「よーろっぱ日記」から「ヨーロッパだより」へ
インターローカルノートと題して日々の制作の変遷を載せていたが、横浜トリエンナーレ2005のディレクターズダイアリーとしてかたちを変え、会期終了まで引き続き身辺記事を載せていた。しかしその後、忙しさのあまり継続していなかった。
今回フィルムアート社のウェッブ上で連載されていた「よーろっぱ日記」を引き続き私のウェッブで紹介することにし、その引き続きを「ヨーロッパだより」というタイトルで、ここに載せることにした。

 updated 2012.05.27

2008.11.(001)〜(100)
2010.09.(101)〜(200)
2011.10.(201)〜(300)
2013.04.(301)〜(400)

2007.04.09-2008.03.10 フィルムアート社川俣正「よーろっぱ日記」
2003.01.29-2005.12.31 川俣正「インターローカルノート」

EL 500
2016.10.25
Paris

インプラントの手術が無事終わる。長かった。約6ヶ月間、口の中に借り物の歯を入れて食事するのはしんどかった。特に人前でのレクチャーなどに神経を使った。これでやっと普段通りの生活が出来る。実は今回が初めてではなく、2本目のインプラントだった。パリの歯科医は、信頼できる医者で、毎回お世話になっている。

EL 499
2016.10.18
仙台

急遽、来年から始まる仙台でのプロジェクトの現場を下見する。このためにパリから日本に数日間戻ることになる。せっかくだから、このスケジュールに合わせて、日本でのいろいろな打ち合わせを盛り込んだ。

EL 498
2016.10.17
東京

代官山ヒルサイドテラスを訪問。久しぶりにアートフロントの事務所を訪れる。代官山のこの場所で「工事中」というプロジェクトを1984年に行ってから30年以上が経った。来年それを記念してもう一度「工事中」をやろうではないかという提案の打ち合わせでここに来た。どうなるか。その後、友人たちと中目黒の居酒屋で飲む。

EL 497
2016.09.04
東京

奈良から東京に戻る。羽田からの出発だからだ。定宿である浅草のホテルにチェックインし、近くにある健康ランドに行く。ここもよく行く。夕方から深夜にかけて、のんびり湯船に浸かる。これはパリでは出来ないことだ。深夜、体がふやふやになってホテルに戻ってくる。体休めには、これが一番だ。

EL 496
2016.09.03
奈良

パリに戻って1週間後、奈良のオープニングのため、再度飛行機に乗り、奈良の現場に戻る。奈良は相変わらず暑い。午前中にセレモニーがあり、その後は韓国から来た画廊主とかと他のプロジェクトの打ち合わせをする。そしてパリの自宅から頼まれたいろいろな物を買い、スーツケースに入れこむ。

EL 495
2016.08.26
Paris

家族とともにパリに戻ってくる。なんだか長い夏を日本で過ごしてきた気分だ。 自宅のドアを開け、セキュリティーのボタンを解放に押し、部屋に入ってやっと自宅に帰ってきたという気分になった。しばし家族でいろいろなものを点検して、自分たちの不在時に家で何か起こったかどうかをチエックする。郵便物をすべて開き、みんなで簡単な夕食を食べ、風呂に入り、そのままベッドで爆睡する。

EL 494
2016.08.24
奈良

奈良の作品完成。2週間ほどで、材料をすべて使い果たし、作品が完成した。
とにかく暑い毎日だった。こんな真夏に作業をしたのは、久しぶりだ。25メートルの足場丸太で組み立てられた塔を、上ったり降りたりしながらの作業だ。以前ボザールの学生だった連中もこの作業に参加し、嵯峨美の学生と毎日交流しながら制作していた。インターナショナルなワークショップではあるが、自分は英語で話した方が楽なことがわかった。英語で説明するほうが簡単ということが、日本に来て制作してわかった。

EL 493
2016.08.18
奈良

奈良での作業が始まる。ここでウイークリーマンションを借り、家族もここに呼んで、長期滞在の形がそろう。奈良は、家族にとっても初めてのところで、数日、いろいろなところを見学しまくっていた。自分は、自転車を借り、それでマンションから現場まで走り、朝早くから夕方まで黙々と作業を続ける。

EL 492
2016.08.05
京都

京都嵯峨美術大学でレクチャー。これから奈良でプロジェクトが始まるため、そのボランティア参加のための説明会。彼らに何をやってもらうか、彼らが何をしたいのかを話しながら探って行く。

EL 491
2016.07.27
仙台

せんだいメディアテークの招聘で、レクチャーを行う。思えば仙台でこのような公のレクチャーは、初めてだった。会場に多くの人が集まった。スライドを見せながら自作の説明をする。その後、五十嵐太郎君と対談。いろいろな話をする。 震災時になぜ被災した跡地にでもセルフビルドの家が出来なかったのかを話し合う。面白い切り口だ。

EL 490
2016.07.22
京都

京都市立芸術大学でアーカイブのレクチャーをする。昨年から何度か依頼を受けて、実際の期日を決めないでいたが、夏に帰国するのでその時期であれば可能だということを伝えたら、この日程になった。ずいぶん久しぶりの京都市立芸大だった。

EL 489
2016.07.13
熊本

雨がひどく降る。この倉庫の屋根に叩き付けるように降っている。この倉庫で過ごして3日目になる。トイレの壁を作ったり、シャワールームをレンタルで借りたりして、3日目になる。それでもスムーズに作業は進んでいる。熊本地震で義理の母の実家が崩壊し、昨年アトリエ兼倉庫として建てた、ここが無傷で残った。そこに仮住まいをしているが、シャワーもキッチンも無かったので、私がいる間に即席に組み立てた。夏は内部が暑いということで、2つの工業用の扇風機を取り付けた。しかし暑さよりこの大雨で雨漏りを気にしていたが、何処として水漏れは無い。熊本地震にもこの大雨にも耐えている倉庫に感謝だ。昨年の中国プロジェクト用で建てたのだが、こんなに活用されるとは、全く持って考えてなかった。倉庫様様である。

EL 488
2016.07.12
熊本

倉庫内は暑い。子供達とお母さんは、福岡に行き、少しゆっくりするようにアレンジして、自分が倉庫の内装をまかされた。まずは断熱材。紫外線をカットするシートなどを窓に張るがまだまだ暑い。イケアでソファーを買い、とりあえず当分ここで生活していけるよう室内を改装した。

EL 487
2016.07.11
熊本

建築家の矢作君と熊本の実家の立て替えについて打ち合わせをする。矢作君とは田川のコールマインプロジェクトでずいぶんお世話になった建築家だ。田川の公園に組み立てた建物が法的手続きを経ていなかったため、その始末書と申請書を役所に提出してもらう役目を数年にかけてやってもらった。付き合いの良い方だということで、久しぶりに彼と仕事をすることを思いついた。ただ今回ばかりは、手続きを事前に済ませ、ちゃんとした建物を建ててもらうことにした。自分の子供の代まで使えるような建物を考えた。すでに以前の家屋は解体され、この倉庫の前は、何も無い更地になっている。

EL 486
2016.07.10
熊本

昨年、建てた倉庫の中に、シャワールームとトイレの壁を取り付ける。熊本地震で被災した義理のお母さんが、倉庫に避難している。トタンの簡単な倉庫だが地震でも倒れなかった。これから夏にかけて熱くなるので、内部に扇風機とか熱遮断のシートとかを設置する。しかし、まだ熱い。

EL 485
2016.07.07
熊本

パリを後にして、羽田に着きそのまま熊本に向かう。今回の地震の被害にあって、仮住まいをしているということで、義理のお母さんの状況が気がかりということもあり、今年の夏休みは、まずは熊本に行き、現場の状況を見ることにした。一昨年、倉庫を建てたことでお母さんをそこに避難させることが出来た。 ただ軽量鉄骨の簡単な倉庫だが、今回の地震には耐えたようだ。

EL 484
2016.06.18
Brussel

ブリュッセルで制作していた際に、ここのコレクターの知り合いの別のコレクターから依頼があり、そこにもツリーハットを制作する。大きな木が半分切られているその上に小屋を組み立てる。雨の中、ドロドロの場所で制作する。

EL 483
2016.06.13
Brussel

ブリュッセルの個人庭にツリーハットを作るため、パリを出発する。現場をすでに確認しており、ここで数日滞在し、制作に励む。現場は、庭だが、多くの木々が繁殖している林のようなところ。そこにわからないくらいに、幾つかのアート作品が設置されている。自分と2人のアシスタントとで朝から夕方までひたすら制作する。小雨が降ってきても、とにかく組み立てる。

EL 482
2016.06.09
Paris

2018年にポルトガル、リスボンの新しくできる美術館での個展の打ち合わせを、パリのギャラリーで行う。まだ何も決められない。まずは現場を見てからだと言う感じ。

EL 481
2016.05.31
Paris

3年生のディプロムが始まった。今回の学生は、実は2つの大学を掛け持ちしていて、あまりこちらの学校には出てこない。しかし、本人は真面目で自主的に展覧会にも参加していた。今回、結果として、彼女はディプロムを取得できなかった。3年生でディプロムをとれなかったのは、僕がボザールで教えて以来はじめてだった。審査ではかなり粘って理解してもらえるように説得したが、やはり結果を変えるほどにはならなかった。審査委員もプライドがあるのだろう。しかし、学生にとっては、3年間が形にならなくなる。どうしたもんだろう。少し時間が経ってから話すことにした。

EL 480
2016.05.23
Atlanta

アトランタに行くために空港までタクシーを呼ぶ。空港で僕のアシスタントのギョームに会い、一緒にチエックインする。彼とは、トロント、アブダビなどで作業を一緒に行ったことがあり、今回も作業を手伝ってもらう事にした。8時間の飛行機旅をしてアトランタに着き、そのまま現場にタクシーで直行する。コレクターのコレクションが展示されている大きな倉庫の中に今回は作品を設置する。コレクションを管理しているスタッフや技術者たちに会い、自分の作品制作に必要な材料と、作業内容を確認して打ち合わせを終え、ホテルに入る。シャワーを浴び、煙草をふかしながら窓から見える工事現場の作業を見る。いろいろな人がいろいろなことで作業をしている。自分の個人的な作業だが、この中の作業員と変わらない日々を明日から自分も送るのだろうと思った。

EL 479
2016.05.18
Paris

最近、フランス全土で、学生が広場に集まり、討論集会のようなものを夜中までやっているのをテレビのニュースで見る。ボザールの僕の学生も毎週末、リパブリック広場に集まり、テント小屋のようなものを作っては、警察に壊されるという事を続けている。先週は警官の対応が、以前よりずっと過激になり、学生の一人は頭を殴られ、数針縫う怪我をした。彼以外にも他のアトリエの女性も足を怪我した。この警官の対応に対して、学校側は、文書で抗議したが、フランスの文部省からはまだ何も言ってこないようだ。言論の自由とパブリックな場所に対する解釈が、ここにきて問われているのかもしれない。

EL 478
2016.05.18
Nantes

ナントに向かう電車の中。ここ何度かナントに行く。市から依頼されたパーマネント作品の打ち合わせのためだ。今日は最終的なプレゼンで、これが通れば正式にゴーサインが出る。現場調査をしてスケッチ、プランを書き、模型を制作し、エンジニアとの何度かの打ち合わせを行って、今日に至る。さてどうなるか。あいにく今日は朝の8時からフランス全土でグレイブ(ストライキ)で、7時半の電車なので行きは良いが帰りがどうなるかだ。ちょうど今、電車が動き出した。今日が吉と出るか凶と出るかだ。

EL 477
2016.05.15
Knokke

ベルギーの海沿いの町Knokke という町にある新築病院のアートコンペがあり、プレゼンテーションに行く。まだ建築中のこの巨大な病院は、まるでホテルのような作りで、面白い形をしている。パワーポイントを使い、手短に説明する。以前制作したBeverunの病院の以前の病院長が、この病院の新病院長になったので、その経緯もあり今回私を誘ってくれた。ただパブリックな指名コンペなので、何人かの有名アーティストも参加しているので、油断はならない。

EL 476
2016.05.13
Paris

倉庫で制作する2日目。ある住宅の寝室に作品を依頼され、そのインスタレーションのサンプル制作である。慎重に防火済みの木材を組み立てて行く。その上に最終的なコーティングをして完成だ。制作中にギャラリーからトラックが来て他の作品を積み込む。5月、6月は、いろいろなアートフェアがあり、そこに作品を出品するために、ギャラリーから頻繁に依頼が来る。それをアシスタントのギヨォームが手早くアレンジしてくれるので助かる。ここの倉庫も、車が倉庫の入り口まで入って来れるので、作品のトランスポートも楽だ。セキュリティーもしっかりしているし、まだスペースもあるので、当分はここに作品をストックしておこうと思う。ただこの倉庫があるエリアが、昨年テロで話題になったセーヌサンドニで、爆弾事件があったサッカーのスタジアムまで5分くらいの距離にあるということぐらいか。

EL 475
2016.05.11
Vienna

またウイ―ンに来ている。ここのオープニングを昨日終わらせ、今晩はMAK友の会が主催する晩餐会だ。80名のための長いテーブルが美術館内のロビーに並べられ、会食をする。多くが現代美術のコレクターだったり、作家、美術関係者だった。そこに20年前にウイーンの近郊の町、ウイナノイシュタットで行ったプロジェクトを企画した2人の作家が参加してくれた。久しぶりに彼らに会い、昔話を楽しく話した。もうすでに20年も経つとは驚きだ。

EL 474
2016. 05.05
Metz

アメリカ、アトランタの個人コレクターが、メッツの作品を見に来る。以前から連絡を受けて、今月末に現地に行き、作品を組み立てることになっている。今回メッツの作品を見に来るのは、僕が実際どのような仕事をしているのかの確認だと思う。久しぶりに彼らと再会し、メッツの作品を紹介する。美術館の館長まで出迎えてくれて、今回の作品を説明してくれた。その後パリに一緒の電車で戻る車中で細かい打ち合わせをする。ますますアトランタの仕事がリアルに思えてきた。久しぶりのアメリカだからかも知れない。

EL 473
2016. 04. 29
Vienna

ウイーンのこの美術博物館(MAK)で2年前にアジアコレクションの展示のアレンジを行った。要するに今までのコレクション展示の方法を、なんとか変えてほしい。何年も同じ方法で展示してきたので、少し変えたいという美術館側からの申し出であった。ここは、現代アーティストにコレクションの展示を任せルト言うユニークな企画があり、ドナルドジャッド、バーバラブルームなどが行っている。アジアコレクションは、地下のコンクリートのテーブルの上に乱雑に様々なものが並べられてあった。それを1階の以前ギュンターフォルグが他のコレクションのために行っていた展示を、変えてここにアジアコレクションを作りたいということだった。とりあえず部屋にあるすべてのコレクションを片付けてもらい、空っぽのところから始める。

EL 472
2016.04.24
Vienna

ウイーンに来ている。ここのMAKで2度目のインスタレーションをすることが目的だ。ちょうど子供たちの春のバカンスにもあたり、家族でウイーンに来る。それもまた2度目のことだ。2年前、最初に来た時も美術館のレジデンスに泊まって、いろんなところを見学に行っていた。今回は先回行けなかった所(美術館やら動物園、子供パークなど)を回るらしい。僕は毎日美術館で作業をすることになっている。朝食まで一緒にいて、その後は、各自のスケジュールで動く。そして夕方帰宅してみんなで夕食を食べに街に出る。

EL 471
2016.04.08
Paris

久しぶりにボザールの僕のアトリエに顔を出す。何人かの学生が制作していた。今年は1年生に制作意欲の旺盛な学生が多い。いろいろ制作中の作品に対してコメントしていく。技術は未熟だが、発想は面白い。あまりに来ていなかったので、学生の一人が、「もう少し僕らのことも考えてくれないかな?」と言ってきた。それを聞いて、彼らをこれからいろいろなワークショップに連れ出すべきだと思った。色々な経験をさせることも勉強だろうと思うし、何より現場を体験すること以上の勉強はないだろう。良い先生と自分の学生に言われなくてもよいから、ここのクラスにいて面白かったと言われるようになりたいと彼のコメントから思った。

EL 470
2016.03.26
Enghien les Bains

今日から子供達の3連休。オンガン・レ・バンという町に行く。家からタクシーで行ける保養地ということでここを選んだ。以前この街で作品制作をしたこともあり、思い出してここのホテルを予約した。ただ室内プール付きということで子供達にも良いかなと思ったら、大人だけの本格的なスパで、子供は入ることができないとのことだった。仕方ないのでこの街にあるパブリックプールを探し出しそこに行くことにする。大きな真新しいプールで、多くの子供達が来ていた。とりあえず子供のために、毎日ここに通うことにする。そして子供達がプール疲れで寝静まった夜に一人でこのホテルの室内プールに行き、思いっきりのんびりする。

EL 469
2016.03.06
Beverun

ベルギーのベーヴェルンという町にある病院のコミッションワークを制作する。2年前に建築コンペで勝ち取ったが、それから実施作業までずいぶん時間が掛かった。それほど複雑な構造ではなく、新築病院のカフェにハンギングスクラプチャーのようなものを提案した。このようなパブリックコミッションでは、複雑でメインテナンスが大変な作品は、嫌われる。このようなこともコンペの数を重ねてはじめてわかってきたことだ。アシスタントとこの病院の近くのホテルに泊まり、毎日作業する日々が始まった。

EL 468
2016.02.25
Paris

京都精華大の学生さん達が、ボザールを見学しにくる。昨年、精華大学の宿泊施設を借りて、ぼくの学生10名ほどが滞在した経緯もあり、今回は教授同士の個人的なつながりで精華の学生がパリに研修に来たついでにボザールを見学したいという事だった。幾つかのアトリエを紹介し、その後カフェに行き、いろいろ大学の事を話す。

EL 467
2016.02.02
広州

今日、広州の仕事が終了した。関係者が集まり、作品を一つずつ見て行く。日本からスーパーポテトの杉本さんも来る。静かに一点一点を話しながら見て、最後に全員で記念撮影。簡単な感想を聞いてまずは、オーケーをもらう。ヤレヤレだ。そのすぐあとに広州からフランス、パリに向けて戻る。飛行機の中でもう2度と広州には来ないだろうと自分の中で思った。

EL 466
2016.01.25
Paris

Facebookに登録してみた。高校の同級生がグループで入っていて、そこでだけ情報の共有を行っているため、いろんな写真が見ることが出来ないことが多くなってきて、先日の同級生の死去ニュースもここから発信されたこともあり、もう一度登録してみることにした。以前に登録したとき、その直後にメールアドレスのパスワードが盗まれ、ひどい目にあってそれ以来Facebookを閉めていた。友達が欲しい訳ではないし、いろんな情報を見たい訳でもない。「暇つぶしに良いよ」と言われるだけ暇ではない。と思っていたが、いろんな人の近況が見ることが出来るのは、確かに楽しい。まあいつまで続くかだ。

El 465
2016.01.18
Metz

週日は毎日、メッツの仕事現場に向かうが、週末は家にいていろいろなメールを整理する。一週間溜まったメールに返信をし、頼まれているものをどんどん片付ける。生活のための買い物も、週末まとめて近くのスーパーで片付ける。そうでないと1週間が回らなくなる。ちょっとした休息の時間だ。ただいろいろなことに手を付ける時間がない。ポンピドーメッツの作業が終わるまでいくつかの仕事は、お預けだ。でもそう言うにふうに考えるとどうしても時間が無いときに限って始めたくなるもので、メッツから帰ってきてそそくさと食事を済ませ、アトリエにこもる。

EL 464
2016. 01.11
Metz

ポンピドーメッツの作業も始まり、毎日電車でパリから通うが続いている。TGVで1時間半ということもあり、東京に住んでいたときの通勤時間に比べれば、なんてことないと思い、子供達を朝、学校に送り出して、そのままタクシーで駅まで向かう。車中では音楽を聴いたり、新聞を読んだりしていると、そのうちにメッツの駅に着く。ポンピドーは駅のすぐ目の前にあり、すぐに会場に入り、着替えをして作業に入る。毎日メッツの美術学校の学生が30人くらい来ている。そこで途中昼食を入れて夕方まで作業を続ける。そしてまた電車でパリまで戻って来る。帰りはほとんど居眠りをして夜のパリに着く。そんな毎日がこれから2週間は続く。

EL 463
2015.12.28
Paris

今日、高校の同級生からこれも唐突にメールが入り、同級の彼が昨日、がんで亡くなったという連絡をもらった。彼とは何度か東京で開かれた同窓会の席で、話したのを覚えている。別段すごく親しかった訳ではないが、自分が帰国するということで開いてもらった東京での同窓会で、同席することが多かった。「アーティストは自由で良いよな。」と彼が2次会の同じテーブルで向きあった時に酔った勢いで、吐き捨てるように僕に言ったのを覚えている。多分これ以外に彼と話して彼の言葉として覚えているのは、無いかもしれない。僕らの同級生仲間は、みんな仲が良い。もちろんこの歳になって、いつも同窓会の席に参加できるのは、限られたメンバーであることは確かだ。東京のメンバーと岩見沢とで毎年何度か同窓会は開催される。同級生ということだけで繋がる。たかだか高校の3年間を同じ学校、教室で過ごしたということだけで、こんなにも強い絆が生まれるというのは、あの高校生だった当時は考えられなかっただろう。しかしこうも人が続けて亡くなっていくのを聞くのは、つらい。

EL 462
2015.12.25
Palma de Mallorca

毎日、何も考えない。ただプールと部屋の往復で一日が終わる。久しぶりにパルマの街に出るが、簡単に昼食を食べ、ホテルに戻ってきて引き続きプールに行く。プールから戻り、ビールを飲みながら部屋のバルコニーで夜景を見ていると、いろいろ思い出してくる。パリのこと。友人のこと。とにかくいろんなことがあった1年だった。

EL 461
2015.12.24
Palma de Mallorca

マヨルカのホテルでは、2人の子供を連れて、ひたすらプール通いをする。室内の温水プールなので子供たちにとっては、水遊びにちょうど良い。一日2度も3度も行く。部屋で水着に着替えて、そのままバスローブで室内プールまでエレベーターで降りて行く。途中で乗り込んできた客は、僕らの格好を見てあっけにとられていた。

EL 460
2015.12.22
Palma de Malloruca

子供たちのクリスマス休暇が始まった。テロの影響でどうも腰が重い家族に、スペインのマヨルカ島での休暇を提案した。とにかくこの重苦しいパリを出たかった。ギヨームに車を運転してもらいオルリー空港に行き、2時間飛行機に乗り、いつものホテルに着いて夕食を食べる。ここではあまりセキュリティーに対してうるさくないので、やっとテロから解放された感じになった。ベッドに横になり、子供たちとテレビを見ながらそのまま寝る。

EL 459
2015.12.19
Paris

唐突に僕の携帯にメッセージが入る。奇妙なメッセージで誰かのいたずらかと思った。「我々の友人で、君の親友でもある彼が亡くなったというメッセージがFacebookに入っているが本当か?」全く半信半疑だが、だれかのいたずらにしては、悪ふざけがきついが、心が動揺しているのもたしかだった。「常に唐突に物事は、何の前触れもなく起こる」ということをどこかで信じているところもあるからだ。それから数時間して、ボザールの学長からメールが届いた。「親愛なる我々の同僚のプロフェッサーであり世界的なアーティストのJean Luc Vilmoth 氏は、一昨日に台北のホテルで亡くなりました。」という簡潔な文章だった。多分ボザールの教官全員に送られたこのメールは、まだ細かい事実が分からない状況でメールするのは、半信半疑だがという感じを残しているが、死亡したということは、明確に告げようとしていた。そこから台湾の知人に大急ぎで、この事実を確認してもらおうとメールやら電話をしまくる。なぜ彼なのか、どうしたのか?持病があった訳ではないし、2週間ほど前にボザールで会ったときは何も感じなかった。もちろん彼が台北に行っているというのも知らなかった。気持ちが落ち着かない。それからずっといろんな人に連絡を取り合い、最終的に彼が死亡したのは事実だったという結論に達した。しかしどうにも納得できない。

EL 458
2015.12.10
Paris

なんだか重苦しい雰囲気がパリで生活している所々で感じる。地下鉄やデパートの中でさえ、人々はそれぞれ不振な顔をして近くにいる人を見ている。まるで自分の周りにいる人すべてがテロリストのように思っているような。新聞やラジオでは毎日のようにテロに関する誰か彼かのコメントが流れている。それを読んだり、ラジオを聞きながらアトリエで作業をしている。手は動いているが頭の中はいろいろなことがよぎっている。いつまたおこるのか?今度はどこが狙われるのか?子供たちの学校の登下校なども気になるところだ。なんだかパリのすべての人がどこにいるのかわからないテロリストの影におびえながら毎日の生活をしているようだ。

EL 457
2015.11.27
広州

広州での作業も佳境に入ってきた。いい加減ここらで終わりにしないといつまでも作業が続くような気がする。つまり、いろんなオーダーが入ってくる可能性があるということ。だめ工事をいろいろ注文してきてこちらのスケジュールがどんどん変わって行く。僕よりも日本から来た作業スタッフが困ってしまう。滞在費用も嵩むし、このままここで仕事を続けるのも限界がある。とにかくこちらで考えられるだけのことをして、こちらから終わりを告げるしか無い。

El 456
2015.11.15
Paris

テロの影響で、早朝のパンの買い出しに出るのも、はばかる。だいたいスーパーもパン屋もやっているのだろうか?昨日から一日家にいて、食料の蓄えで食事をつないできたが、いいかげんパンが食べたくなったので、外へ出てみた。意外に外のカフェもパン屋も通常どおりに営業していた。しかし通りに人は、あまり出ていない。いつものパン屋で、いつもどおりのものを注文し、そそくさと家に戻ってくる。やはり朝の焼きたてのバケットは、美味しい。テロのあった次の日の朝にバケットを家族でつまんでいる情景は、何とも変な感じだ。ラジオから引き続きいろんな人のテロに対するメッセージが流れる。

EL 455
2015.11.13
Paris

パリでまたテロがあった。今度はもっと複数の場所だ。夜中起きて、アトリエに行き、メールをチエックすると、日本からこちらの安否を気にするメールが多く届いているので、パリで何かあったなと一瞬で思った。テレビがないのですぐにインターネットでニュースを開くと、パリ市の中心部6カ所で、同時多発テロが行われたようだ。僕の倉庫に近いスタジアムで起こり、バスチュール近辺のレストランやコンサート会場で多数の人が銃撃に遭ったようだ。100人規模で死者が出ている。今年の1月に起きたテロ以上の悲惨な状況だ。なんと言ってよいかわからない。とりあえず多くのメールには、僕たちは巻き込まれていないので安心してくださいと返信した。それからラジオをつけたりして、とにかくひたすら情報を集めて、現在のパリの状況を知ることにする。朝方、オーランド大統領のメッセージで、全国に緊急事態宣言を発令し、なるべく外出は控えるようにとのことが述べられた。まさに戦争時のような感じだ。しかし、パリはテロによく狙われる。もちろん空爆に参加したということだけではなく、フランスという国に、いろいろな隙があることを改めて感じる。もう少し情報を集めて今回のことを整理することにする。

EL 454
2015.10.30
Paris

夜中に起き、アトリエでいろいろなものを整理する。随分読んでいない新聞も本もテーブルの上に積まれている。今年行ったプロジェクトの写真なども随分整理していない。現場の下調べの写真、作業の写真。そして完成写真。何を残して何を捨てるかだ。

EL453
2015.10.25
Paris

雨のモンパルナス駅でナント行きの電車を待っている。まだ時間があり、最近のことを考える。ナントは市からのコミッションワークで、使われていない小さな公園をパブリックにオープンする為の作品をオーダーされている。今日はその最初の現場視察。ナントは2009年のエスツエイル( ロワール川沿いに作品を設置した展覧会)以来、幾度となく色々な仕事で呼ばれている。こうやって一つの仕事が次を呼ぶようになる。そしてこうやってすでに30年ほど、このような仕事を続けていることになる。色々な人に助けられ、作品を組み立て、それを見た人からまた違う作品のオーダーがある。思えば綱渡りのような仕事の仕方だ。そして現在もまだ続いている。まあ、いつかは仕事の依頼がなくなる時が来るのかもしれないが、その時は自分で仕事をプロデュースすればいいだけだ。今迄やってきた経験が、気持ちをゆったりとさせてくれる。そんなもんだろうと、気楽に考えている。

EL452
2015.10.10
Paris

いろいろな仕事のオーダーが入る。毎日のスケジュールにそれを付け加えて、打ち合わせをしたり、現場を訪れたり、プランを作ったりして1週間が過ぎる。最近は、個人コレクターのオーダーが多い。直接個人の自宅に招き、作品をその場所に合わせて作らせるというものだ。ベルギーから1件あったが、その友人という人から、彼と同じものを作ってくれないかというリクエストが来た。そのために現場を見に行かなければならない。オーダーメイドのサイトスペシフィックな作品制作なため、まずは現場を見なければ、友人のところに作るものと同じものと言われても出来る訳ではない。いろんなオーダーがあるものだとつくづく思う。

EL451
2015.09.15
Paris

タバコをやめて4ヶ月になる。ベルギーのギャラリーでのオープニングに来ていたコレクターのドクターが「今すぐやめるべきだ」と行った言葉が印象的で、ちょうどその日の最後のタバコが終わったときだったので、そこで決めた。それから家にあるタバコをすべて捨てて、灰皿、ライターもどこかに隠した。アトリエには何も残っていない。しかしそれほど毎日の生活に支障はない。時折思い出したように吸いたくなるときもあるが、数秒後には、その気分はどこかに行ってしまう。やはり体重はそのかわり増えた。口がやはり寂しいので毎日ガムをかむことが多くなったからだろう。まあどのくらい続くか、やってみるべきか。

EL450
2015.09.01
Paris

9月から子供たちの学校が始まるため、その準備が親の間で始まる。
学校から指示された文房具を買いそろえたり、服を用意したり、この時期は忙しい。


EL449
2015.08.21
Paris

7月、8月の2ヶ月間を日本で過ごしてきた子供たちは、飛行機に乗りパリの自宅へ戻ってきた。少し今回は彼らにとって長い滞在だったかも知れない。少し後半がだらけてきたらしい。僕の方は2ヶ月間の間に中国で制作が出来て、今回は良かったと思うが、子供たちにとって長い日本での夏休みは、今回が最後にした方が良いかもしれない。来年はもう少しバカンスのスケジュールをうまく考えて2ヶ月にいろいろなアクティビティを入れ籠むことだ。

EL448
2015.08.14
広州
中国では、Google が開けない。Gmail も全く機能しない。毎日のメールが思うように送受信出来ないこともここでの滞在のストレスの一因でもある。送らなければならないメールの返事をすでに何日も出来ていない。いろいろ違う方法で試すがうまく行かない。日本に帰ってから連絡することに決めて、パソコンを閉じる。ヤレヤレだ。


EL447
2015.08.13
広州
朝の9時から夕方6時まで現場で作業をして、滞在しているアパートホテルに戻り、シャワーを浴びてからみんなで晩飯を食べに外へ出る。中華料理は食べやすいのでほとんど毎晩中華のレストランで食事を済ませるが、言葉が通じないのでメニューの写真を見ながらオーダーする。おいしいところもあれば、あまり口に合わないところもあり、なかなか食事一つ大変である。夕食が終わり部屋に戻り、そのままベッドに転がり朝まで寝ている。そんな毎日を中国広州で約3週間続けている。


EL446
2015.08.11
広州
中国の現場は、65階建ての63階から65階と1階ロビーに合計6つの作品が設置される。内部のため防炎の消防検査を待って制作が可能になるとのことで、それを待っているところだが、いつになるか正確な日程がわからない。そんなことでどうも思うように作業が進まないが、出来るところから少しずつ始めないと、いつまでたっても時間だけかかって完成しない。この作業の進行スケジュールや全く英語すら話さない中国人とのコミュニケーションにストレスを感じながら作業を進めて行く。


EL445
2015.08.04
広州
中国での制作が始まった。中国、広州のホテル内部のアートワーク制作だ。すでに準備から2年越しの作業になっている。現場がスケジュール通りに出来ていないのが大きな問題だった。しかしそうはいってもそろそろ実際の作業をしなければ、らちがあかないということで、強引にこちらのスケジュールを入れ込んで今回の現地作業になった。今回で3度目の現地訪問ではじめて作業が始められた。日本人スタッフ5名と日本からすべて材料や道具などを持ち込み、組み立て始める。僕らの作業を怪訝に見ている中国の現場作業員が近付いて僕らの使っている道具などをチエックしている。どうやら珍しいようだ。


EL444
2015.07.13
妻有
新潟、妻有での作業が始まった。すでに作業スタッフが先週から入り、準備をしていてくれた。現場でミーティングをしながら、どんどん組み立てて行く。ただ結構細かい作業が多く、思うように作業がはかどらない。夕方までびっしょり汗をかいてドロドロになりながらひたすら組み立てて行く。その後地元の温泉に行き、体を洗い、みんなでビールを飲みながら彼らが作った晩ご飯を食べる。そんな作業の毎日が始まった。オープンまで作業が終わるのかどうかもわからないがひたすら組み立てて行く。


EL443
2015.07.06
札幌 
東京から飛行機でそのまま札幌へ向かう。ここで3年間続けた三笠プロジェクトの記録集出版記念会があるためだ。このカタログを出してひとまずプロジェクトは完成したことになる。



EL442
2015.07.05
Paris
家族で夏を日本で過ごすため、パリを出る。ギヨームに車を出してもらい、山ほどのスーツケースを運んでもらう。夏が終わり、パリに戻るときにいろんなもの(特に食物)を運んでくるためだ。チェックインを済ませ、スーツケースを渡して、ロビーから機内に入る。子供はすでにバカンス気分だ。自分は明日から札幌でレクチャーのためにパソコンでパワポを整理する。そして羽田に到着。


EL441
2015.07.02
Knokke
夏休みが始まる。それまでにしておかなければならないことが山ほどある。日本に帰国する前日までいろいろ整理しておかなければならないことがある。と言いながら今は、ブルッセル行きの電車の中にいる。今日は、ベルギーの郊外に建設中の病院にアートワークスを入れるための説明会に参加するためだ。今回参加することでこのコミッションに参加を指示することになるとのことで、どうしても行かなくてはならない。今年は、パリとブルッセルを何度往復することになるのだろうか。


EL440
2015.06.20
Paris
昨年末に大腸の手術をして6ヶ月が経ち、その検査を行った。胸から下半身までCTスキャンをして内蔵を見る。結果は全く問題ないとのこと。
何も薬も飲むこともないという。あまりにも何もないのであっけらかんとしていたら、次の患者がそそくさと部屋に入ってきたので、医者に挨拶して6ヶ月後の検査の日程を決め、病院を出てきた。これで何も気にすることなく夏の日本と中国での作業ができるということか。


EL439
2015.06.20
Knokke
ベルギーのギャラリーでのオープニングのため、パリ北駅からタリスという新幹線に乗る。ブルッセルまで1時間半で着く。そこからルックの車で1時間ほどのクノッケというベルギーの軽井沢のようなところにあるギャラリーで展覧会が今日から始まる。


EL438
2015.06.09
Metz
メッツにあるポンピドーメッツ分館でメーティングをするため、カメルメノーと他のスタッフとともに訪れる。来年の2月にオープンする展覧会に合わせてインスタレーションが出来ないかという申し入れだった。


EL437
2015.05.20
Brugge
ベルギー、ブルージュのオープニング出席のため、朝早くパリを出る。
今回は1泊の予定で、いろいろなセレモニーに出なければならない。11時までに現場に着き、市長の挨拶に間に合う。アトリエワンの塚本君にも久しぶりに会うことが出来た。


EL436
2015.05.14
Paris
ここ数日、パリも40度ほどの暑い日々が続いている。パリ16区に公共のスイミングプールを改造してホテルにしたところが評判になっているので、スペインのマヨルカ島に行くよりマシかもと思い、カナルの今学期終了後に家族で訪れた。家からタクシーで15分くらいのところ。プールはきもちよさそうだが、早く来すぎてチェックインまで泳げない。ダラダラホテルのロビーにいて時間を弄んでいたら、どうも気分が滅入ってきた。


EL435
2015.05.12
Nantes 
ナントに行ってくる。以前作ったものの修復の話かと思ったら、来年ナント市が持っているギャラリーで展覧会をしないかということだった。昔の倉庫を改造してギャラリーとしたスペースは、かなり大きく、ハードな空間だ。横浜のBankArtを思い出した。来年6月頃にしようということになった。ちなみに今年は、西野君がすることに決まっている。彼がこのスペースをどのように使うか楽しみだ。


EL434
2015.05.10
Paris
アトリエでマケットを作っている。今年は大きな作品を残すために作ることにする。今まであまりにもすぐに作ってはギャラリーが持って行き、手元に残る作品はあまりなかった。それは売れたということで、それはそれで良かったのかもしれないが、あまりにも手元に残らないことから、どうもマケット制作が単なる消費の対象となってることが気になっていた。ここらでもう少し大きな作品を残す意味で作るべき時期が来たように思う。今年は、今まで制作したマケットのカタログレゾネを作ろうと思っている。すでにベルギーの出版社が興味を持ってくれていて、整理した素材を出さなくてはならない。しかしこれが結構な仕事量だ。どんなフォーマットでどのようにまとめるか、煙草をふかしながらいろいろ考える。


EL433
2015.04.28
Paris
ベルギーのブルージュ出の作業が終わりパリに戻る。約10日間の作業中、大きな事故も無く無事に仕事を果たした安堵感が次の日の体調の変化に出てきた。どうも疲れが少し残っているのを感じる。数日何もしないでアトリエで少し、のんびりするか。


EL432
2015.04.20
Paris

昨日、パリのオークションハウスで7年前に作ってベルギーのギャラリーに売った作品が、オークションに出ていた。パリのギャラリーから連絡があり、どうしても値段を下げられないから自分がこのオークションで競り、買うことにするという。オークションに作品が出るということは、ギャラリーから購入した個人コレクターが手放すために、或いはこの作家の作品のゼネラルな価値を確かめる時にオークションにかける。どちらかのために今回の作品が競売にかけられる。そして値段がきになる。何故なら売った値段より低く競売されたら、それがゼネラルなこの作家の価値になるからだ。そしてそれ以降その値段でギャラリーは作品を扱わなくてはならない。ギャラリーの商売にとっては、結構シビアな問題である。だからギャラリー自らが高く買い戻すことをする。それはリスクが高いが、そうしないと価格が下落するおそれがある。多くの責任あるギャラリーは、それをおこなうが、ただ売ってそれまでのギャラリーだと作家の価値がオークションの値段で決まってしまう。その夜のオークション結果を見て一安心した。値段は、パリのギャラリーが買い戻しに働いたせいで、通常の値段の3倍がついた。こんなことは日常茶飯事に起こる。しかしこんなマネーゲームのようなところに自分の作品も出るようになったことの方が問題だ。作品を作った後始末を作家は考えていかないと、これからどうなるかわからない。


EL431
2015.04.17
Nantes
ナントに向かう電車の中。朝まで起きていてそのまま出てきたので、電車の揺れで心地よく一寝入りする。座席が狭く窮屈だが、それほど人が込み入っていないので楽だ。今回のナント行きは、2009年から2011年にエスチュエアで制作した歩道が一部沈んでいるので、これをどうするかの打ち合わせである。とりあえず現場を見て、そこから考えようということで、現場に向かう。


EL 430
2015.04.12
Paris

一昨日、アルルから戻り、今回もらったメダルをしげしげと眺める。メダルと言えば、実は昨年フランス政府文化省からも勲章(芸術文化勲章オフィシエ)をもらった。まだオフィシャルに公表されていないようため言いづらい。先日、こちらから文化省に出した手紙の返事が来た。手紙では、今回の表彰では、公的なパーティなどはしないため、どうしたら勲章を受け取ることができるかを尋ねた。返事では、勲章は各自が自分で購入することと、購入する場所を知らせてきた。その店に行き、手紙を見せてその場で購入してきた。なんだか簡単に購入できたので、あまりこの勲章の重みを感じないが、歴代多くの日本人がもらっているらしい。さてさてこの勲章の効能は、いかなるものなのか。まあ、あちらが決めて、私にくれるというので、もらっておくことにこしたことはないぐらいの感じで、もらったわけである。年を重ねると意外なところで認められることもあるのだということが分かった。


EL 429
2015.04.10
Arles

朝早い電車でパリからアルルに向かう。2年ぶりのアルルだ。カマルグのプロジェクトのカタログが出来たのと、カマルグのワークショップで制作した作品からインスパイヤーされた小学生が新たに作品を制作し、そのお披露目をするので、ぜひ作家に会いたいということで、今回、招待された。小学3年生20名ほどが1ヶ月を費やして組み立てた船のような構造物が、中庭に設置されていた。みんなで記念撮影をし、いろいろな質問に答え、最後にアルルの市長から名誉市民のメダルまでもらった。全く期待していなかったので驚く。


EL 428
2015.03.20
Paris

久しぶりに芸大先端時代の教授と会う。ちょうど展覧会でパリに来ていて、会おうということになり、ボザールのアトリエで数年ぶりに会い、いろいろ大学のこと、日本のこと、学生のことなどを話す。しかし、すべて悲観的なことしか出てこない。全く日本はどうなっているのだろう。彼もかなりうんざりしていて、近々フランスに出てこようと思っているらしい。どんどん優秀な連中が日本からはなれて海外で活躍すれば、日本の文化関係者は、少しは考えるのだろうか。実際、あまりにも政治や文化状況が荒れているように思えてならない。このままだと本当に優秀な人材は、どんどん海外に出て行くだろう。そして海外では自分の能力しか認められるものが無い状態で、存分にその可能性を発揮すると、それを認めてくれる人たちがまだ日本より多くいるということだ。国籍や人種を超えて、個人の能力を評価する個人がいるということ。個人主義の社会だからこそ、個人を尊重してくれる。そんな土壌が、今はありがたく思う。


EL 427
2015.03.15
Zug

スイスのツグの美術館でコレクション展を行っている。以前行っていたプロジェクトの模型やら資料が展示しているので、レクチャーを依頼され、朝早くチューリッヒに向かう。夕方から始まったレクチャーに、プロジェクトを行っていたときにいつも作業を手伝ってくれた人たちが大勢集まった。みんな約10年ぶりの対面で、懐かしく昔を振り返っていろいろ話した。次の日にズグの町に設置したいくつかの作品を見て回った。15年ほど前の作品がまだちゃんと設置されている。聞けば、5年ごとに材料を取り替えてオリジナルの構造物の形をキープしているとのこと。この町の人たちの作品に対する意識の高さを改めて感じた。


EL 426
2015.03.10
Paris

朝早くの飛行機なので、前夜から学生全員が次の日の朝までカラオケボックスにいて、そのまま羽田に向かう。飛行機に乗り込み、とりあえず全員無事にパリに帰る。やれやれだ。何も大きな問題も無く、展覧会もして、抱えきれないくらいのお土産を持ち帰り、全員無事にパリに戻ってきた。これだけでも結構な仕事だった。こちらも結構疲れた。まっすぐ自宅に戻る。


EL 425
2015.03.07
京都

京都の学生の展覧会は、市長からのメッセージで始まった。セレモニーを聞きながら自分がここにいることを考える。しかし、どこかで面白がっているのは、間違いない。単なる学生の作品展示につき合って京都まで来ている。しかし自分にとっては、観客の一人でしかないし、あまり責任もない。ただ学生の引率ということくらいか。夕食を近くの居酒屋に学生を連れて行く。飲み食いしながら彼らが京都を楽しんでくれたならいいや、と言うぐらいの気持ち。


EL424
2015.03.04
京都

京都に戻り学生の制作を見る。彼らは、いろいろ悩みながらもそれなりに作業は進んでいた。日本の学生とのコラボレーションにもかなり疲れているようだが、京都の町には、満喫しているようだ。夜、宿舎で遅くまで、いろいろみんなで今回の日本での滞在、そして京都での展覧会のことを話し合った。


EL 423
2015.02.25
横浜

東京に戻り、横浜で中国に持って行く作品を組み立てる。ここでの制作は、気楽だ。いつものメンバーとひたすら制作に励む。制作場所もBankArt の一室を借りたので、夜遅くまで自由に使えた。そのため、思っていた以上に早く組み上げることが出来た。


EL 422
2015.02.24
京都

京都の制作する大学で歓迎パーティが行われる。こちらの学生の片言の英語出始まり、こちら側の学生の自己紹介が終わり、和やかに飲んだり食べたりした。しかし、日本とフランスの学生とでは、子供と大人ぐらいの違いがあった。
やはり日本の学生の行動や物言いは、まだ幼く、稚拙でしかない。外国の学生と会い、いろいろ話をする機会があまりにも無さ過ぎなのだろうか。あるいは日本の教育の問題なのだろうか?


EL 421
2015.02.23
京都

今日は、朝の新幹線で京都に行き、すでに来ている学生と合流する。みんなそれなりに日本を満喫しているみたいだ。確かに他の国より安全だし、特にフランス人となれば、日本人は優しいかもしれない。滞在する大学のドミトリーに行く。これで後は彼らの制作が順調に行けば、少しは彼らを日本に連れてきた甲斐があるということだろう。みんなで夕飯を食べ、ウイスキーを飲みながら遅くまで話し込む。


EL 420
2015.02.22
羽田

もう一人のボザールのプロフェッサーと一緒に東京羽田行きの飛行機に乗る。満席でかなりきつい状態だ。それも真ん中の席になってしまった。ヤレヤレで11時間を過ごし、彼を浅草のいつものホテルに連れて行き、学生と合流する。なんとか東京に着いた。


EL 419
2015.02.05
広州

中国の打ち合わせのため空港に向かう。今日から1泊3日で、中国の広州に向かう。現場の状況と旧正月前にいろいろなことを明確にしておきたいという中国側のオーダーだ。制作チームにも現場を見てもらうということで、急遽決まった。


EL 418
2015.01.27
Paris

今日は、朝から1日、ビデオドキュメントのためにカメラクルーとつき合わなければならない。ウエッブサイトのみで配信しているアート系の番組。いろいろなアーティストがインタビューなどを受けているので、まあ受けてみようかと思った。記録が一つでも増えるということと、パリでの生活が外からどのように見えるのかも知りたいと思ったからでもある。カメラマンと音響、そしてディレクターの3人がやってくる。みんな若い。カメラをスケートボードに三脚ごと取り付けて、アトリエの中を動いている。あまり特別なオーダーがある訳でもないので、いつものようにアトリエでぼんやりしているところを静かにカメラが回っている。彼らもそれなりに下準備をしてきたらしいが、現場で全体の構想を考えているようだった。カメラをまわしながらどこのシーンをどこに入れるかとか、いろいろ話している。とりあえず今日は、彼らと一日付き合うことになるか。


EL 417
2015.01.26
Kokke

ベルギーの海沿いに新しく出来る自然博物館の現場を見に行く。この博物館の外に作品を設置してほしいというオーダーが入ったためだ。ベルギーのギャラリーがこの仕事を私に依頼してきた。現場は海岸沿いの砂浜に、木とコンクリートでできた建造物が広い敷地の中にいくつか立ち並ぶ予定である。すでにメインの建物が出来上がっていて、そこからクレーンが遠くに立っているいくつかの建設現場が見える。かなり規模は、大きい。渡り鳥の飛来する場所で有名なところらしく、バードウオッチングを兼ねた施設になるらしい。ここに巨大な鳥の巣のようなものを作ろうかと現場を歩きながら考えた。


EL 416
2015.01.23
London

今日、日帰りでロンドンに行ってきた。2月に展覧会を行うギャラリーのインスタレーションをチエックするためだ。会場ではすでにギャラリーのアシスタントが、インスタレーションの構造を組み立てていた。自分が思っていた以上にテクニカルなところを、自分たちで工夫して作っていた。さすがに良く出来たスタッフたちだ。すでに何度か一緒に仕事しているということもあり、お互いに信頼していところからくる安心感が、今回の作業を楽なものにしている。このような作業スタッフに恵まれると、作業時間もかなり短縮される。いずれにせよ、1月からはじめて2週間から3週間の制作時間があるので十分にこちらの意見も反映した制作になっている。安心してその日の夜のユーロスターでパリに戻る。


EL 415
2015.01.21
Paris

今朝、ロンドンからトラックが来て、今回の展覧会のために昨年から制作したマケットを運んで行った。昨日まで制作していたものも、ぎりぎり間に合った感じだ。スケッチなどは制作当日に電車で持って行けばいい。とにかく運び去られた倉庫を掃除しながら、どの作品が今回の展覧会終了後に戻ってきて、どれがギャラリーで保管するのかリストを作らなければならない。
まあ、展覧会を開いてからでも遅くはないか。倉庫から運ばれた作品に思いを馳せる。


EL 414
2015.01.20
Paris

今度は日本人が「イスラム国」の捕虜になり、身代金を要求されている。ついに日本までテロの対象になってしまったということか。イスラム諸国とは、今まで直接的に関わるということは無かったが、今回の首相による中東訪問により、一気に日本は欧米諸国の一つという関係になった。これは政治路線がアメリカのように一気に単純明快になったということ。悪者に対する正義ということで、この関係に日本も加わらざるを得なくなったということだろう。


EL 413
2015.01.11
Paris

パリ市内で先日のテロを受けて、デモが行われた。フランス全土で370万人という規模。圧倒的な群衆がパリ市内の広場に向かっている。日本のデモとは比べようがないくらいフランス人の社会的なアンガージュマンは意識が高い。しかし、ここまで大規模だと、どうも気分的にそこにとけ込めない。今回の風刺画と表現の自由は、果たしてフランス人が言うように、一方的に表現の自由を守るということにつながるのだろうか?人のいやがることを何度もするということ。この一点について考える。


EL 412
2015.01.10
Paris

テロリストたちは逃走し、警官と撃ち合いになり、死亡した。しかし、この衝撃的な事件は、パリの人達を一瞬にして変えてしまった。みんなが立ち上がり、デモに参加した。フランスの国中がこの事件によって気持ちが一つになった。この連帯感は、とてつもないものだ。この衝撃的な事件に対してある意味、ナショナリスティックな方向にみんなが動いている。選択肢が一つであるということ。みんな “Je suis Charlie”のプラカードを掲げて同意を示すが、これに他の意見が言える状態ではないということが問題だ。


EL 411
2015.01.07
Paris

今朝、パリで過激派のテロが起きた。新聞社への襲撃だ。正月が過ぎ、子供達の学校が始まり、先ほど学校に届けてきたところだ。街が物々しくなっている。ラジオで実況が行われている。アトリエを片付けをしながらラジオを聴いていたら、いきなりこの情報が入ってきた。すぐさまユーチューブを開き、現場の記録ビデオを見る。ひどいことをするもんだ。表現者をやめさせるために殺すというのは、何を持っても変えられないほど暴力的だ。まだ殺人者は逃走しているという。パリもテロの標的になったということか。しかし、このテロは、起こるべくして起きたともいえるだろう。ここの新聞社は、かなり狙われていたのは確かだったからだ。しかし実際に何人もの人が今朝、殺されたというこの事実。冷静に記述できない。自分が憤っているのが分かる。タバコを何本も吸い、落ち着かない。しかし、残虐な行為だ。


EL 410
2015.01.05
Paris

久しぶりに倉庫に行く。アシスタントのギヨームに、最寄りの駅まで迎えにきてもらい、そこから彼の車で倉庫に行く。内部は彼がいろいろ手をかけてくれたおかげで、水もお湯も電気もすべて完備して、いくつか作品が積み上げられていた。先回アトリエから移動した作品だ。まだ十分スペースがある。これからどんどん作り、ここに運び込み、彼がどんどん木箱におさめ、ストックすることを考える。模型やマケットだけでなく、立体作品もここでは作れるだろう。広いスペースを見ると、いろいろしたいことが頭に浮かんでくる。


EL 409
2015.01.01
Paris

年が明けて2015年になった。あまり感慨はない。それより体の方は、まだ便通がよくないため、トイレで長い時間を費やしている。しかし、アトリエで新作は作り続けている。こんなに家に長くいるのも珍しいので、とにかく、どんどん作品を作ることにする。今月後半には、ロンドンからトラックが来て、2月の展覧会のために新作がドーンと運ばれる。ギャラリーから言われたことは、せっかくトラックが行くので、精一杯いっぱいにして戻してくれとのこと。要するにたくさん入れてくれと言うことらしい。大作だけでも昨年暮れからずいぶん作った。アトリエに籠っているような感じの毎日だ。


EL 408
2014.12.28
Paris

食事は、まだ簡単な消化に良いものに限られている。奥さんもいろいろ本を読んで、待っていたが、いかんせん入院時間が短すぎて、どのようなものが良いのか解らずじまい。退院後の100日の食事メニューの本らしい。既にワインも飲むし、ご飯も食べている。ただ便秘が重くお腹を押してくる。要するにお腹に力を入れて、踏ん張ることが出来ない状態が続く。やはり腸を何十センチか切り取ったために、消化が不十分なのかどうなのか、もう少し様子を見るしかない。


EL407
2014.12.23
Paris

今日、病院を退院して家に帰る。手術の前後で5日間病院に滞在していたことになる。前日に入院し、次の日の朝早くに着替えをして手術台に寝かされ、気がついたら既に終わっていて、病室に連れ戻された。痛みもほとんど感じないが、腹部の数箇所を小さなガーゼで覆われた状態は、やはり何か行われたようだ。それほどに自分の身体であるにもかかわらず、感覚が鈍い。現代医学のすごいところなのか。入院する前に数冊読んでいた本の通りの手術だったようだ。
帰ってきて、不在時のメールを確認し、着替えをすると5日前の自分に戻ったような気分になる。何だったのだろうか。大学の授業が終了し、クリスマスイブ前、このような時期に手術を行ったことが良かったのかもしれない。


EL406
2014.12.21
Paris

病院に入院して既に4日目。時間がすごく遅く感じる。病室にいても何もすることがない。新聞をくまなく読み、煙草を吹かしに2度、外出する。腹部の痛みはない。昼と夜の食事がきわめてまずい。それも数日前と同じメニューだ。夜中の時間が恐ろしく長い。以前、フランス語で読んだカミュによる「異邦人」の主人公が牢獄で過ごしていた時の描写が頭によぎる。牢獄というより、自分の体のために休んでいるということを自分に言い聞かせ、この時間と対峙することを自分に課す。そうするとまんざらでもない。なぜならこのような時間は本当に久しぶりのことのようだから。まだ学生だった時、どのくらい怠惰に生活できるかを試してみたときがあった。寝ていられるだけ寝ていようと思い、ベッドから出ないで何日間か過ごしたことがあった。しかし、それも飽きて、結局、何か始めた。怠惰な時間は、怠惰でしかなかった。それだけのことだった。そんな数十年前のことを思い出した。


EL405
2014.12.19
Paris

誰かに顔をたたかれ、目が覚める。そしてぼんやりしながらもベッドを替え、以前いた病室に運ばれる。何がおこったのかわからないが、病室のドアが閉まり、一人になって初めて手術が既に終わったということが解った。おなかの周りがただ重い感じがするだけで痛みはない。傷口がどこで、どのくらいなのかも解らない。とにかく手術は終わったということ。それだけ頭の中で確認して、また寝る。


EL404
2014.12.18  
Paris

今日の午後、病院に入る。午前中は、いろいろ荷物をまとめたり、不在時にやってもらうことを箇条書きにしてテーブルの上に張ったりして過ごし、着替えをして時間前に家を出る。この先どのようなことが起きても、自分の身にかかることはすべて肯定しょうと思った。なぜなら結構今まで好きなことをしてきたように思うから。病気になるのは、今までの自分の不養生だし仕方がないことと割り切れる。それは病院に来ても変わりなかった。個室の病室を頼み、着替えをしてパジャマになってベッドに横になっていたら、担当医の先生が病室に来てくれて、明日の朝早く手術をするとのこと。よろしくお願いしますと伝えた自分の冷静さに驚く。


EL403
2014.12.04
Paris

昨日から3日間、スイスのクリストフがパリに来て、ルクセンブルクのコンペ作品の仕込みを行う。いつものやり方で、既に材料やパネルなどを準備して大きな木箱に入れ持ってきた。ここですべて制作して、そのまま直接ルクセンブルクの事務局までに持って行くつもりだ。先回のミュンヘンのコンペ制作と同じく、クラウスがアシスタントとして同行してきた。やはり2人より3人で制作した方がいろいろ効率的だ。まずは、テーブルにいろいろ資料を並べて、現地視察の時の状況を説明してもらい、そこからアイデアを話す。その中からとりあえずこのコンペで自分たちが何を作りたいかを決め、メモを何枚も書きながら、だいたいのイメージを作り、その場でスタディの模型が出来る。そこから各自、分担して作業に取りかかる。ついつい夕食の時間も忘れて、遅い時間にカフェに駆け込み、簡単な食事を済ませ、また作業に戻る。タバコの煙とコーヒーカップ、ワイングラスの散在、アトリエはいろいろなもので雑然している。そのまま深夜まで続行し、朝誰かのシャワーの音で目が覚める。
そんな3日間で、既に規定のフォーマットもあり、それに沿ってコンセプト、模型、イメージスケッチなど6枚のパネルを仕上げる。まあそれなりに出来た。
クリストフとクラウスは、寝不足のふらついた体で、ルクセンブルクに直接持って行くプレゼンの重い荷物を持ち、アトリエを出て行った。



EL402
2014.12.03
Paris

スイスからクリストフがアトリエに来る。これから新しいコンペに提出するプランを作るためだ。来年ルクセンブルグで行われるパブリックアートのコンペに参加依頼のメールをもらい、それを12月15日までに提出しなければならない。それより先回、ここで制作し提出したミュンヘンのコンペが通ったということに驚く。2016年に実施されるかなり大掛かりなプロジェクトだ。もちろん予算も大きい。何が我々の案で勝てたのかを聞くと、他の案はみんな屋外に設置される彫刻作品であるのに対して、我々が提出したのは、インスタレーションだったと言うことらしい。150メートルの長さ、高さ14メートルの構造物をくみ上げるこのプランが、ほかとは違うイメージとして審査員が認めたのだろう。とにかくうれしい。少しずつコンペに入選するコツをつかんできたようだ


EL401
2014.11.25
Paris



今年も残るところ1ヶ月になった。夏休みに日本へ行き、その後、フランスに戻ってきてからいろいろと忙しいことがあった。子供の新しい学校の新学期、人間ドックの再検査、トロントでの作業、まだまだ終わっていないことがいっぱいある。このまま12月に突入という感じだが、11月から新たな倉庫を借り受けて、アシスタントを常時雇ったということは、気分的に新たな試みのような気がしている。その分、自分のアトリエでの仕事に集中できるし、何より今までできなかったことがこれからできそうな気がする。新たなマケットのプランまでできている。この新しい倉庫ですこし大きいものを作ろうと思っている。これは今まで出来なかったことでもある。





<<EL301-400                                EL501-600>>


*無断掲載禁止*


home_japanese


copyright tadashi kawamata plus on the table, tokyo