かう。汐入のタワーは、どんどん作業が進んでいるらしい。今回は最終仕上げを行う為に行く。ほとんど毎月のように飛行機に乗り、日本とフランスを往復している状態はいつまで続くのだろうか。とにかく今回でタワーは完成するのだから、まずはここまでしっかりとやろう。


EL144
2011.02.28
Paris

今日からボザールの入学試験審査が始まる。まずは提出作品と資料を何人かの教授と見る。350点ほどの作品を5日間かけて100点ほどに絞る。毎年恒例だが1年に一度だけこの機会に会う教授もいるが、すでに何度か経験しているので、和気あいあいと作業をこなしていく。


EL143
2011.02.22
成田

朝から空港に向かう。昨日からこちらのホテルに滞在して出発の準備をしていたため、今日はゆっくりホテルを出てくることが出来た。荷物を預けて、いつも行くお寿司屋さんで朝食を取り、その後機内に乗り込む。


EL142
2011.02.20
恵比寿

恵比寿にある美術書専門の書店ナディフでトークを行う。今回出版された私の写真エディションの記念トークで、企画者のグラフィックデザイナー秋山君と、目黒区美の正木さんなどを呼んで私の学生時代のときのこととかを2時間にわたって語った。 


EL141
2011.02.19
汐入

上棟式の日。多くの人たちが集まってくれる。足場から餅やキャンディーをばらまくと、人がうねるように動く。子供もたくさんきてくれて自分の息子がどこにいるのかもわからなかったが、現場は太鼓や餅つきなどのイベントも行い、大いに盛り上がった。


EL140
2011.02.14
汐入

現場の大工さんと作業の進行方法を巡り話し合う。オーガナイズ、段取りに人によっていろいろなスタイルがあるということ。もう少しその人とのコミュニケーションを満つに取らなければいけないのかもしれない。それなりの思惑の中でそれが勝手に肥大していろいろなことを考えがちになる。


EL139
2011.02.12
浅草

結局家族で日本帰国になる。カナルの幼稚園が休暇に入るということで、この機会にみんなで一度東京に戻り、リフレッシュしようかということになり、浅草にホテルを取り、そこに10日間ほど滞在することにした。妻は、多分今年の夏は出産も待っているので、当分帰国が不可能ということもあり、今回のこの時期の帰国を決めた。


EL138
2011.02.10
Poitier

ポアチエでコミッションのプレゼンに行く。けっこうシビアな質問で自分の考えていたのと少し違うイメージがあった。しかしそれはすでに手遅れで、このプランで通すしかなく、なかば強引にプランを説明し、会場を後にする。ここでのプレゼンの失敗は、今回招待してくれた人に対する期待を裏切るものとなった。帰途の電車の中でずっと悶々とした気分でパリに戻る。


EL137
2011.02.08
Paris

リヨンのパブリックプロジェクトの記者発表会が、パリのグランパレで行われた。大勢の記者が詰めかけ、プレゼンにも熱が入った。しかし参加作家は、それほど過去にパブリックな場での作品を作っている作家だけではないようで、目新しい作家が多かった。これから数年越しのプロジェクトになるだろう。完成は2013年頃だろうか。


EL136
2011.02.02 
Chaumont sur Loire

ショーモン・シュル・ロワール城。ロワール川沿いのお城をメインにした公園での作品依頼が来て、現場ミーティングに行く。パリから1時間ほどのところにあるお城をメインにした公園だ。夏は多いに観光客が訪れるところみたいだ。なぜなら案内のパンフレットが5カ国語で訳されて置いてあるからだ。冬場は閉めているらしく今は閑散としていたが、きれいに手入れされた芝生がどこまでも続く。


EL135
2011.02.01
Paris

ポアチエのプロポーサルをひき続き制作。夜までになんとか仕上げる。全部で51ページになるプロポーサルが出来上がる。さっそくメールで送るが重すぎて届かない。仕方なく郵便局に行き、CDにして送る。なんとか時間まで届けば良いが。少し気が楽になり、溜まった新聞に目を通す。


EL134
2011. 01.29
Paris

パリに戻り、昨日は一日中コミッションのプロポーサル作りで追われて、それを持って打ち合わせに行く。とりあえずアイデアはOK ということで、ホッとして帰宅する。しかし、まだポアチエのプロポーサルがある。これも今月末までに仕上げて送らなければならない。今月末というのは、明後日までということか。アトリエでのんびりする間もなく、取りかかるしかない。相変らず不在時に溜まった新聞の山を見ながら目を通す暇もない。


EL133
2011.01.20
浅草

いきなり今まで滞在していた部屋を出て行かなければならなくなり、荷物を移動する。東京に着くとかならず滞在していた友人のマンションが今後彼の子供が東京就職のため使う事になった。そんなことで今後は、ビジネスホテル泊になりそうだ。まあ仕方がない。、、、と言うより、今まで充分使わせていただいたことで大変助かった事は確かだ。毎晩ここに泊まっていたというより、健康ランドでの宿泊が多かったが、荷物の保管などに大変助かった。今、もし東京で住むということになったらやはり浅草かもしれない。それほど愛着が感じられるようになったのもこのマンションに滞在することが多かったからだろう。

EL132
2011.01.15
横浜

今日は、先端の卒業展でのイベントでトークを行う。横浜のバンクアートでの開催で、メディア専攻教官の桂君と話す。しかし、他の教官が相変らず、いつものように話の間に割り込んでくる。あるパターン化されたトークのライブ感が、いつものような話の乱れになり、ワイワイ話が途切れる。こうなると観客が入り込んで、ますますどうでも良いような話になり、レベルが一気に落ちる。
もうこうなったら修正がきかなくなり、行くとことまで行くしかなく、後は勢いで時間を使うことになる。しかし聞いている観客はこの混乱は楽しいのかもしれない。そんなドタバタで終わったトークイベントの後は、ひたすら飲むしかない。すべてを忘れるように夜が開けるまで近くのバーで飲む。


EL131
2011.01.13
成田

奧さんの体調不良を横目で見ながら荷物をまとめ、アパートを出て空港へ向かう。今回は2週間ほどの東京と北海道での滞在になる。これからどのように日本での仕事をして行くのか、それを考えながら今回は滞在することとなるだろう。
しかし、パリから持ってきた仕事もあるし、あんまりのんびりしてもいられない。今回は、東京ではいくつかのトークも予定されている。最近、ものを考えなくなった。調べることも本を読む事もしなくなってそのままトークの本番を迎えてしまう。現場主義と言えるかもしれないが、少し雑になってきているのかも知ってない。時間の使い方なのかも。フランスにいるとやらなければならない事がたくさんありすぎて、ついそれに日々流されてしまう。ましてや、打ち合わせや 現場下見などの仕事が、多くなりすぎている。まあ、いつになってもこの様にいろいろな理由をつけて今の状況の言い訳をしているのだろう。


EL130
2011.01.11
Paris

アトリエに韓国のギャラリストが来る。今年釜山で展覧会を行うための打ち合わせにきた。今年の9月を考えているようだが、妻のこともあり、さてどうなることやら。まだ今年のスケジュールは、フィクスできない状態だ。


EL129
2011.01.09
Paris

家でのんびり子供と遊ぶ。いろいろやることもあるが、とりあえず小休止。今週末、日本に帰国する。そのための準備とそれまでに仕上げなければならないことの板挟みのときに、どちらもやめてソファーで子供と一緒にゴロゴロするのはとても気持ちがよい。しかし夕食後はしっかりアトリエで作業の続きをする。まあ気分転換にはなった。


EL128
2011.01.08
Paris

今日でカナルの3歳4ヶ月になる。日増しに言葉が増え、正確に自分の行っていることを伝えることが出来る。正月のロンドンで驚くほどのドローイングを書いた。それを今アトリエの中に張ってあるが、この時期の成長目覚ましい感じがよくわかる。3歳というのは2歳とか1歳とかなり違う年齢だということがよくわかった。反抗も、すごい。言葉と態度で反抗してくる。食事の量もかなり増えた。それなりに成長しているという証なのかもしれない。


EL127
2011.01. 06
Paris

今日、妻、恵美子の身体的に変化のきざしがあることを知る。すでに年末から少しずつ反応があったが、ロンドンの旅行にかまけてあまり真剣に考えていなかった。検査薬が陽性反応を示した。、、、、ということは、妊娠したということだ。もう少し冷静になってこれからのことを考えなくてはならないだろう。差し迫って、フランスでの掛かり付けの医師ドゥエイブ先生のところでの検診を14日にすることにして、それまでは明確に人に伝えることは出来ないだろう。
さてさて、今年はどのような年になるのだろうか?


EL126
2011.01. 01
Paris

今年も明けてはや2011年になった。今年はまだいろいろなことが起こりそうだ。あまり明確な作業スケジュールが立てられないことはプロジェクトが決まってないことと、かなり長期的なスケジュールのプロジェクトが多いからかも知れない。2年後、3年後というスケジュールなため、今の時点で決めかねる。とりあえず,新しい方向である事は,確かである。いわゆるコミッションの仕事が増えてきたという事だろう。


EL125
2010.12. 23
Belgium

今、ブリュッセル行きの電車に乗ってこれを書いている。来年に行うプロジェクトの現場下見である。すでにパリの北駅を出て、外は一面の雪景色になっている。 今年はヨーロッパ全体がドカ雪らしい。昨年よりかなり多い。今年はまだ仕事が一段落していない。家に帰ればポンピドーの大きなマケットが待っている。すでにギャラリーからは作品購入のお金は、もらっている。あとはひたすら作るのみだ。


EL124
2010.12. 20
Paris

パリの画廊からクリスマスプレゼントとしてiPadをもらった。
毎年暮れに、この画廊の専属作家たちにプレゼントが届く。
初めてiPadを使い、文章を書いてみる。なかなかこのキーボードが使いがってが解らないでいる。やはり慣れるまで時間がかかりそうだ。これを貰ったということから始まったわけで、あえて使わなくても良いものだが、まずは試してみようというところか。


EL123
2010.12.02
Paris

パリに戻ってきて、12月は少しゆっくりする月にしようと思う。アトリエでゆっくりフランス語と日本語の本でも読んで過ごそうと思う。もちろん新たなプランやマケット作品も作らなければならないが、アトリエにいる時間を増やせば自ずと出来上がるような気がする。また夜のだらだらした一人の時間が持てるということがうれしい。


EL122
2010.11.27
水戸

「日本質的心理学会」の講演で、水戸の茨城大学までいく。タイトルが「インターローカルな知の創出」ということで、インターローカリゼーションを提案しているものとして興味があり、学会からの招聘を受けることにした。主に現場でのやり取りの中に数式や論理では超えられない何かがあるということ。経験がその場で連鎖反応をおこしその結果、今まで想定していなかったことが起こりうる。その「現場力」というものを見極めようということらしい。
持ち時間2時間をオーバーするようなレクチャーをしたため、質問が途切れてしまう事態になってしまった。久しぶりの学会で少しオーバーゼスチャーだったかな。やはり学術研究の場においても、一元的なものの考え方を改める気配が出てきているということだろうか。


EL121
2010.11.24
Paris

朝から寒い。最近はめっきり冬めいてきた。明日からまた東京出張があり、そこで、いくつかのレクチャーと来年度のプロジェクトの打ち合わせがある。ただそれが終わると今年の大まかな仕事は終わる。12月は家でのんびりしていようと思っている。しかし毎日のようにいろんなところからメールが届き、その中から新たな仕事が始まる。常にいろんなことを同時にやっていかなければならない境遇なのだろうか。あるいは、みんなこのようにいろんなことを同時にやりくりしながら、生活と自分の仕事を切り盛りしているのだろうか。
同時並行的にいろんなことに手をつけながら、気がついたら前のものは終わっていた、済んでいたということがよくある。自分がしたことではあるが、いろんな人と同時に仕事をしているため、自分の知らないところでどんどん物事は進行している。一つのことに集中できる時間というのは、やはり現場に入っているときだけなのだろう。それでもやはり現場を終えてホテルに戻って違う仕事のことをプランしたり打ち合わせしたりしている。多分集中するということは一つ一つの仕事の枠組みではなく、自分の気分の問題なのかもしれない。一つに切れない時間の流れの中でサーフィンしているようなものなのだろうか。


EL120
2010.11.07
Paris

久しぶりにのんびり自宅にいる。移動が激しかったのでゆっくり自宅にいる時間がとても新鮮に感じる。こういうときはもちろん朝から飲んでいる。ソフアーに横になりながら、とりとめもなく今までのこととこれからのことを思う。気がつくと自分の体に毛布がかけられていた。大きないびきをかきながら数時間ここで寝ていたらしい。こんな昼寝も久しぶりだ。もう一杯ワインを飲み、そのままもう少し寝ることにする。


EL119
2010.11.05
Lyon

プロジェクトの打ち合わせと現場下調べのために、リョンに向かう。このリヨンの町で2つの別々のオーダーのプロジェクトが進行している。どちらもリヨンの町中を流れている川に面している。今回は、その川を船で上流までクルージングする。以前隅田川で行ったのを思い出した。流れていく町の景観を見て、しばし東京の町と比較しながら、ここで行うことのプランを考える。


EL118
2010.11.03
Paris

パリのボザールで、自分のアトリエに来ることになった学生の顔見せを行う。1年生を主に取ったので、なんだかアトリエの中は、新鮮な感じになった。彼らはまだアトリエになじみがないようで、自分の居場所を探しているようだ。しかしそのうちアトリエは、彼らのもってきた雑多なものでいっぱいになるだろう。


EL117
2010.10.31
東京

子供たち100人を集めて、ワークショップを開催する。これも今回の東京で行うプロジェクトの関連事業の一つだ。東京都や荒川区の職員、区議会議員のみ守る中、子供たちが大きな学校の体育館で、各自思い思いの塔の模型を作った。やはり子供たちの想像力は、すごい。そして本当にいろんな性格の子供がいるということをあらためて知らされた。


EL116
2010.10.30
東京

自分が企画した「アートコンストラクター講習会」を荒川区の汐入公園近くの公民館で行う。これは、新たな試みとして今後続けていこうと思う。十数名の人たちが参加してくれた。新たな試みには、いつも少しばかり緊張する。 


EL115
2010.10.29
浅草

現在日本で進行中のプロジェクト「東京インプログレス」のワークショップ開催のために帰国。成田の到着後、いつもの行動パターンだが、空港の寿司屋で軽く食事をし、そこにある散髪屋で髪を切りさっぱりする。そして成田エクスプレスで東京へ向かう。その夜、浅草で来年行う札幌でのレクチャーとワークショップの打ち合わせをする。この打ち合わせのために関係者が、わざわざ東京に出向いてくれた。久しぶりの居酒屋で、細かく打ち合わせをする。


EL114
2010.10.26
Lyon

リヨンの建築物にアート作品を設置する依頼のため、朝早くからリヨンに向かう。開発地区に巨大なショッピングセンターを建設している。そこに作品を設置してくれないかというオーダーだった。どんな作品で、どこに設置するか。帰路の電車の中でいろいろ考えながら眠りについた。目が覚めると夕暮れのパリだった。


EL113
2010.10.23
Paris

昨日、夜に学生とともにパリに到着する。レンタカーでチューリッヒを出て、約7時間かけて到着。今日はそのレンタカーを戻す前に学生に頼んでIKEA に行き、いろんなものをたくさん買い込んできた。プラスチックの収納ケースが主な買い物だったが、以前から買い求めたかったものをまとめて買った。今回のプロジェクトで借りたレンタカーを十分活用した。


EL112
2010.10.22
Zurich

昨日でほとんど僕らの作業は終わり、今日はみんなの解散の日。一人二人帰路に着く。2週間だが、一時の共同生活者との別れは、少しセンチメンタルになる。また会うことを約束して、みんなと別れる。


EL111
2010.10.16
Zurich

今日は週末なので仕事が休みだが、現場で関係者を呼んで中間作業のお披露目としてバーベキューパーティーをする。みんな食べ物は持参してくる。肉やソーセージを持ってきて勝手に焼いて食べる。こちらは火をおこす役目だ。この橋についての多くの人の反応は、比較的良い。少なくとも良い感触は持った。


EL110
2010.10.14
Zurich

作業も順調にいっている。生活も作業のスケジュールになっている。毎日昼は、現場近くに設置したテーブルとベンチで昼食をとる。みんなで外で食べるのは気持ちがよい。


EL109
2010.10.11
Zurich

今日から新たなプロジェクトの作業が開始される。そのためのプレゼンを現地チューリッヒで行う。ここの美術学校の学生とフランスから昨日レンタカーで来た自分のアトリエの学生数名、そしてベルリン、ロンドンから駆けつけてくれた日本のスタッフが見守る中、プロジェクトの紹介を行う。その後、現場で作業を開始する。夕方、今回の宿泊先のペンションに着き、軽い夕食をとり、自己紹介しながら、これからここで2週間過ごすことを伝える。窓から湖が見え、その後はみんな気持ち良さそうにくつろいでいた。


EL108
2010.10.06
Paris

久しぶりにボザールに行く。
今週から、新たな学期が始まり、新入生が自分の担当教授を探すため、面接を始める。毎回30名ほどの新入生を面接し、そこから5名ほど自分のアトリエに招く。このセレクションも大変だ。


EL107
2010.10.01
横浜

すでにこの段階で、自分のスケジュールがわからなくなってきている。
昨日、パリから日本行きの飛行機に乗り込み、今回の横浜でのシンポジウム参加のため、来日している。日本での葬式から1週間しないうちにまた帰国している。飛行機を新幹線並みに使っている自分の体力に驚く。来年度開催される「横浜トリエンナーレ」のキックオフ・シンポジウム。せっかくパリから飛行機に乗ってこの異常な過密スケジュールの中、ここに参加したのだから、言いたいことを言って帰ろうということで、派手にしゃべりまくった。 


EL106
2010.09.28
Avignon

アビニョンで来年度から始まるプロジェクトの最終プレゼンを現地美術館で行う。これがあるために早々と日本から戻ってきた。20名ほどの関係者が見る中、淡々とスライドショーを進める。その後いくつかのプロジェクトに質問が集中し、それに答えながらコーヒーを何杯も飲む。まだ体が本調子ではないようだ。


EL105
2010.09.26
Paris

葬式をすませてパリに戻る。日本には3日間の滞在だった。


EL104
2010.09.24
成田

急遽、飛行機をアレンジしてパリの自宅をでて、成田に向かう。
そのまま、親戚の家に行き、お通夜を済ませる。久しぶりにいろんな人に会う。


EL103
2010.09.22
Paris

朝早く、親戚の叔父が死亡したとの連絡を受ける。急遽、日本帰国の準備を行う。いろんなこと、全く予期しなかったことが立て続けにおきる。そういうもんだろうと今まで50数年生きてきたが、実際におこることにはやはり、その都度、たじろいでしまう。ソファーに横になり、漠然といろんなことを思い浮かべる。


EL102
2010.09.20
Paris

朝、カナルが発熱し、引きつけを起こす。初めてのことで、慌てて病院へ駆け込む。引きつけは5分程度で終わったものの、心配でそのまま1日、様子見になる。こうなっては、何も手につかず、一日が終わる。本人は、5分の引きつけの後、10分ほど静かに寝入って、起きたら何もなかったかのように元気になっている。病院でも走り回り、追いかけるのに大変。親の気も知らないで、、。


EL101
2010.09.17
Helental

ベルギー、ヘレンタールという町にある病院に設置するアート作品のコミッション。そのプレゼンを現地で行う。これはベルギーの画廊がアレンジしてくれたもの。病院にはいろいろな決まりがあるらしく、今回のプランの実現は、難しそうだ。まあどうでもいいという気持ちで、帰ってくる。その日は、そのままブルッセルのホテルに泊まる。



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